貧民救済に命賭けて―山室軍平の生涯(2) 悲しい出会い

2015年2月28日12時15分 執筆者 : 栗栖ひろみ 印刷
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松浦鳳之進の元に下宿してから一カ月ほど経ったある日。築地活版所で少年職工を求めているという知らせが来たので、直ちに軍平は紹介状を持って向かった。面接に通り、いよいよ社会人としての第一歩を踏み出したわけである。月給8銭で、午前7時から午後5時まで、昼休みの30分を除いてびっしりと仕事に縛られる毎日であった。彼の仕事は雑役で、主として使い走りであった。初めの一カ月は激しい労働のために足が棒のように固くなり、夜中に膝が痛んで眠れないことがあった。それでも、初めて経済的に自立できた喜びは深かった。

その頃、家出をした彼を捜し回っていた杉本家から手紙が届いた。あれほど目をかけ、実の子同様に思ってきたのに、ひと言もあいさつなしに家を出るとは何事かと、弥太郎は書いてきた。軍平は涙を流しながら手紙を書きつづり、どうしても東京で勉強したいこと、そして日本から貧困をなくすために、将来大きな仕事がしたい旨を訴えた。この手紙に対して弥太郎は激怒し、離縁状を送りつけてきたので、軍平は再び山室の性を名乗ることになった。

この頃には何かとつらいことが重なった。もう一つは、過労と栄養不足から脚気(かっけ)になったことだった。足が紫色に腫れ、立ったり座ったりするのにひどい苦痛を覚えたが、彼は一日も休まずに職場に通った。

ところで、この築地活版所の支配人曲田成(まがりだ・せい)は、ことのほか軍平が気に入り、目をかけてくれた。給料の面でも少しずつ改善するよう取り計らってくれたので、8銭から12銭になり、やがて27銭になった。また、仕事も雑役から文選、そして検字課を経て欧文課に昇格した。これは英文の活字の注文に対し、それを取り揃える役目だった。これは語学の知識をわずかでも高めることになり、彼は知識の不足をさらに埋めるために読書に励んだ。この頃になると、少しは経済的な余裕もできたので、京橋区山下町にある英語学校の夜間部に通ったり、発行されたばかりの早稲田専門学校とイギリス法律学校の講義録をとって政治、経済、法律などを勉強した。

この活版所には200人近い従業員がいたが、ほとんどが教養のない、粗野な男たちだった。彼らは、新しく仲間入りした軍平があまりに真面目なので、何とか自分たちと同じようなことをさせたくて仕方がなかった。

「おい、おまえも少しは酒をやれよ」
「タバコも吸えないようじゃ、一人前の男じゃないぜ」

軍平は、仲間はずれにされるのが嫌だったので、無理に同じことをして見せた。彼らは軍平が一人離れて本を読んでいたりすると、邪魔したり、からかったりした。

その後、軍平は同僚に勧められて寄宿舎を出、京橋区本湊町のある家の二階に下宿することになった。そんなある日のことである。隣の部屋があまり騒がしいのでそっとのぞいてみると、いく組かの男女がもつれ合い、淫(みだ)らな行為にふけっていた。そのとき、初めて彼は自分が借りた家が売春宿であることに気づいた。すっかり気色が悪くなって自分の部屋に戻ろうとすると、まだ年もいかない少女が手をつかみ誘ってきた。その顔は土色で、苦しそうにぜいぜいと息をついている。

「ね、お願い」と、少女は言った。
「あたしの部屋で遊んで、お兄さん。お客を取らないと、ここ追い出されちゃうの」
そこへ人相の悪い男がやってくると、いきなり少女を張り倒した。
「おいっ! 客はどうした」
そして、その腕をつかんで引きずって行こうとした。
「ちょっと待ってください」
軍平はたまらなくなって自分の部屋に行くと、こつこつ貯めた一円を握って戻ってきた。
「これでこの人を自由にしてやってくれませんか」

男はせせら笑うと、こんなはした金じゃ3時間くらいしか貸せないぜと、一円を引ったくって行ってしまった。軍平は、少女を部屋に連れて行くと話を聞いてやった。

「あたし、おっ母さんが病気で薬代もないから、身売りしたんです。でも、ひどい人に買われて体はもうボロボロ。あたしを助けてくれる人なんかいるわけがない」
まだ幼い顔の娼妓(しょうぎ)はせき込み、あえぎながら言った。
「今に自分が学問をして偉くなったら、きっときみをここから出してあげるよ」
夢中で軍平が言うと、彼女は色あせた唇で微笑した。そして、こう言った。
「お兄さん、きっと迎えに来てね」

続く:キリスト教に入信する

■ 貧民救済に命懸けて:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(最終回)

栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(イーグレープ、2015年4月)がある。

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