主の祭り(1)初めに 山崎純二

2020年1月22日11時16分 コラムニスト : 山崎純二 印刷
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「過越の祭り」の食卓

皆様にあいさつが遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。2020年もよろしくお願いいたします。私は現在、教会内の小さな集まりで毎週メッセージを語らせていただいているのですが、昨年の初めに主任牧師先生が年間のテーマ聖句を決めてくださいました。それは「私たちは主の祭りをするのですから」という出エジプト10:9の御言葉でした。私はこの聖句を見たときに、本当に「アーメン」だと感じました。そして、昨年は1年間、自らも主の祭りについて集中的に聖書を学ばせていただいたのですが、その中で非常に多くの恵みを受けました。ですから、今年はその中の一部を皆様とシェアさせていただければと思います。

「主の祭り」というと、遠い昔に遠い国で、イスラエルの人々がユダヤ教徒として行ったことであり、現代の私たちとはあまり関係がないと思われる方もいるかもしれません。しかし「主の祭り」と私たちの信仰生活の間には、深い深いつながりがあります。天に召された宮村武夫先生が、神学の中には「組織神学(システィマティック・セオロジー)という用語があるが、有機神学(オーガニック・セオロジー)という言葉に変えるべきだ」と言われていましたが、旧約の祭儀と新約の福音の間には豊かな有機的つながりがあります。

しかし、主が定められた祭りの意味を明確に理解している方は多くないと思います。私自身、同じ祭りが幾つもの異なる名前で呼ばれていたりするので、なかなか全容を把握することができませんでした。ですから今年一年は「主の祭り」に込められた父なる神の思いを、皆様と共に考えていければと思います。

出エジプト

まずは、先ほどの御言葉がどのような場面で語られたのかを、確認したいと思います。話は、モーセがエジプトの王であるパロのところへ行き、主の言葉を伝えたところにさかのぼります。

その後、モーセとアロンはパロのところに行き、そして言った。「イスラエルの神、主がこう仰せられます。『わたしの民を行かせ、荒野でわたしのために祭りをさせよ。』」パロは答えた。「主とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのは。私は主を知らない。イスラエルを行かせはしない。」(出エジプト記5:1、2)

しかし、エジプトの王パロは彼らを行かせませんでした。イスラエルはエジプトの奴隷であり、貴重な労働力であったからです。かえってパロは、彼らの労働を重くし、彼らが主の祭りに行くことを阻みました(5:6〜9)。

そこで、有名な話ですが、主はモーセを通してエジプトに10の災害を下します。この多くの災害の故に心が弱くなったパロ王は、イスラエルが荒野へ行き、主の祭りをすることを許可します。しかし、パロは壮年の男だけで祭りをして、その後またエジプトに戻ってくるように言いました。それに答えてモーセが語ったのが、教会の年間テーマ聖句になったこの言葉です。

モーセは答えた。「私たちは若い者や年寄りも連れて行きます。息子や娘も、羊の群れも牛の群れも連れて行きます。私たちは主の祭りをするのですから。」(出エジプト記10:9)

教会には、お年寄りから子どもまでさまざまな人が集い、主を礼拝していますが、主はそれを喜んでおられます。私たちの社会にはさまざまな集いがありますが、会社には子どもたちはいませんし、学校にはお年寄りはいません。世代、性別、趣味や専門などによってそれぞれが隔絶しており、老若男女が集まるということは滅多にありません。しかし、若い者や年寄り、息子や娘が一堂に集うのが主の祭りなのです。

主への祭りと礼拝

さて、旧約時代の「主への祭り」は、新約時代においては「礼拝」という形になっています。モーセは、民をエジプトから導き上り、壮年だけで60万人、家族を入れると数え切れないほどの民と共に荒野へ行きました。そして、パロに殺されるかもしれないという命の危険を冒してまで、水もパンも何もない荒野の地に行って、主への祭りを行いました。私たちも忙しい生活に追われ、時に礼拝に参加することに困難を覚えることがありますが、彼らが主の祭りのために乗り越えた苦難を想うとき、私たちも主への礼拝を大切にしなければと感じます。

そして、私たちは誰かに強いられて宗教的な義務感をもって礼拝に集うのではありません。主との交わり、そしてお年寄りから子どもまでが共にいる神の家族との交わりの中に喜びを感じて、主の礼拝に来るのです。そして、それは主の願っておられることです。主はモーセを通してパロにこう言われました。

そのとき、あなたはパロに言わなければならない。主はこう仰せられる。「イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。そこでわたしはあなたに言う。わたしの子を行かせて、わたしに仕えさせよ。」(出エジプト4:22、23)

主はイスラエルを「わたしの初子」と呼び、「わたしの子を行かせて、わたしに仕えさせよ」と語られました。ですから、このことはイスラエルの民の願いや、モーセの情熱によってのみ行われたのではなく、神がイスラエルを子として愛しておられた故に、イニシアチブをとってなされたことだったのです。そして、もちろん神様はイスラエルだけでなく、私たち一人一人を神の子として愛しておられ、私たちが喜びと感謝をもって主の礼拝(祭り)に集うことを願っておられます。

さて、私たちが主を礼拝するときの心構えとして、イスラエルの民が荒野で主への祭りをささげたということを、今一度考えてみましょう。先ほども言いましたが、そこには水もなく食べ物もなく、周りには野の獣たちがおり、周辺には多くの敵国があり、彼らはどこへ行くべきかも分からないという状況でした。しかし現代の多くの人々は、そのような状況にはいません。それぞれ家があり、社会があり、私たちは突然敵に襲われることもなければ、食べる物がないという状況でもありません。しかし、霊的な観点で見るときに、私たちの信仰生活は荒野での生活と同じであります。主はラオデキヤの教会にこう語られました。

あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。(黙示録3:17)

肉体的には「自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと」思っても、イスラエルの民が荒野で、主に頼らなければ生きていけなかったように、私たちは主につながっていなければ命のない者です。ですから、何か心の修養や精神の安定のために私たちは礼拝に集うのではありません。主によって命を与えられ、主と共に生きるために、私たちは主の御名のもとに集うのです。そして、神様もまた私たちを守り導いてくださいます。

新年

さて、私たちが使っているカレンダーでは冬の1月が新年となっており、私たちはつい先日、新年を迎え、教会でもさまざまなイベントが行われました。しかし、古代イスラエルの暦においては、民がエジプトの奴隷から解放されて主への祭りを行ったこのときが、新年(第1の月)とされました。こう書かれています。

主は、エジプトの国でモーセとアロンに仰せられた。「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。」(出エジプト記12:1、2)

彼らが使っている太陰暦と私たちの太陽暦の間にはズレがありますが、これは現代の3月から4月に当たります。つまり、これは春の祭りなのです。ちなみに今年は4月8日からが祭りの時期となり、イスラエルの方々は今でもこの祭りのときを大切にしていて、お店などはすべて閉じられます。

今日は、神様が最初にイスラエルの民に定められた祭りについて書かせていただきましたが、この祭り以外にも、多くの祭りが聖書には記録されています。その中で、特別に3つの祭りが大切な祭りとして定められています。こう書かれています。

年に三度、わたしのために祭りを行わなければならない。(出エジプト記23:14)

今日確認した祭りは春の祭りですが、その他2つの祭りは、夏と秋の祭りとなります。そしてこの3つの祭りは、私たちの信仰生活や、救い、キリストの十字架、聖霊様に関係する大切な意味を含んでいます。ですから今年一年は、皆様と共に「主の祭り」の時期や意味を意識し、共に主の礼拝に参与していければと思います。

この地上での生涯は、荒野の中を歩むようなものであり、多くの困難があります。しかし感謝なことに、私たちは主によって生かされています。そして神様は私たちを愛し、「わたしの子」と呼んでくださり、私たちが主の御名のもとに集うことを願っておられます。ですから私たちは、老若男女、職業や性別、国や民族を越えて、主にあって一つになることができるのです。古代イスラエルの民は、主の祭りを行うときを最も大切なときとし、「年の初め」として祝いました。私たちも主を礼拝することを人生の中心に据えて歩む者となりましょう。

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山崎純二

山崎純二(やまざき・じゅんじ)

1978年横浜生まれ。東洋大学経済学部卒業、成均館大学語学堂(ソウル)上級修了、JTJ宣教神学校卒業、Nyack collage-ATS M.div(NY)休学中。米国ではクイーンズ栄光教会に伝道師として従事。その他、自身のブログや書籍、各種メディアを通して不動産関連情報、韓国語関連情報、キリスト教関連情報を提供。著作『二十代、派遣社員、マイホーム4件買いました』(パル出版)、『ルツ記 聖書の中のシンデレラストーリー(Kindle版)』(トライリンガル出版)他。本名、山崎順。ツイッターでも情報を発信している。

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