正木弥

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なにゆえキリストの道なのか(164)神はなぜ人を裁くのか? 正木弥

神は人を自由意思を持つものとしてお造りになりました。その自由意思により、人は神に従うか、神よりも自分の考えを基に生きるか(即ち、自分を神の立場にするか)、どちらをも自由に選択できる存在とされました。

2018年10月13日20時22分

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なにゆえキリストの道なのか(163)救われた後の人生の意味は? 正木弥

救われた後の人生の意味は何か。人のこの世の人生の意味は、キリストを信じて救われること。キリストに出会い、信じることが人生最大の課題、必須の仕事、不可欠の準備である、といえます。

2018年10月06日19時29分

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なにゆえキリストの道なのか(162)そんな「救い」なら、あまり欲しくない? 正木弥

人が今の世でキリストを信じたときは、その時点ですぐに罪が赦(ゆる)され、神の子とされます。しかし、肉体のからだはこの世にあり、普通の人と同じように、事故・事件・病気・苦しみなどの災難、不幸に遭います。

2018年09月29日10時01分

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なにゆえキリストの道なのか(161)今すぐでなくてもいいではないか 正木弥

確かに、イエス・キリストの十字架の横で十字架にかけられた人は、いまわの時にイエスへの信仰を告白したので、パラダイスに行く者とされました。パラダイス経由で天国へ行くことは間違いありません。

2018年09月22日23時17分

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なにゆえキリストの道なのか(160)ざんげは神父様にしなければならないのか 正木弥

「ざんげ」と言おうと「告白」と言おうと「悔い改め」と言おうと、それらは、神に対して罪を犯したことを悔い、「二度としない」という決心をすることをいいます。神に対してすることであって、第一次的には、人に対してすることではありません。

2018年09月15日21時12分

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なにゆえキリストの道なのか(159)神は愛の神なのにどうして地獄を造ったのか 正木弥

人間の心情はどうであれ、神は、その聖性に相反する者は受け入れることをしません。神がせっかく「罪の人間をなんとか救ってやろう」との格別の愛に基づき、大きな犠牲を払って設けてくださった福音の道を拒むなら、“聖性”の原則に戻らざるを得ません。

2018年09月09日18時13分

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なにゆえキリストの道なのか(158)鎌倉時代に生きた人は救われないのか 正木弥

神は、すべての人類に自然の良心を与えています。ですから、いつの時代の人も、悪事を行えば良心が咎め、内心でそれを考えると罪を意識します。むろん、その良心に従い、正しく生きようとする人もいます。

2018年09月01日6時38分

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なにゆえキリストの道なのか(157)正しい人でもキリストを信じないと救われないか 正木弥

人間の心は深いもの!その深いところを探ってみると、往々にして、いやらしいもの、ずるいもの、密かな敵意や憎しみ、恥ずかしい欲望などが潜んでいるものです。ここにそういった悪いもの汚いものが一切ない“正しい人”がいたとしましょう。

2018年08月25日9時19分

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なにゆえキリストの道なのか(156)人は善い行いをしないと救われないのか 正木弥

人は、なかなか善行ができません。すると、多くの人は救われないことになります。仮に、いささかの善行ができたにせよ、それの何倍かの罪を犯しています。善行は到底、罪を帳消しにするものではありません。

2018年08月19日17時24分

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なにゆえキリストの道なのか(155)回りくどいことをしないで、いきなり赦してくれたらいい? 正木弥

ベストセラーの「ふしぎなキリスト教」の中で共著者の大澤真幸氏は「この(設問)のように神様に提案したくなる」と語っています。しかし、それは十字架のあがないの真意を理解してない勝手な言い分であって、神はそんなことはしないのです。

2018年08月12日19時45分

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なにゆえキリストの道なのか(154)神が愛なら、なぜすべての人を救わないのか 正木弥

神の属性の一つは、人格があるということです。この属性に似せて人をお造りになりました。人は人格がある、つまり、自由に考えることのできる主体です。自由に考えるゆえに、神に背くこともできるわけです。

2018年08月04日19時10分

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なにゆえキリストの道なのか(153)信じたらこの世で具体的に何か良いことがあるのか 正木弥

キリストの神を信じたら良いことがたくさんあります。箇条書きにしてみましょう。これらは、お金がもうかるとか、病気が治るとか、進学や昇進がうまくいくとか、他人から良い評判を得るとか、そのようなご利益ではありません。

2018年07月28日19時19分

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なにゆえキリストの道なのか(152)「キリストを信じる」とはどういうことなのか 正木弥

キリストを信じるとは、キリストとなってこの世に来てくださった神を、自分の救い主として確信し、信頼し、その教えにより生きることです。知らないけれど「ただ信じよ」ということではありませんし、単に「本当だと思う」ということでもありません。

2018年07月21日6時50分

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なにゆえキリストの道なのか(151)「救い」とは何か? 正木弥

救いとは、一般的には窮地とか苦境からの助け出しをいいますが、特に、命の危機にあって死・滅びから免れること、すなわち「救出」を意味します。その場合、滅びも救いも全人生的なものです。

2018年07月14日21時38分

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なにゆえキリストの道なのか(150)何の取りえもない人は小さくなって生きるほかないのか 正木弥

内村鑑三の著書に『後世への最大遺物』という本があります。人がこの世で生きた結果、何を後世に残せるかという問題を、古今の実例を紹介しながら国民一般に語り掛けたものです。

2018年07月07日8時24分

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