永遠瑠マリールイズさん ルワンダの内戦を生き抜いて(1)

2016年11月7日12時13分 記者 : 守田早生里 印刷
+永遠瑠マリールイズさん ルワンダの内戦を生き抜いて(1)
講演を行う永遠瑠(とわり)マリールイズさん。神奈川県ユニセフ協会主催で行われた講演会には、約30人が集まり、マリールイズさんの話に熱心に耳を傾けた=3日、横浜YMCAで

1994年4月、当時のルワンダ大統領暗殺に端を発したジェノサイド(大虐殺)。内戦下にあったルワンダで、暗殺の翌日から部族同士の争いが激化。わずか3カ月間で、およそ50万人から100万人が虐殺されたといわれている。

この内戦を経験し、現在は日本に帰化したルワンダ人女性、永遠瑠(とわり)マリールイズさんが3日、横浜YMCAで講演を行った。主催したのは神奈川県ユニセフ協会。3年前、日本国籍を取得する際に漢字の名前を付けるに当たり、「永遠にルワンダを忘れない」という意味を込めて「永遠瑠」としたという。

マリールイズさんは小学生の時、学校の授業で初めて日本のことを勉強した。中学生になると、日本の広島と長崎という場所に世界で初めて原爆が落とされたことも勉強した。カトリック教徒のマリールイズさんは、特に長崎には思いを寄せ、祈りをささげていたという。ルワンダが国として独立した後から現在まで、日本からの支援は多岐にわたり、初めて銀行ができたときの総裁は日本人だったこともよく覚えていると話した。また、ルワンダに走る8割近くの車は日本産だと言い、特に人を乗せて運ぶバスには、日本の旗とルワンダの旗が飾られていることから、多くの子どもたちが幼いうちから日本のことを知っていると話した。

ルワンダの水道の普及率は、現在でもなお15パーセントほどだと言い、「水道の普及率はその国の教育にも大きく影響するのではないかと思います。日本がこれだけ、教育が行き届いているのも、蛇口をひねれば、きれいな水が出てくるという恵まれた生活環境があるから。皆さん、毎朝、水道の蛇口をひねるとき、感謝してくださいね。世界には、一生、水を汲む仕事をして終わっていく子どもたちが大勢いるのですから」と話した。

マリールイズさんは、ルワンダで洋裁の教師として働いていた。夫と3人の子どもと共に、幸せな生活を送っていた。1993年には、青年海外協力隊カウンターパートナーとして、10カ月間、日本の福島県で洋裁の研修も受けた。この時の経験が、その後の彼女の人生を大きく変えた。

研修を終え、ルワンダに帰国して2カ月後、この国を大きな悲劇が襲った。1994年4月のルワンダ大虐殺。その渦中にいたマリールイズさんは、この経験を語る前に静かに「こんな経験は、もう誰にもさせたくない。戦争は絶対にダメです」と話した。

その日は、突然訪れた。単身赴任の夫を除く3人の子どもと食事をとり、楽しく話をしている時だった。大統領の乗った飛行機を撃ち落とすミサイルの音を聞いた。「あれが、生まれて初めて聞いたミサイルの音でした。本当に恐ろしかった。一発の爆弾で全てが破壊されてしまうのです。よく、ニュースでは『民間人が戦闘に巻き込まれないように』と話していますが、あの言葉が大嫌い。一発の爆弾が落ちたら、全てが終わり。その下に、本当に誰もいないって誰が分かりますか。その下には、逃げ惑う一般市民がたくさんいるかもしれない」と話した。

直後から、ルワンダ国内では、電気が止まった。暗闇の中、カーテンを開くと、外では煌々(こうこう)と光るミサイルが町に落ちていくのが見えた。次の朝、前日まであったあの日常には、もう誰も戻ることができなかった。

それから1週間後、とうとうマリールイズさんが住んでいた場所の4キロくらい先にもミサイルが落とされ、いよいよこの街も危ない・・・と身の危険を感じ、家を出る決心をした。皆がバラバラにならないように幼い子どもを背中に、2人の子どもの手をしっかりと紐でしばりつけて、ハンドバッグ1つを肩からかけて家を出た。講演後のインタビューでマリールイズさんは、「このハンドバッグは、神様が持たせてくださったもの。『奇跡のハンドバッグ』と私は呼んでいるのよ」と話してくれた。

家を出た一家はひたすら歩いて、安住の地を求めた。しかし、行けども行けども、ルワンダから逃れる隊列は終わることがなく、気が付けば50キロほど幼い子どもたちと共に歩いていた。「皆さん、難民キャンプって聞いたことがあるでしょう。イメージでは、避難所のようなものだと思うでしょう? すでにキャンプが設置してあって、そこに人がなだれ込むような・・・。それは違います。人が1人疲れ果ててその場に座り込む。もう1人、2人、3人・・・と増えていくうちに、そこに大勢の人が溜まるようになる。そうすると、ようやくそこに支援物資などが届くようになるのです。その時には、すでに赤痢、コレラが蔓延(まんえん)して、死者も出始めている頃です」と語る。

幼い子どもと歩いた50キロの道のりを振り返り、「人間って、よくこんなに力があるな」と思ったと話した。食べるものは何もなく、ひたすら歩くだけ。どんな状況でも、子どもは母親を信じ、泣きながら歩を進める。「お母さん、おなかが空いたよ」という子どもに、ひとかけらのパンもあげることができない。すでに何日も食べていない子どもは瀕死(ひんし)の状態であった。

しかし、奇跡のハンドバッグには、少しのお金が入っていた。後ろを歩く男性が最後のパンを売ってくれるという。価格は、通常価格の数百倍の値段だったが、幸い、ハンドバッグの中には、お金が入っていた。そのパンを買い、中を開けてみると、カビだらけ。通常の状態なら食べないようなパンだが、極限状態だった一家は、カビの部分だけを取り除いて、食べられるところを少しずつ分けて食べた。すると、見る見るうちに子どもたちの容態は回復した。

難民キャンプには、ファクスができる不思議な機械があることを知った。マリールイズさんは、福島にいる友人に、研修当時、ホームステイした家庭のおばあちゃんが厳しく教えてくれた平仮名で「たすけて」と書いて、ファクスを送ろうとした。

機械の前で並んでいると、難民キャンプに岡山県から支援に来ていた医師が彼女に「キミ、日本語できるの?」と話し掛けてきた。「はい」と答えると、「日本語ができるなら、通訳をしてほしい」と言われ、医療支援を行っているテントで、通訳をすることになった。「奇跡のハンドバッグ」には、この時に必要なフランス語と日本語の辞書が入っていた。当時、子どもたちが赤痢にかかり、不安な日々を過ごしたが、日本の医師からの支援で回復。マリールイズさんの通訳により、難民キャンプ以外の周辺地域にも訪問し、多くの人々を助けることができた。

同年12月、研修時代の友人らの尽力により、一家で再来日が実現した。「安心して、ぐっすり眠れた夜を私は一生忘れません。当時、私のおなかには新しい命が宿っていました。来日して、日本で出産することで、母子手帳にも出会いました。母子手帳は素晴らしい。生まれる前から、母親が子どもの命を大切に育む記録が記されています。私は、この文化をぜひルワンダにも広めたいと思っています。残念なことに、当時、日本で生まれた娘と同時期に妊娠し、難民キャンプで出産した友人4人の子どもは亡くなってしまったと聞きました。難民キャンプでの出産は、非常に危険なのです。戦争は絶対にダメ」と話した。

「神様は、必ずそばにいてくださいます。生きていれば、必ず明日がある。聖書の教え通り、神様は必要な時に必要なものを与えてくださる。奇跡のハンドバッグがそうであったように」と話し、講演の一部を終了した。続きはこちら>>

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