クリスチャン憲法学者・稲正樹氏、「いま起こっていることを正確に認識して、それを押しとどめる行動を」(2)

2014年6月30日13時50分 インタビュアー : 行本尚史 印刷

―― 今後の展望についてどのように考えておられますか?

一つか二つ申し上げたいと思いますけども、一つは、為政者がいてそこで内閣が解釈を変えるということをいましようとしているわけですね。しかしそれは与党の中だけで、小さいところでしゃべっているだけです。それを実際に具体化しようとする場合には、法律を変えていくという作業が秋口から行われようとしているわけですけれども、やはり国民がこの問題を自分たちの問題として真剣に考えて、やはり大きな世論を作ることによって、例えば国会の議論の中で、いま野党が全く見えない状態ですけども、野党のみなさんも、あるいは与党の人たちも合わせて、国民がこの問題についてどう考えていくのかということを、そういう声を知れば知るほど粛然とするといいますか、居住まいを正すということがあると思うんですよね。

そういう意味で国民がこの問題についてどれだけ自分のものとして立ち上がっていくのかということが、まず一番大きな課題になると思いますね。

それから二番目は、これはちょっと先の話になりますけれども、アメリカとの関係はいかがでしょうか。アメリカは去年の12月に安倍さんが靖国神社に行ったことについて非常に強い失望といいますか、不満を述べた。その前に、アメリカから来ている国務長官や国防長官は千鳥ヶ淵に参っておりますので、それは日本の安倍政権に、「靖国に行ってはいけないよ」ということの一つの表れだったと思うんですね。そして、昨年来、政権が成立しましてから、例えば従軍慰安婦の問題についての河野談話や、あるいは植民地支配と侵略によってアジア諸国民に多大の損害と苦痛を与えたことについて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明した「戦後50周年の終戦記念日にあたって」の村山談話を見直したいという、いわば歴史を変えていくというような歴史修正主義的な動きがありました。そういうものに対しても、アメリカからこれを見てみると、日本の政権はアメリカが考えている部分を遥かに逸脱して反ファシズム戦争の正当性を否定したり、あるいは中国・韓国との関係を極限までに悪化させて、尖閣などで武力行使も辞さない、日中戦争も辞さずという、究極の右翼的な政権に見える。広い意味で考えますと、アメリカが軍事的な予算をさまざまに減らす中で、日本への働きを強めていくという中では、この集団的自衛権の憲法解釈の変更というのはアメリカにとって非常にメリットがあるわけですけれども、しかしそれ以上のあからさまな憲法改正の道というのは、それはいくら何でもそこまでいくのは問題であるというような立場が、これまでジャパン・ハンドラーと言われるような阿吽(あうん)の呼吸でやってきた人々の中でも、そこまでやるのはちょっとどうかなという風に思っているところもあるような印象を持っております。

そうしますと、外圧頼みになってしまうというのは甚だ残念なことですけれども、これをめぐる問題について、アメリカが、何らかの(形で)安倍政権がある段階までくれば抑えるという、そういう身の処し方をすることもあるのかなというような気がいたしますけども、これはわれわれが働きかけることのできる場所とは別のところで起こってくることですので、そういう希望も若干持っております。

三番目は、これは大きな問題なんですけども、裁判所の問題があると思うんですね。裁判所は、憲法9条の下では、自衛隊の合憲性の問題についても司法的な判断は出していないというのが現状ですね。この問題について積極的に何か判断ができるということではなくて、いわば政治部門に下駄を預けるという形になっていて、非常に、自分たち自身がこの問題にタッチしたくないというような消極的な姿勢であることは確かですけれども、しかし他方で、平和に生きる権利というのが、長沼裁判以来、この前の2008年の名古屋高裁による自衛隊イラク派兵差し止め訴訟の違憲判決でも語られていました。そういう意味で、これから日本が戦争・戦時派遣をしていって、具体的な場面で死に直面していくような自衛隊員やその家族の人たちが出てきた場合に、日本の裁判所は具体的な事件が起こらないと判断をすることができないという問題がありますけれども、そしてまた政治的決定がなされる国会が依然として民主主義の主戦場ではありますが、個別の事件において憲法9条、あるいは平和に生きる権利ということを基にして、この種の、集団的自衛権に向かう政策を押しとどめる判決、司法判断というのも、十分出てくる可能性があるというような気がいたします。これは、今後のことになるかと思いますけれども、そんなようなことも少し考えております。

―― 稲先生は『時代を刻んだ憲法判例』(尚学社、2012年)にある「長沼事件」に関する論文で、「テロと反テロ戦争の横行する新しい戦争の時代においても、一番小さく弱い人々に着目して、恐怖と欠乏から解放される世界秩序の構築を日本国と日本国民の使命として努力することを、日本国憲法は要請している」と書いておられますね。この本で稲先生はさらに、「したがって、長沼事件1審判決が私たちに投げかけている今日的課題として、とりわけアジアとの関係では第1に、北東アジア非核兵器地帯の実現に全力で取り組み、第2に、戦後補償問題の法的・政治的解決を実現し、そして第3に、アジア諸国(民)との和解、相互協力の成果として『東北アジア地域平和憲章』の策定と『東北アジア地域機関』の設立に向けた取り組みを進めていくべきである」と書いておられます。現時点でこれらをどのようにして実現していくことができるとお考えでしょうか?

こういう風に考えています。一つは、日本国憲法というのは、確かにアジア太平洋戦争を行った日本に対して、連合国側が「punitive peace(懲罰的平和)」と言いますか、懲罰的な姿勢を示すものだった。そのためには、具体的に、武装解除をしたり、軍隊を持たないということが憲法の中に盛り込まれていたわけですけれども、しかしもう一つの面からしますと、アジアのほうから、例えば中国とか韓国とか朝鮮とか、つまり、日本の侵略を受けた側からこの問題を見てみますと、やっぱり、一種のアジアに対する不戦の誓いといいますか、私たちは日本はもう二度と戦争をしない、と。そしてしないための国家の基本法として、こういう、軍隊を持たないとか、あるいは武力によって威嚇しないという、国の基本的な姿勢を示したようにも思うわけですね。

ところが、これは私が思っていることなんですけれども、実は日本は明治以来、自分たちが行ってきたことについて、植民地支配についてきちっとした総括をしてこなかったような気がするんですね。どういうものであったのか、何をしたのか、あるいはわれわれが実際に植民地の中で日本という国家がどういう被害を具体的に与えていたのかということを、お互い議論しなかった。その議論しなかった一つの理由は、冷戦が始まり、その中で punitive peace から反共の一つの同盟国として日本が位置づけられた。そして共産主義に対する当面の敵対的なところは、韓国や台湾などいわば反共のフロントライン(最前線)のところが担っていて、日本は後背地であって、その中で例えば憲法というものを、アメリカから軍事的な予算を増やすことを要求されると、「いやいや、私たちには憲法があって、平和主義ですから、そういうことはできません」というような形で、いわば体制側の人たちが憲法を口実にして外圧を抑えるというような構図で、相対的に軍事的な小国というものを維持してきた。確かに軍事的小国主義だったわけですね。

でも、よく考えてみると、冷戦の時代もそして戦争が終わってすぐの時代も、植民地の問題について、私たちは真剣に考えてこなかったと思います。ですから依然として、従軍慰安婦の人たちに対して再調査をするとか、強制連行があったとかなかったとかいうレベルで議論しているわけですけれども、何をしたのかということをきちっと歴史のいわばまとめをしてこなかった。その結果、現在のような状況が生まれてきたのではないか。今までは歴史認識について、中国との問題についても韓国との問題についても、そんなに厳しい状況が生まれてこなかったわけですけれども、そういう歴史の問題を、あるいはアジアの問題を考えていくための一つの作業というのをまだ果たしていないような気がするんですよね。

そうすると、例えば、歴史的に和解していく、そういう問題についてきっちりやっていく。あるいはここで言っている二番目の戦後補償についてのさまざまな問題ですけれども、戦後補償について、被害を受けた人たちがどんどん亡くなっていって、しかし韓国の人たちに言わせると、恨(ハン)は残るわけで、憎しみや非常に不幸な感情というのは、世代を超えて続いていくわけですよね。そういうものを解決していく一つの拠り所になっていくようなものが、特にアジアとの和解というものが、今の平和主義の下で必要なことの一つかなというふうに思うんですね。

そのことをいくつかここに、非核地帯の問題とか、あるいは戦後補償の問題とか、あるいはこれはなかなかすぐには実現しないと思いますけれども、例えば鳩山(由紀夫)さん(元首相)の時にチラッと彼が言った「アジアの中で生きていく」、アメリカとの関係を見直して東アジア共同体を考えようという議論を彼はしていましたけれども、そういうような東北アジア、あるいは北東アジアの中で、地域的なある種の共同体を創っていくというような考え方が必要かなと思っております。

君島東彦ほか編『戦争と平和を問いなおす 平和学のフロンティア』(法律文化社、2014年)で彼(君島氏)が最後に言っていたことをちょっとここでご紹介したいんですけれども、問題意識としては同じです。いま申し上げたのは東アジアから9条を見ると言いますか、これは立命館の君島さんという方(立命館大学教授、憲法学・平和学)の「六面体としての憲法9条」という面白い論文で、昨日ちょっと読んでいたんですけれども、9条ということが戦後の日本で戦争と平和を考える場合に私たちの中心的なものであったけれども、本当にトータルに的確に9条を理解していたかというと、どうも不十分だったんではないかということで、6つの視点からもう一度9条を、あるいは平和主義を見ることによって、全体像をとらえることができるのではないかという仮説なです。1. ワシントンから見た9条、それから2. 明治憲法(大日本帝国憲法)から見た9条、3. 日本の民衆から見た9条、4. 沖縄から見る9条、それから5. 東アジアから見る9条、そして6. 世界の民衆から見る9条、という6点を挙げているんですけれども、いま私が申し上げたのは、「東アジアから9条を見る」というところに関係したところです。

―― 多面的にということですね。

はい。

――「脱神話化」とありますね。

「脱神話化」(というのは、憲法9条を)何か金科玉条のようにやるのではなくて、もう一度解体していって、もう一度新しい視点から見ようよっていう指摘です。なかなか面白かったんですけども。(続く

■ クリスチャン憲法学者・稲正樹氏:(1)(2)(3)

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