第1次北海道地震ボランティア(1)全道ブラックアウトの中を車で厚真町へ 岩村義雄

2018年9月23日22時26分 執筆者 : 岩村義雄 印刷
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土砂で倒壊した厚真町吉野地区の家=9月10日
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北海道は自然が豊かで、若い頃から風景、牧場、温泉などに魅了されてきました。1992年に、夫婦で訪問した懐かしい地でもあります。

北海道の馬の生きた証しがあります。開拓の唯一の力として人間と共に生きてきた馬は、農業の機械化に伴い、段々消えていきます。馬に代わってトラクターなどが用いられるようになったからです。ある農家で何年も使われてきた馬は、もう年老いて役立たずでしたが、飼い主の温情により、ただ飼われているだけの毎日でした。しかし、やがて寿命が来てその馬が死ぬのを見るに耐えないという家族の温情で、売り渡されることになりました。

その前日、ご馳走を頂いた馬は、飼い主が何も言わずとも悟ったらしく、迎えに来たトラックの前へ引き出されたとき、主人の肩に頬をすり寄せたそうです。家族がハッとして見ると、その馬の目には涙が浮かんでいました。

その涙がぼろぼろ流れ落ちるのを、家族は化石になったように見守っていました。やがて馬は自分で歩き出し、踏み板を渡ってトラックに乗りました。もう後ろを振り返ることもありませんでした。(藤林邦夫著『生きる楽しみ』〔京都福音教会、1991年〕98ページ)

何という悲しいけれど美しい光景でしょうか。終わりを全うするというのは、人にとってこれまた大切なことです。それにはどうするかです。1つには自分の使命を知ることです。そしてその使命を果たし終えたことに対する感謝の心を持つことです。

2つには、自分自身を委ねることです。いたずらに長生きを求めるのでなく、自分の生も死も含めてすべてを委ねるとき、平安の内に最後を迎えることができます。あまりにも生きることに執着し過ぎて、死をきれいに乗り越えられないことのないようにと、自然の中に生きている動物たちが私たちに教えてくれているようです。

3つには「山のカムイ、水のカムイ、人間は自然のカムイと共に生きているんだ。大切にしないとな」と、自然を大切にすることです。アイヌの著名なエカシ(長老)である浦川治造(はるぞう)氏は、そう言っています。(さとうち藍著『アイヌ式エコロジー生活』〔小学館、2008年〕)

北海道のサイロ、牧場、馬の放牧の光景は胸に刻まれます。

自然を大切にしてきた「アイヌモシリ」(アイヌ語で「人間の静かなる大地」の意味、北海道を指す)が、地震によって損なわれることは想像できないことでした。私は地震発生時、中東におり、地震のニュースを聞いたときには「これで日本もおしまいか」と悲壮な思いに襲われました。

レバノンの首都ベイルートから帰国後、時間を置かずに、アイヌの人々の集落の被害が気になり、9月9日に伊丹空港から新千歳空港に向かいました。

第1次北海道地震ボランティア(1)全道ブラックアウトの中を車で厚真町へ 岩村義雄
新千歳空港と厚真町の位置(図:グーグルマップより)

(1)千歳空港は航空自衛隊第2航空団の基地に

a)新千歳空港

ベイルートで耳にした日本の報道は次のようなものでした。

北海道は2016年の農業産出額(9兆2千億円)のうち1兆2千億円と13パーセントを占め国内首位にある。牛乳やバターの原料である生乳は北海道の産出額が全国の49パーセントを占める。(日本経済新聞、9月7日付)

北海道での大停電が、暖房などで電力がより必要な冬に起きていたら、被害はさらに大きくなった可能性がある。(朝日新聞、同日付)

北海道庁のまとめによりますと、9月7日午前11時の時点で、北海道内の113市町村で合わせて768カ所の避難所に7339人が避難されていました。土砂崩れや液状化現象、北海道全土に及ぶ停電は深刻な被害をもたらしていました。

降り立った新千歳空港は、かつて家内と北海道旅行で訪れたときの面影はなく、飛行機内に忘れ物をして取りに戻ったとき、家内を待たせた場所なども見当たりませんでした。なぜなら、新たな場所に空港が移転していたからです。近代的になった空港は、無機質でした。思い出が消し去られてしまっているのは残念でした。母の胎内にあるぬくもりがなくなり、機械化された便利さだけが待ち受けていました。あのタラップを降り、空港に通じた通路も、もはや立ち入り禁止の航空自衛隊第2航空団の軍事基地の中です。かつての千歳空港は、今は千歳基地として、旅行者は誰一人近寄ることができない厳重な警備です。「和則共利 闘則倶傷」。平和であれば共に利益があるが、戦えば共に傷つくという脅威の刃を突き付けられたようでした。

b)停電・ブラックアウト

余震の恐怖に住民は不安げでした。9日夜は千歳付近でさえ、コンビニの食料棚はどこも空っぽでした。札幌も停電のため信号機が動かず、逆走があるなど、それぞれの運転手の意思が交通ルールになっているのですから、無法地帯と化しました。

停電が解消されても、40時間近く電気が使えなかったことは、酪農家にとって致命的でした。ホルスタイン(乳牛)から乳を搾らないでいると、乳頭口から侵入した雑菌に侵され乳房炎という病気になります。停電が回復しても生乳を出荷できなくなっています。経済重視の時代、牛は1日に30〜40リットルの乳を出すのが普通になっています。人力で搾るとしても、10頭近くも牛がいれば、とうてい人間の限界を超えています。お金儲け、つまり経済至上主義における大きなアキレス腱が露呈してしまいました。乳製品が滞在中に購入できなくなりました。大問題です。

第1次北海道地震ボランティア(1)全道ブラックアウトの中を車で厚真町へ 岩村義雄
厚真町の町中心部から約3キロ南にある「ルーラルビレッジ」近くの道路の様子。地震により大きな亀裂が入っていた=9月9日

北海道だけでなく、同時に台風21号の影響で大阪や神戸も停電の打撃を受けました。調理機、風呂、トイレも使用できなくなり、冷蔵庫の食料が腐敗してしまいました。スマホの充電もできませんから、安否確認のツールが役に立たなくなりました。自らの安全のため救援依頼さえできず、無人島で生活するような不便さを突如として味わうことになったのです。防災用具も役立たず、激しく窓にたたき付ける暴風雨の圧力は、割れそうになった窓を支えようとすれば、背筋が冷たくなるほどの脅威を感じるものでした。

人間が地球を世話する――。つまり欠陥、損傷、苦痛がないように技術を用いたいものです。しかし、技術そのものが生存を脅かすことになり、安寧が危険にさらされ、築き上げてきた暮らしのすべてが台無しになってしまうことがあります。技術は確かに苦役、肉体労働、単調な繰り返しからの解放の旗手として寄与してきたことでしょう。過去の苦悩が解消した人間は、マネーゲーム、投資、利殖などによって、忍従することなく快適さを獲得しました。しかし、災害によって歯車が一旦狂うと、生活が根底から崩壊してしまいます。憂き目に遭って初めて、享受してきた利便性、快適性、サービスが蜃気楼(しんきろう)のようにもろいことに目覚めます。家の建て直し、治療、二重ローンにより、生きる希望さえ見いだせなくなります。「世の悲しみは死をもたらします」(2コリント7:10)。

c)厚真町

第1次北海道地震ボランティア(1)全道ブラックアウトの中を車で厚真町へ 岩村義雄
真っ暗闇の道路を運転して厚真町に向かった=9月9日

新千歳空港に降り立つと、本州と異なり、冷気が差し込みます。海外を含め、どこの被災地にも同じ服装で向かいますが、1日前、正確には2日前の中東は気温が高く、すぐに汗がにじみ出ました。北国に来た実感がしました。レンタカーを運転して、最大の犠牲者を出した厚真町まで、約43キロの距離を高速道路「道央自動車道」で向かいます。高速道路でしたが、地震の影響で時速50キロに制限されていました。

札幌(さっぽろ、アイヌ語「サッポロペツ」〔乾いた大きな川〕に由来)とは逆方向の苫小牧(とまこまい、アイヌ語「トーマコマイ」〔沼のある川〕に由来)方面へ走ります。真っ暗闇です。行き交う車はほとんどありません。不気味です。「あの世」の地獄に通じているかのような恐怖感が襲います。アイヌ語の「アツマト」の当て字である厚真(あつま)町を目指します。アツマトは、湿原にアシの茂る場所を意味します。普通なら40分もすれば目的地へ着く距離にもかかわらず、何時間も運転しているかのようです。高速道路の左右の街並みも電気が消えていました。災害現場へ急行するときは、これまでも同様の経験をしてきました。「厚真町はまだか」と自問しながら、ハンドルを握る手の圧力が増し加わります。当時は、震源地である胆振(いぶり)地方中東部で捜索が行われていましたが、目を凝らして人気を見いだそうとしても、人気はありませんでした。

第1次北海道地震ボランティア(1)全道ブラックアウトの中を車で厚真町へ 岩村義雄
筆者(左)と厚真町の近藤泰行副町長=9月10日

9日夜11時半ごろ、厚真町の役場に到着すると、不眠不休で取り組んでいる役場の人たちがおられました。炊き出しのことを申し上げると、中に案内されました。社会福祉協議会、ボランティアセンターとは別に救援センターがあります。そこが600人近くの避難者を把握しておられました。食材の必要数を確認しました。100〜200人単位の人々が避難している避難所6カ所をどのように網羅すべきか、初めての経験で戸惑っておられました。私たちはマンパワー、食材を投入することになります。(続く)

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岩村義雄

岩村義雄(いわむら・よしお)

2001年以降、被災者に寄り添う「ボランティア道」や「田・山・湾の復活」を展開。海外ではネパール、バヌアツ、ベトナムなど5カ国で孤児の施設に取り組み、日本の里親からひとり毎月3千円の教育費を大人になるまで直接届けている。国内ではタコ(他己)の精神で、熊本・大分地震や九州北部豪雨の松末(ますえ)、西日本豪雨などの被災地に翌日には現地入り、炊き出しや傾聴ボランティア、ドロ出しなどを実施。鬼怒川や丹波の水害被災地も訪問し、東北には3・11直後から85回以上訪問。神戸国際支縁機構会長、「みんなで『死』を考える会」会長、「阪神宗教者の会」代表世話人、神戸国際キリスト教会牧師、「カヨ子基金」代表、神戸新聞会館講師。

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