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脳性麻痺と共に生きる

脳性麻痺と共に生きる(10)自分の意志を持った 有田憲一郎

2016年5月5日13時50分 コラムニスト : 有田憲一郎
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関連タグ:障がい

小学校3年生の夏休みに足の手術を受けるため、整肢療護園(現在の心身障害児総合医療療育センター)に入院し、2学期から僕は筑波大学付属桐ヶ丘養護学校(現在の特別支援学校)の通院部に転校することになりました。

前回書いたように、それまで養護学校に通っていたものの、勉強という勉強をしたことがありませんでした。「1+1」も知らなかった僕が転校をきっかけに、わずか7カ月の間で掛け算『九九』の計算までできるようになり、小学校2年生で習うような文章が何とか読めるまでになっていました。

「勉強をしたことがなかった子が・・・」と両親や看護師、先生、全ての人が驚くほど、驚異的なスピードで僕は学力を習得していきました。ここで得たものは学力だけではありません。「自分で決める」という決断力を、生まれて初めて身に付けることができました。

整肢療護園に入院する前の僕は、年齢相応の思考力や自分で物事を判断して決断するというような力がありませんでした。精神年齢は、まるで2、3歳児のようでした。

入院する以前、北療育園(現在の東京都立北療育医療センター)に入院をしていたときは、全てが大部屋で、障碍(しょうがい)を持って生まれてきた子どもたちがリハビリや治療を受けながら大人数で集団生活をしていました。

男女共用で年上や年下の子もいましたが、僕も含めほとんどの子が実年齢より幼い考え方しかできないでいる子ばかりでした。当時の僕は、ほとんど自分で考え自分の意志で何かをするということもなく、いつも看護婦さんや先生や両親が考えてくれた遊びを楽しんで過ごしていた感じで、生活の全てのことを両親が決めてくれていました。

しかし、この整肢療護園は全く違った世界がありました。それは、一般の病院と同じように、病棟の中で4人部屋と6人部屋に部屋が分かれていたことでした。新たな入院生活が始まった頃の僕は、手に負えないほどの弱虫と泣き虫でまるで赤ちゃんで、看護師たちの手を焼かす幼児のような問題児でした。

当時は障碍児者の治療やリハビリなどを専門に扱う機関が全国的に少なく、東京に専門医療機関が集中していました。整肢療護園は国立にあり、全国各地から親御さんに連れられ、多くの障碍を持った子どもたちが治療やリハビリを受けに来ていました。そして障碍があるとはいえ、自分のことは自分でできるような比較的軽い「軽度」の子どもたちが多く入院していました。

彼らは僕とは違い、健常の子どもたちと同じような経験をし、年齢相応のしっかりした考え方を持っていました。「憲ちゃん、一緒に遊ぼうよ」と誘ってくれ、いろんなことを教えてくれ、自分たちで遊びを考えていました。

仲間と遊ぶようになり、それまで赤ちゃんのように幼かった僕が次第に自分で考えるという力を身に付け、さまざまな知恵と悪知恵を身に付け始め、自分の考えや意見を持つようになっていったのです。

病棟内の中央部分に正方形のちょっとしたスペースがありました。小学生から高校生ぐらいのお兄さんお姉さんが入院していて、僕は同じ年代の男の子たちとそこでゴロ野球をしたり、車イス競争などをしたりして遊んでいました。そこには体重計や身長計、ストレッチャーやゴミ箱などが置いてあり、人が往来する場所でした。

「野球しようぜ」と集まり、4、5人で野球が始まります。「ねぇ、この身長計と体重計を塁にしよう」とある物を使い、自分たちの障碍に合わせてルールを決めて遊んでいました。

僕を含め、入院していた仲間は遊び盛りの腕白な子どもです。夢中になり、車イスや松葉杖で狭いスペースを全速で走り回っていました。全速で走っていたので、たびたび「塁」にしていた背の高い身長計などを倒しては「コラ!また、やってる。危ないって言ってるでしょう! やめなさい!」と婦長さんに毎回のように雷を落とされていたことを覚えています。

同じ年代の仲間との遊びを通して、僕はいろんなことを学んだと思っています。病室内で飼ってはいけないザリガニを仲間と飼い始めたときは、寝静まる真夜中にザリガニが脱走して大騒動を起こし、看護婦さんから叱られました。

さらには「モルモットを飼いたい」と病室のベランダに小屋を建てる計画をつくり、勝手に道具を集めて作り出したりと、病院でしてはいけない悪巧みを次々と行い考えるようになっていました。

婦長さんたちからはたびたび叱られましたが、いたずらや悪知恵を働かせて看護婦さんたちを困らせる常習犯の一人になりつつ、こうしたことが僕を大きく成長されてくれたのだと思っています。

整肢療護園には、月に1、2回の外泊日というものがあり、事前に届け出を出しておけば家に帰れるシステムがありました。「憲は、家に帰りたくて寂しいだろう」。そう思い、両親は毎回のように希望の外泊届を出してくれていました。

そんなある日のこと、両親がいつものように外泊届を出しに行ったとき「家に帰れるかは、僕が自分で決める。勝手に届けを出さないでよ」と僕が言ったことがあります。

両親は「驚きとうれしさでいっぱいだった」。そう話します。それまで自分で考えることもできず幼児のようだった僕が、自分の意志や考えというものを持つまでに大きく成長していたのです。

入院してから7カ月後、足の手術も成功してリハビリも終わり、退院してもいい時期を迎えました。3年生が終わり、4年生に進学する時期でした。退院できる喜びがある中で、両親は「退院を見送った方が憲のためにはいいかもしれないなぁ。このまま、この学校で学ばせてあげたい」と少し思い悩んだそうです。

驚くほどの速さで学力を確実に身に付けていく僕の成長の様子を見ていた先生や両親や看護師さんたちは、「今、転校させるのはもったいない。何とかこのまま通院部に通わせて学ばせてあげたい」と誰もが口々に話していたそうです。

そして、両親と主治医や看護師、担任との話し合いの中で僕を転校させずに病棟を異動させて通院部に通い、中学校までの義務教育を受けさせる一つの方法が提案として出されました。学力を身に付けさせるには「今しかない」。必要な一般教養と学力を伸ばしてあげられるチャンスだと周りの人は考えていたそうです。

しかし、両親は「今の憲は自分で考えられる力も付いてきている。だから憲本人に決めさせよう」と退院するかしないかを、僕自身の意志に任せたのです。整肢療護園に入院してから、僕が初めて自らを主張することや判断力、自分で考え自分で決断する力を身に付け始めていたので、僕自身に委ね、本人に決めさせたいという両親の大きな思いがあったようです。

予想もしていなかった僕の成長を見て、両親は「いいか、憲。退院するか、このまま入院を続けて違う病棟に移って学校に通うか、自分で決めなさい」と僕に考えさせ、僕の意志に任せることにしました。

それから数日間、僕は一人で考えていました。このまま同じように学校に通い続けたいという思いがあった中で、病棟は移りたくなかった僕は「退院する」ということを決め、整肢療護園を退院し、学校を転校することになりました。

あらためて今、いろんなことを思います。「あの7カ月間がなかったら、今の自分はあっただろうか・・・」。また、「転校しないで病棟を移り、通院部の学校に通い学んでいたとしたら、どうだったんだろうか。どこまでの学力を習得することができていたのだろうか・・・」と。

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◇

有田憲一郎

有田憲一郎

(ありた・けんいちろう)

1971年東京生まれ。72年脳性麻痺(まひ)と診断される。89年東京都立大泉養護学校高等部卒業。画家はらみちを氏との出会いで絵心を学び、カメラに魅力を感じ独学で写真も始める。タイプアートコンテスト東京都知事賞受賞(83年)、東京都障害者総合美術展写真の部入選(93年)。個展、写真展を仙台や東京などで開催し、2004年にはバングラデシュで障碍(しょうがい)を持つ仲間と共に展示会も開催した。05年に芸術・創作活動の場として「Zinno Art Design」設立。これまでにバングラデシュを4回訪問している。そこでテゼに出会い、最近のテゼ・アジア大会(インド07年・フィリピン10年・韓国13年)には毎回参加している。日本基督教団東北教区センター「エマオ」内の仙台青年学生センターでクラス「共に生きる~オアシス有田~」を担当(10〜14年)。著書に『有田憲一郎バングラデシュ夢紀行』(10年、自主出版)。月刊誌『スピリチュアリティー』(11年9・10月号、一麦出版社)で連載を執筆。15年から東京在住。フェイスブックやブログ「アリタワールド」でもメッセージを発信している。

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
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