脳性麻痺と共に生きる(9)勉強を知った僕 有田憲一郎

2016年4月8日20時25分 コラムニスト : 有田憲一郎 印刷
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「日本の教育レベルは、素晴らしい」と僕は思います。北から南。そして数ある離島のどこの地域で暮らしていたとしても、全ての子どもたちが学校に通え、誰もが同じように同じ内容の必要な教育を受けることができます。

「学校に行きたくない。なんで、勉強しないといけないんだ」と子どもの頃、誰もが1度は思うものではないでしょうか。でも進学して必要な知識や常識や人間関係などを学び、身に付けて社会に出たとき、「学校に行ってよかった」とあらためて教育の大切さに気付き、教育や学ぶ重要性を身に染みて感じていくものなのかもしれません。

僕は障碍(しょうがい)を持って生まれ、小学生から高校を卒業するまで障碍を持った子どもたちが通う養護学校(現在の特別支援学校)に通い教育を受けていました。ところで養護学校の歴史やどのような授業が行われ、どのような教育が行われているのか、皆さんはご存じでしょうか。

1976(昭和51)年、ちょうど僕が小学1年生になる年、障碍児教育の完全義務教育化がスタートしました。それは、障碍児教育の大きな改革が行われた時代でした。これによって、どんなに重度な障碍があっても学校に通い、通うことの困難な障碍児には教師が家庭を訪問し、教育を受けることができる訪問学級という制度もでき、全ての障碍児が必要な教育を受けることができるようになったのです。

養護学校自体は以前からありましたが、それまでは学校に通い教育を受けるには、厳しい試験や幾つかの条件がありました。例えば「自分で身の回りのことができるか」とか「授業に付いていけるか」「言っている内容を理解することができるか」「時間を守れるか」「集団生活が送れるか」などなど。現在のお受験のような感じです。

それらをクリアできない障碍児たちは、学校に通うことができなかったのです。多くのお母さん方は「何とか教育を受けさせよう」と子どもと毎日学校に一緒に行き、子どもの身の回りの世話をし、必要な教育を受けさせていたというような話を耳にします。もし障碍児教育の義務教育化がされていなかったら、僕は学校で教育というものを受けることができなかったかもしれません。

僕は、東京都立大泉養護学校(現在の大泉特別支援学校)の高等部を卒業しました。ほとんどの養護学校は小学部から高等部まであり、12年間同じ校舎で学ぶことができます。そんな中、僕は東京都内の養護学校を2回ほど転校しました。

初めは都立北養護学校小学部に入学し、足の手術をするために小学3年生の時に整肢療護園(現在の心身障害児総合医療療育センター)に入院し、国立筑波大学付属桐ヶ丘養護学校の通院部に転校しました。

手術が終わり退院すると、新しく開校した大泉養護学校に転校し、小学4年生から高等部を卒業するまで通いました。僕にとって「この2回の転校が大きく成長させてくれた」と思っています。

僕が小学部に入学した当時、障碍児の義務教育が始まったのは先生たちにとっても初めてのことであり、「何をどのようにして教えて学ばせたらいいのだろうか・・・」と今まで行ったことのないような教育の取り組みが始まり、模索と試行錯誤の毎日だったろうと思います。

こうした中で小学部に入学した僕は、入院のため桐ヶ丘養護学校に転校するまで「勉強をした」という記憶が全くありません。僕の中では正直「学校は勉強するところ」ではなく「学校は、遊ぶところ」というふうに捉えていたように思います。

小学部に入学し、北養護学校に通った3年間の授業というものを思い出してみると、机や椅子に座って授業を受けていた記憶はありません。実際に受けていた授業の内容を思い出してみると、懐かしさと同時に「あの授業は、いったい何だったのだろう・・・」と疑問と不思議さを感じてしまいます。

教室にはじゅうたんがひいてあり、教室に着いたらじゅうたんに座って楽な格好で1日を過ごしていました。教科書やノートや鉛筆など使った記憶もありません。机や椅子を使うのは、給食を食べるときぐらいです。

普通校でいうところの社会や理科といった教科はなく、あるのは国語や算数、音楽ぐらい。しかしそれは、普通校で学ぶような内容のものとはかけ離れたものでした。先生方や僕たちは、国語のことを“ことばの時間”、算数のことを“かずの時間”と呼んでいました。

じゅうたんの上に楽な姿勢で座り、“ことばの時間”では模造紙に書かれた50音の表を見て覚え、発音の練習、“かずの時間”では、1から10までの数を覚える。そんな授業が3年間繰り返し行われ、何かを読むとか漢字を覚えるとか計算問題をするなどというようなことがありません。

また“おんがくの時間”では、体育館に行き、グランドピアノの近くで床に座り、『かごめかごめ』や『はないちもんめ』『鬼さんこちら』などというゲームを音楽に合わせてやっていました。小学1年生からの3年間は、勉強らしい勉強を全くしてこなかったのです。

足の手術を受けることになり、小学3年生の夏に入院をすることになった関係で、国立筑波大学付属桐ヶ丘養護学校の通院部に通うことになった僕は、大きく変わっていきました。そこでは養護学校とはいえ、学校の授業の内容は普通校と全く同じ内容とカリキュラムで行われていました。

それまで、学校には通っていたものの、勉強などというものをしたことがなかった僕は、教室に入ると正面の黒板に向かって机が並び、正面には教卓が置かれている本来の風景に驚いてしまいました。同級生となる同じ学年の子は、それまで見たこともない教科書を開き、ノートに鉛筆で先生の話を聞きながら何かを書いています。

初めて見る光景に僕は「何をしているんだろう・・・」とチンプンカンプンでした。やがて「みんな勉強しているのか。これが勉強というものなのか」ということに気付き、学校は勉強をするところということを初めて認識したような気がします。

同級生が隣の席で、何だか難しそうな小学3年生の授業をしています。その隣の席で僕は「1+1」や簡単な読み書きの小学1年生の教科書から勉強が始まります。勉強というものを知らなかった僕は、このような環境に巡り合い、同じ年代の子との学力や考え方の違いと自分の幼さに初めて気付き「僕はバカだったのか」と思い、悩み苦しみました。

そんなある時のこと、両親に「国語辞典買ってきて」とお願いし、国語辞典を買ってきてもらいました。両親は、驚きながらも国語辞典を買ってきてくれました。使い方も調べ方も、書いてある文字も読めず、内容すら理解できない中で国語辞典を持ち歩き、病院に戻れば同級生に勉強を教えてもらっていました。

まるで1冊の本でも読むかのように国語辞典を1ページ目から開いてみたり、適当に開いては眺めてみたりしていました。僕は何を思っていたのでしょう。黒くなってきている仲間の国語辞典を見て、僕は「そうか!国語辞典をいじって黒く汚せば、みんなのように頭が良くなるのか」という奇想天外なことを思い、意味もなく、ただ国語辞典をベラベラとめくり始めました。

「憲ちゃん。国語辞典は、そうやって使うんじゃないんだよ。言葉の意味を調べるのに使うんだ。そして、調べながら覚えていくんだよ。黒くしたからって、覚えないよ。ちゃんと調べないと」。仲間からそう言われ、教えてもらった僕は、ちゃんと使い方を覚え「ねぇ、これは何!何て書いてあるの?」などと聞きながら、簡単な言葉の意味を覚えていき、やがて持ち歩いていた国語辞典は、本来の使い方で紙の節周りが黒くなっていきました。

病室の僕のベッドがある壁には大きな九九の表を貼り、学校から帰り病室に戻ると、毎日のように声に出して覚え、同時に「算数、教えてよ」と仲間や先輩に足し算や引き算、掛け算の計算問題を教えてもらっていきました。

こうして僕は、入院をしていた7カ月の間で「1+1」から九九の掛け算までできるまでになったのです。

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有田憲一郎

有田憲一郎(ありた・けんいちろう)

1971年東京生まれ。72年脳性麻痺(まひ)と診断される。89年東京都立大泉養護学校高等部卒業。画家はらみちを氏との出会いで絵心を学び、カメラに魅力を感じ独学で写真も始める。タイプアートコンテスト東京都知事賞受賞(83年)、東京都障害者総合美術展写真の部入選(93年)。個展、写真展を仙台や東京などで開催し、2004年にはバングラデシュで障碍(しょうがい)を持つ仲間と共に展示会も開催した。05年に芸術・創作活動の場として「Zinno Art Design」設立。これまでにバングラデシュを4回訪問している。そこでテゼに出会い、最近のテゼ・アジア大会(インド07年・フィリピン10年・韓国13年)には毎回参加している。日本基督教団東北教区センター「エマオ」内の仙台青年学生センターでクラス「共に生きる~オアシス有田~」を担当(10〜14年)。著書に『有田憲一郎バングラデシュ夢紀行』(10年、自主出版)。月刊誌『スピリチュアリティー』(11年9・10月号、一麦出版社)で連載を執筆。15年から東京在住。フェイスブックブログ「アリタワールド」でもメッセージを発信している。

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