藤崎裕之
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命の木はどこに行ったのか 再び創世記(その3)
命の木はどこに行ったのか。せっかくエデンの園に植えられたものだ。それは「神の命」を象徴しているものだから目に見えなくてよいのだ。と言ったら逃げになるだろうか。もしもわれわれが、命の木に手を伸ばしたら神の主権を侵害してしまうことになるから、考えるに及ばないことなのだろうか。
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命の木はどこに行ったのか 再び創世記(その2)
命と知識、どちらを尊び、どちらに手を伸ばすべきか。問い方を変えよう。知識がないと命は危ういか。そりゃそうだろう。この世で命を保っていくためには知識が必要である。
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命の木はどこに行ったのか 再び創世記(その1)
人間は死ぬ。のだろうと思う。死ななかった人間はいないというのは事実なんだろうが、今生きている人間もいずれ死ぬという前提は、実は生物学的な予測にすぎない。とはいえ、恐らくその予測は当たる。
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貧しさとは何であるのか(その3)
全くの偶然だった、とは言い難いのであるが、とにかくイエスの生前葬は行われたのだ。恐らくマリアはその時が来るのを待っていたのである。そのために高価な香油をたくさん蓄えていた。塗油は古くから行われている行為で、伝統教会では今も行われている。
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貧しさとは何であるのか(その2)
イエスが貧しい人々と共にあろうとしたというのは、事実だと思う。その「貧しさ」とは、お金がないことを意味することはもちろんであるが、お金といっても、それはいわゆる現金という意味ではなく、今日を生き延びるために必要な何かということであろう。
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貧しさとは何であるのか(その1)
今回取り上げるのは、イエスの葬りについてである。ベタニアでの会食と、それに続くマリアの塗油が意味することを考えてみたいと思う。そうではなく、考えたいのは、イエスを葬るということがわれわれにとって何を意味するのか、である。
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詩編の味わい―結論を見いださない何かが大事なのだ(その4)
イエスは、詩編22編の言葉を口にしながら息を引き取った。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27章46節)。これは、詩編22編2節にある言葉である。
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詩編の味わい―結論を見いださない何かが大事なのだ(その3)
詩編24編に、「城門よ、頭を上げよ。とこしえの門よ、身を起こせ」という言葉が繰り返されているが、「うなだれた城門」と表現すれば、これは現代人の姿と合致するかもしれない。
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詩編の味わい―結論を見いださない何かが大事なのだ(その2)
「わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑(くず)、民の恥」(詩編22編7節)。こんな言葉は簡単には書けないものだ。せいぜいが心の中で思い浮かべるくらいである。まあ、口にすることはあるかもしれないが、文字として残すのは遠慮したい。
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詩編の味わい―結論を見いださない何かが大事なのだ(その1)
どういうわけか、われわれ人間は言葉を持っている。それは神の創造の初めからそうなのだ。人間は自身の言葉によって神に応答することができた。神が「お前はどこにいるのか」とアダムに問うたとき、彼は彼自身の言葉で答えることができたのである。
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放浪も味わいであるが リベカの詐欺事件解毒(その2)
悪夢ではない。しかし、予想外ということはいくらでもある。たとえ夢であったとしても、神が自分に語りかけるなど、普通は想像ができない。神はそれなりの人間にお告げを知らせるのであろうし、その特別な人間を通じて神の言葉を聞くと考えるのが普通である。
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放浪も味わいであるが リベカの詐欺事件解毒(その1)
旧約聖書に書かれているイスラエルの歴史、その全てをキリストに結び付けることは私にはできそうにもない。つまり、「この箇所はキリストとどのように関係するのか」と問われても、答えられないことの方が多いのだ。
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共に苦しむのか、共に暴れるのか ガダラ考察(その2)
ガダラ人の地方にイエスと弟子たちがやって来た。ガダラはヨルダン川東岸の町で、イエスの時代はデカポリス、つまり10の町の1つだった。マルコ福音書が語るゲラサとは、同じ地方ということになる。
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共に苦しむのか、共に暴れるのか ガダラ考察(その1)
4つの福音書がいつどこで誰によって書かれたのか、誰もが興味を抱くことであろう。また、それぞれの内容は似ているところもあるが、出来事の細部には相当な違いもある。共観福音書と呼ばれているのは、マタイ、マルコ、ルカの各福音書である。
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危機感にあふれた時代に黙示録的な解毒(その3)
善行とは神の愛の実現であるというのは当たり前のことであるが、その善行においてこそ、しばしば人は争うのである。神の愛の実現において、「いと小さき者」の人権が守られ、公共の福祉が行き渡ることが肝心であるというのは、その通りではある。
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危機感にあふれた時代に黙示録的な解毒(その2)
ダメダメ人間であっても向上心というものがある。裏返せば、このまま死んだらキリストの審査でボロボロにされるという恐怖もあったりする。点数稼ぎもしなきゃならないからまだまだ死ねない。誰もが似たような感覚を持っているのではないだろうか。
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危機感にあふれた時代に黙示録的な解毒(その1)
今回はヨハネの黙示録でも取り上げてみようと思ったのであるが、どうも真剣に目を通す気にならないので、とりあえず20章を開いてみた。この書物は書き出しの1章からして、かなりダラダラしているように思う。
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望んでいるようには死んでもらえない(その3)
正直なところ、イエスの言葉は時に難解過ぎるのである。イエスは誰に対しても「わたしに従いなさい」と言われるのであろうか。多分、そうであろう。では、いつから従えばよいのか、と問われれば、「今」からというしかない。
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望んでいるようには死んでもらえない(その2)
父が97歳で死んでから半月以上になったが、まだ私の心はモヤモヤしている。その大半は、十分なことをしてやれなかったという後悔である。「十分なことしてやれなかった」というのは、父の信仰に同伴することができなかったという意味である。
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望んでいるようには死んでもらえない(その1)
人はこちらが望んでいるようにはなかなか死んではくれない。と書けば物騒な話ではあるが、要するに、美しいと思う死に出会うことなど、そう滅多にはないということである。キリストを信じているなら、それにふさわしい死に方というものはあるのだろうが。
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