記事一覧
-
脳性麻痺と共に生きる(23)養護学校高等部合格発表の日 有田憲一郎
高等部の入学試験が終わった翌日、僕は「おはよう」といつも通り迎えに来てくれるスクールバスに乗り、学校に行きました。学校に着くと、担任の先生が迎えてくれ、いつもと変わらない学校の光景がありました。
-
脳性麻痺と共に生きる(22)養護学校の高校受験 長く感じた入試当日 有田憲一郎
養護学校(現在の特別支援学校)に通う子どもたちには、学校に毎日通いたくても、体が弱かったり検査や治療などの事情で休まざるを得ない子もいます。精いっぱい与えられた命を生きながらも、障碍(しょうがい)や病によって悲しくも短い生涯を終えてしまう子がいる現実もあります。
-
脳性麻痺と共に生きる(21)弟に「ありがとう。そして・・・ごめんね」 有田憲一郎
それは、僕が中学か高校生の頃だったと思います。他界した父が、僕にこんなことを言ったのを思い出します。「憲は障碍(しょうがい)者の見本となるような生き方をしていくんだ」。その言葉を聞いたとき、僕は「何を言ってるの?」、そう思った記憶があります。
-
脳性麻痺と共に生きる(20)「福祉が嫌い」という言葉への苦い記憶・その2:いつも学校に父がいた
他界した父は、僕が小学4年生から高校2年生までPTAの役員や会長を務めていました。「PTAの仕事って、毎日学校に行くの? 先生みたい。大変なんだね」。父はほとんど毎日のように僕が通う学校に行っていたのです。
-
脳性麻痺と共に生きる(19)「福祉が嫌い」という言葉にある苦い記憶 有田憲一郎
15年前のことになると思います。数人の仲間同士で集まり、たわごとのない世間話で盛り上がっていたとき、「私、福祉が大嫌い!」、そう言った仲間のことを思い出すことがあります。
-
脳性麻痺と共に生きる(18)障碍者は違う世界なの?パラリンピックと「バリバラ」から考える 有田憲一郎
今回のパラリンピックは、特に面白いと感じています。それは、前回までに比べ、パラリンピックがテレビで放送される回数が増えたこともあると思います。
-
脳性麻痺と共に生きる(17)なんだかパラリンピックが忘れられているような 有田憲一郎
今まさに障碍(しょうがい)を持つアスリートたちの熱き戦いが繰り広げられています。しかし、どうしてパラリンピックは大々的に広く取り上げられず、テレビなどで放送されないのでしょう。それは、健常者中心に動いている社会という現実と関係しているのかもしれません。
-
脳性麻痺と共に生きる(16)水族館で感じたもの 有田憲一郎
電話を1人でかけることが難しい僕は、普段から仲間との連絡や仕事のやりとりなど、全てパソコンのメールがほとんどです。インターネットなどの普及によって、僕のような障碍(しょうがい)を持つ者にとって世界が広がり、生活や人とのつながり、関わりを大きく変えてくれています。
-
脳性麻痺と共に生きる(15)相模原殺傷事件から3週間を経て今感じていること 有田憲一郎
神奈川県相模原市の障碍(しょうがい)者施設で起きた元職員による入所者を狙った殺人事件から、時間だけが進んでいるような気がします。怒りしか出ないあり得ない驚愕(きょうがく)といえる事件が起き、前回、僕は急いでパソコンに向かいました。
-
脳性麻痺と共に生きる(14)相模原障がい者施設殺傷事件:障碍者から最も大切なものを奪った 有田憲一郎
26日、神奈川県相模原市にある障碍(しょうがい)者施設で「元職員」と名乗る男が刃物を持って施設に押し入り、施設入所者を刃物で襲い19名の死亡者と多くの軽傷者と重傷者を出した痛ましい事件が起こりました。
-
脳性麻痺と共に生きる(13)旅は生きた授業 有田憲一郎
前回「漢字を歌番組とワープロを使って覚えた」という話を書きました。実はそこには、もう1つ僕ならではのユニークな覚え方と勉強法がありました。
-
脳性麻痺と共に生きる(12)漢字が読めないでいた 有田憲一郎
養護学校(現在の特別支援学校)を卒業後、僕は板橋区立高島平福祉園という生活実習所に通い始めました。学校を卒業し「もうこれで、勉強をしなくてもいいんだ」という喜びと同時に、社会人としての自覚と責任の重みというものを感じつつ、その当時を過ごしていたと思います。
-
脳性麻痺と共に生きる(11)僕の最終学力 有田憲一郎
足の手術が終わり、入院生活で身に付け始めた自分の意志というものを両親が尊重してくれ、僕は整肢療護園(現在の心身障害児総合医療療育センター)を退院することになりました。
-
脳性麻痺と共に生きる(10)自分の意志を持った 有田憲一郎
小学校3年生の夏休みに足の手術を受けるため、整肢療護園(現在の心身障害児総合医療療育センター)に入院し、2学期から僕は筑波大学付属桐ヶ丘養護学校(現在の特別支援学校)の通院部に転校することになりました。
-
脳性麻痺と共に生きる(9)勉強を知った僕 有田憲一郎
「日本の教育レベルは、素晴らしい」と僕は思います。北から南。そして数ある離島のどこの地域で暮らしていたとしても、全ての子どもたちが学校に通え、誰もが同じように同じ内容の必要な教育を受けることができます。
-
脳性麻痺と共に生きる(8)あれから5年~僕が経験した震災~ 有田憲一郎
忘れることもできない日があります。それは、決して忘れてはいけない日でもあります。3月のこの時期になると、あの日の恐怖が昨日のように僕の脳裏によみがえってきます。
-
脳性麻痺と共に生きる(7)幼少時代―初めに「か」ありき 有田憲一郎
脳性麻痺の障碍(しょうがい)を持って生まれてきた僕は、腕や足などが曲がり、体全体がまるで石のように硬く「逆さまに吊り上げても、全く動かなかった」と、母は当時のことを懐かしむかのように語ってくれたことがありました。
-
脳性麻痺と共に生きる(6)こうして僕が生まれた 有田憲一郎
僕は1971年に東京で生まれました。生まれつき“脳性麻痺”という障碍(しょうがい)を持って生まれてきました。母子手帳を見ると「良好。至って健康。問題なし」と僕が生まれた当時の記録が残っています。
-
脳性麻痺と共に生きる(5)韓国の空港で 有田憲一郎
「旅に出よう」と決め、旅の当日を迎えるまで。それはものすごく長く感じます。「早く行きたい」というワクワク感や期待感、「そこに楽しみがある」と思うと、いろんな想像を膨らませ余計に長く感じてしまいます。
-
脳性麻痺と共に生きる(4)テゼ・東アジア韓国大会の思い出② 有田憲一郎
大会の4日目には交流会が行われました。各国の参加者がそれぞれ考え、歌や踊り、ゲームなどを披露し、盛り上がりました。僕はこの交流会にとても大切な時間を感じています。ある意味においては、テゼの大会で僕が最も大切にしている部分でもあります。
人気記事ランキング
-
日本人に寄り添う福音宣教の扉(218)音楽葬とは?その意味と特徴 広田信也
-
アメリカ合衆国長老教会、性自認や性的指向に基づく差別を禁じる教憲修正案を正式承認
-
保育の再発見(28)カスハラから見る未来の保育像
-
花嫁(22)真夜中に 星野ひかり
-
世界のクリスチャン700万人が参加、テクノロジー駆使した25時間集会「Gather25」
-
シリアの「キリスト教徒虐殺」は根拠ない 現地人に危険もたらすと迫害監視団体が警鐘
-
サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(15)不幸な子どもへのとりなし
-
癒やしの勝利を求めて祈ろう 万代栄嗣
-
バチカン、教皇フランシスコの写真公開 2月の入院後初めて
-
ワールドミッションレポート(3月21日):リビア よみがえりの主の幻を見た改宗者、大胆な宣教により死刑判決
-
パリ外国宣教会、所属司祭らによる性暴力の報告書を公表 日本でも被害訴える声
-
シリアの「キリスト教徒虐殺」は根拠ない 現地人に危険もたらすと迫害監視団体が警鐘
-
世界のクリスチャン700万人が参加、テクノロジー駆使した25時間集会「Gather25」
-
鈴木結生著『ゲーテはすべてを言った』 牧師の息子が書いた芥川賞受賞作
-
日本キリスト教病院協会、新会長に笹子三津留氏
-
罪とは都合の良い言葉である(その1) マルコ福音書14章27-31節
-
バチカン、教皇フランシスコの写真公開 2月の入院後初めて
-
アメリカ合衆国長老教会、性自認や性的指向に基づく差別を禁じる教憲修正案を正式承認
-
キリストを待ち望む 岡田昌弘
-
癒やしの勝利を求めて祈ろう 万代栄嗣
-
日本は性的人身取引が「野放し」 支援団体代表者らが院内集会で報告、法規制強化を要請
-
カトリック作家の曽野綾子さん死去、93歳
-
鈴木結生著『ゲーテはすべてを言った』 牧師の息子が書いた芥川賞受賞作
-
教会で斬首されたキリスト教徒70人の遺体見つかる コンゴ東部北キブ州
-
熱心な仏教徒の青年が救われた実話がベースに 伝道用トラクトを無償提供
-
バイセクシャルの黒人女優シンシア・エリボがイエス役に 配役巡り批判の声も
-
パリ外国宣教会、所属司祭らによる性暴力の報告書を公表 日本でも被害訴える声
-
リック・ウォレン牧師、十字架にまつわるSNS上の政治的投稿を削除し謝罪
-
「苦しみ」と「苦しみ」の解決(2)見える困難に「苦しみ」を覚えるメカニズム 三谷和司
-
日本キリスト教病院協会、新会長に笹子三津留氏