「封印された殉教」が現代に問い掛ける課題 終戦3日後に教会で起きた神父射殺事件を追って

2018年7月4日20時16分 印刷
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講演する佐々木宏人氏=1日、真生会館(東京・信濃町)で
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終戦3日後の1945年8月18日、カトリック保土ヶ谷教会(横浜市)で、横浜教区長の戸田帯刀(たてわき)神父(当時47)が射殺死体で発見される事件があった。十分な捜査が行われることなく、「憲兵の犯行」として片付けられ、事件から約10年後に犯人だと名乗る男が教会に現れるも、不問にされ真相は分かっていない。カトリック教会内でも事件は広く知られているわけではなく、戸田神父の死は長らく「封印された殉教」だった。

この事件を追い、カトリックの隔月誌「福音と社会」で8年にわたって連載を続けてきた元毎日新聞記者でノンフィクション作家の佐々木宏人氏(荻窪教会所属)が1日、東京・信濃町の真生会館で講演した。同誌を発行するカトリック社会問題研究所が主催した。佐々木氏は事件を追い始めた経緯から、事件の概要、戸田神父の歩み、戦時中の宗教弾圧まで幅広く取り上げ、事件が持つ今日的意味を問い掛けた。

「ペトロ岐部と187殉教者」が列福された2008年。17世紀前半に殉教したキリシタンの列福に熱くなる日本のカトリック教会を横目に、佐々木氏は一種の違和感を覚えたという。「400年前の殉教者の列福も大切だが、われわれの父母が生きた時代に信仰を守るため苦闘した聖職者たちの事跡を検証し、分かち合うことの方が、現代に生きるわれわれにとって大切ではないか」。そうした思いが事件を本格的に追い、連載を始める動機となった。

戸田神父射殺事件の概要

事件の概要はこうだ。終戦3日後の1945(昭和20)年8月18日夕、保土ヶ谷教会の司祭館で、拳銃に撃たれた戸田神父の遺体が発見された。戸田神父は事件2日前、海軍の港湾警備隊に接収されていた横浜教区の司教座聖堂である山手教会に単身乗り込み、返還を要求。警備隊はそれに激高していた。事件現場からは憲兵仕様の薬莢(やっきょう)が見つかっており、警備隊の怒りが憲兵に伝わり、逆恨みされて銃殺されたというのが定説となっている。警察は「憲兵の犯行」としてそれ以上の捜索は行わず、教会も不明な犯人に対して「赦(ゆる)し」を与えることを決めた。

それから10年ほどたった1956〜57(昭和31〜32)年ごろ、東京の吉祥寺教会を40代の男が訪れる。男は戸田神父を射殺したと自白するが、教会はここでも事件の詳細を聞くことなく、男を不問にする。佐々木氏はこうした対応の背景に、カトリック教会の自己保身があるのではないかと疑う。「戸田神父の事件を追及すると、カトリック教会の戦時中の行動にも批判の目が向けられるのではないか」。教会がそうした懸念を抱いていた可能性を佐々木氏は考える。

なぜなら、戦時中はカトリック、プロテスタント問わず、政府による宗教弾圧に苦しめられた一方、上層部は政府に協力姿勢を示し、教団としては戦闘機献納運動を行うなど、戦争に加担していたからだ。また教会内でも密告があったり、でっち上げの冤罪(えんざい)事件の逮捕者にでさえ冷たい態度を取ったりすることもあった。

戸田神父自身も横浜教区長に就任する前の札幌教区長時代に逮捕され、4カ月間拘留されている。当時は太平洋戦争開戦直後で、まだ日本が各地で勝ちどきを上げていた頃だった。しかし戸田神父は、米国や英国は強国だとし、将来はどうなるか分からないという趣旨の発言をし、これが軍刑法の造言飛語罪(根拠のないうわさを流した罪)に当たるとして逮捕・拘留された(後に無罪となり釈放)。問題とされた発言は、戸田神父が自宅で信徒ら4人に対して話したものであり、そのうちの誰かが密告したことになる。

「封印された殉教」が現代信徒に問い掛ける課題 終戦3日後に教会で起きた射殺事件を追って
講演会は、カトリック社会問題研究所の会員や賛助会員、「福音と社会」購読者のための「感謝の集い」として行われた。

バチカン秘密文書館が資料公開

佐々木氏はこの日、バチカン秘密文書館から公開された資料についても解説した。バチカンには何度も関連資料の開示を求めてきたが実現せず、現横浜教区長やローマを訪問した修道会神父の協力などを得て、昨年1月にようやく3種類計11枚の資料を手に入れた。

これらの資料で新たに明らかになったのは大きく2点。1つは、事件発生後すぐに日本人神学生が警察に連行され3日間拘留されたこと。もう1つは、実行犯は1人であったとしても、事件には複数人が関わっていた可能性があること。一方、接収中の山手教会の返還を求めたことで逆恨みされ射殺されたという「事件の定説」については、資料内にまったく言及がなかったという。

佐々木氏はこれらのことから、当初は日本人神学生による教会内部の犯行として捜査が進められていたが、薬莢が憲兵のものと分かり、容疑者から外された。また犯人が憲兵であった場合、警察は手出しができず、警察自身も終戦直後の資料焼却などで忙しかったため、途中で捜査を打ち切りにしたのではないかと、自身の推測を語った。

犯人は憲兵だとしても、なぜ戸田神父が狙われたのか。定説どおり、単なる逆恨みなのか。それははっきりとは分からないとしつつも、佐々木氏は米国立公文書館に保管されている米戦略事務局(OSS、米中央情報局=CIAの前身)の報告書の中に、戸田神父の名前が出てくることを紹介した。報告書は当時のフランクリン・ルーズベルト大統領に届けられたもので、戸田神父が当時のローマ教皇ピオ12世に宛て、昭和天皇に対する終戦工作を提言する内容だった。ただし、この手の報告書は多数あり、真偽は不明だという。

事件の今日的意味

8年にわたる丹念な取材活動で明らかになった事実を話した後、佐々木氏は事件の今日的意味について語った。戦時中の思想弾圧については広く知られているが、宗教弾圧に絞った場合、広く認知されているわけではないと佐々木氏は言う。それは、多くの宗教団体では戦後も戦争に協力した幹部が排斥されることなく残ったため、宗教弾圧の被害者に「勲章」を与えることが教団幹部への批判につながったからだという。

その上で佐々木氏は、戸田神父の事件を再び起こさせないためとして、3つの提言をした。1つは学び。聖書だけではなく宗教弾圧の歴史を、カトリック、プロテスタントが共に学んでいくことが重要だという。

2つ目は教会が常に「民衆の側」に立つこと。「故・濱尾文朗枢機卿は、韓国の教会は軍事政権時代に先頭に立って民主化運動に貢献し民衆の側に立ったが、日本の教会はそうではなかった、とはっきり話している」と佐々木氏。「福音と社会」の連載最終回で行ったインタビューで、森一弘司教が「人間への共感能力を育てなさい」という教皇フランシスコの言葉を紹介したことなどを例に挙げ、教会が常に弱い立場の人々の側に立つ必要性を訴えた。

そして最後は自立。日本のカトリック教会は戦前、戦後とも長らく海外からの支援によって成り立ってきたと言い、自立した日本の教会の将来像を描いていく必要があるのではないかと話した。

講演後には茶話会が行われ、その中で質疑応答も行われた。「戸田神父が残した一番の教訓は何か」という質問には「自分の信念に忠実であること」と回答。「戸田神父はまさに信念に生きた人だと思う。他人に忖度(そんたく)しないで、自分にぶれないことが一番重要ではないか」と語った。

「福音と社会」で8年計38回にわたって続いた佐々木氏の連載は、今月末にフリープレス社から上下2巻(各2千円)で出版される予定。

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