パウロとフィレモンとオネシモ(18)「実を結ぶ」―福音の出来事が先立って― 臼田宣弘

2020年6月18日14時53分 コラムニスト : 臼田宣弘 印刷

今回は、コロサイ書1章5節b~10節を読みたいと思います。

あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました。6 あなたがたにまで伝えられたこの福音は、世界中至るところでそうであるように、あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています。7 あなたがたは、この福音を、わたしたちと共に仕えている仲間、愛するエパフラスから学びました。彼は、あなたがたのためにキリストに忠実に仕える者であり、8 また、“霊”に基づくあなたがたの愛を知らせてくれた人です。9 こういうわけで、そのことを聞いたときから、わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。どうか、“霊”によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、10 すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。

7節に「あなたがたは、この福音を、わたしたちと共に仕えている仲間、愛するエパフラスから学びました」とあります。エパフラスという人物については本コラムの第4回で、「巡回宣教者であったと思われる」とお伝えさせていただきました。その際、フィレモンの家の教会=コロサイ教会の3つの段階において、エパフラスがどこにいたかを記しました。それを、少し形を変えて再度提示します。

フィレモンの家の教会=コロサイ教会 エパフラスはどこにいたか
教会創設時 フィレモンの家の教会=コロサイ教会
(コロサイ1:7)
フィレモン書受領時 パウロと一緒に獄中に
(フィレモン23)
コロサイ書受領時 パウロの周辺にいるという「設定」?
(コロサイ4:12)

今回、エパフラスが登場するのは、この手紙における回想部分で、上記の時系列でいうと一番早い教会黎明期です。この手紙がパウロの弟子が書いたものであったとしても、内容は全体的に事実を踏まえているでしょう。教会の黎明期にエパフラスが滞在していたことも事実だと思います。エパフラスはパウロと同じような巡回宣教者なのです。『新版総説新約聖書』の井上大衛著「フィレモンへの手紙」の項目に、以下のような記述があります。

こうして見ると、この手紙は使徒自身にとっても重要な意味を持ちえたと言える。フィレモンは「家の教会」のパトロンである。おそらく社会的には「家の主人」か、それに近い立場であろう。このような人物が各地で巡回宣教者たる使徒たちの活動を扶養的に支えたし、地域教会にとっても相当な影響力を有したことは確かである。(222ページ)

このように記述されています。エパフラスは、まさにここに書かれている「巡回宣教者」に相当し、フィレモンの家の教会=コロサイ教会において、コロサイの地の人たちに福音を語ったのです。それが7節前半の「あなたがたは、この福音を、わたしたちと共に仕えている仲間、愛するエパフラスから学びました」ということだと私は考えます。

ところでフィレモン書23~24節には、この手紙の最後のあいさつとして、「キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕らわれている、エパフラスがよろしくと言っています。わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです」とあります。パウロと名を連ねる人たちのトップにエパフラスの名前があるのは、エパフラスが「フィレモンの家の教会」に相当な影響がある人物であることを示しており、それは「コロサイ教会」の黎明期に福音を伝えたエパフラスの姿を示しているのではないでしょうか。私はコロサイ書4章9節の「あなたがたの一人、忠実な愛する兄弟オネシモ」だけでなく、このエパフラスに関する記述からも、「フィレモンの家の教会はコロサイ教会である」と考えています。

さて、7節b~8節に「彼は、あなたがたのためにキリストに忠実に仕える者であり、また、“霊”に基づくあなたがたの愛を知らせてくれた人です」とあります。この「(エパフラスは)あなたがたの愛を知らせてくれた人」であるということは、フィレモン書の以下の5~7節に該当すると思います。

5 というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。 6 わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。7 兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。

ここを読みますと、フィレモンと家の教会の様子を、誰かがパウロに伝えていることが示唆されています。市川喜一著『パウロによるキリストの福音Ⅲ』における第5章「奴隷も自由人もない」の4~7節のフィレモン書講解で、「おそらくパウロはフィレモンとは直接知り合っているのではなく、フィレモンのことを(おそらくエパフラスから)伝え聞いて、彼が福音のために尽くしていることを喜び、よき協力者を得たと神に感謝していたのでしょう」としています(インターネット上で公開中の記事も参照)。

私はこの「パウロがエパフラスからフィレモンのことを聞いていた」ということに賛同します。パウロからのフィレモン宛ての手紙(フィレモン書)のこの部分を読んだフィレモンが、パウロの言葉を伝える偽名文書のコロサイ書で、「エパフラスはあなたがたの愛を知らせてくれた人」と書くのは自然なことです。フィレモンは、エパフラスのことをコロサイにいた巡回宣教者として「直接」に知っていますが、「エパフラスがパウロにコロサイ教会のことを知らせている」ことも知っていたということになります。

5節後半と6節の「あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました。あなたがたにまで伝えられたこの福音は、世界中至るところでそうであるように、あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています」は、コロサイ教会の人々がエパフラスから聞いたこととされることです。エパフラスがコロサイで福音を伝え、その福音が「実を結んで成長している」と書かれています。

私はこの「実を結ぶ」という言葉は、極めて聖書に特徴的な言葉であると考えています。これは新約聖書では、「実を結ぶ(カルポフォレオー / καρποφορέω)」という1語で表される場合と、「実(カルポス / καρπός)」を「結ぶ(フェロー / φέρω)」と2語で表される場合とがあります。コロサイ書のこの箇所では1語で表されています。

イエスの教えの中に、「ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった」(マルコ4:8)、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(ヨハネ15:5)などとあり、「実を結ぶ」ということは「信仰によって人が成長するさま」であるとされています。それに対してここでは、「福音が実を結ぶ」と書かれています。これは新約聖書の中では珍しいようにも思えます。ところが、ユダヤ教の黙示文書である「ラテン語エズラ記」(正典でも第2正典でもありませんが、新共同訳と聖書協会共同訳共に「旧約聖書続編」として載せられています)には、以下のように律法が「あなたたちの中で実を結ぶ」としているところがあります。

わたしは口を開き、いと高き方の御前に語り始めた。「ああ主よ、あなたは、わたしたちの中で、わたしたちの祖先に御自身を現されました。それは、わたしたちの祖先がエジプトから出て、人が足を踏み入れない不毛の荒れ野を進んでいたときのことでした。あなたはこう言われたのです。『イスラエルよ、聞け。ヤコブの子孫よ、わたしの言葉に耳を傾けなさい。見よ、わたしはあなたたちの中に、わたしの律法を蒔(ま)く。それはあなたたちの中で実を結び、それによってあなたたちは、永久にたたえられるだろう。』 しかしわたしたちの祖先は、律法を受けながらもそれを守らず、掟(おきて)を守りませんでした。ところが、律法の実は滅びませんでした。滅びるはずがありませんでした。それは、あなたの律法だったからです。」(ラテン語エズラ記9:28~32)

これを読みますと、この「律法が実を結ぶ」と、コロサイ書の「福音が実を結ぶ」が非常に似ていると思えます。ラテン語エズラ記のこの箇所が書かれた時期は、コロサイ書が書かれた時期と同じ頃とも考えられているそうです。コロサイ書がラテン語エズラ記に影響を受けているのかもしれません。「律法」がすべてに優先してあるのと同じように、「出来事としての福音」が世界や人間に優先していることが、コロサイ書では示されているように思えます。「福音」とは、「神の独り子キリストがこの世に来られて、十字架の血(コロサイ1:19)を私たちのために流し、その死によって私たちと和解し(同1:22)、神の力によって復活させられ、私たちをも復活にあずからせてくださった(同2:12)」という出来事そのものです。その福音の出来事そのものが、コロサイの人々の間で「実を結んだ」というのです。後述するように、このことは上記のイエスの言葉を理解する助けとなります。

この手紙ではさらに、9~10節に「こういうわけで、そのことを聞いたときから、わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。どうか、“霊”によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び(カルポフォレオー / καρποφορέω)、神をますます深く知るように(新改訳2017は『神を知ることにおいて成長しますように』)」と書かれています。人間に優先して福音という実が結実したのですが、今度は「善い業を行って実を結ぶように」と、世界において、人の中で、実が結実することが願われているのです。これはイエスが言われた「ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった」「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」と同じ、「信仰によって人が成長するさま」です。

コロサイ書は、「福音が実を結んだ」ことがまず書かれ、それを踏まえて「信仰によって人が成長するさま」という「実を結ぶ」ことが願われています。そこが大きな特徴だと思います。そこで出てくるのが、本コラムのフィレモン書講解でお伝えした「善い業(アガソス / ἀγαθός)」を行って、実を結ぶように願われているということなのです。私は、「フィレモン・コロサイ・エフェソの各書に、フィレモン書→コロサイ書→エフェソ書という一本の筋を見る」と申し上げてきましたが、その筋を示すキーワードの一つが、この「善い業(アガソス)」です。第14回でお伝えしましたが、パウロがフィレモン書において、フィレモンにオネシモの奴隷解放を願ったことの動機が、「善い業(アガソス)」でした。その言葉が、コロサイ書において繰り返され、それがエフェソ書においても再度繰り返されるということなのです。当該コラムですでにお伝えしたことですが、パウロが「善い業(アガソス)」という言葉を使うのは、それが「独り子をこの地上にお遣わしになった『神のご意志』に『応答』すること」という文脈においてです。

コロサイ書は、そのことをさらに具体的に、「独り子をこの地上にお遣わしになったという『神のご意志』の出来事である福音が実を結んだ」とした上で、「善い業を行って実を結ぶという『応答』を願っている」ように感じます。それは、「神のご意志の先行」ということなのだと思います。神の出来事が先で、それに倣って人間の業が行われ、そのようにして信仰によって人が成長していくのです。コロサイ書の中心部分は3章1~17節であると思いますが、そこにおいては「あなたがたは神に(中略)愛されているのですから、憐(あわ)れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」「主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい(赦し合いなさい)」と、神の愛と赦しが先行し、それに人間が倣って「善い業(アガソス)」がなされるようにということが説かれています。

そのことが、コロサイ書の中心メッセージでありましょう。そしてこの「神のご意志の先行」ということが、この冒頭部分においても示されていると、私は捉えています。(続く)

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臼田宣弘

臼田宣弘(うすだ・のぶひろ)

1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。愛知牧師バンドのメンバー(キーボード担当)

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