コロナ禍に見る福音派の対応(3)歴史的に見る「国家と教会の相克」―米国建国から現代―

2020年5月17日07時50分 執筆者 : 青木保憲 印刷
+コロナ・祈り
※ 写真はイメージです。(写真:Doidam 10)

「新型コロナウイルスの話だと言っていたのに、いつの間にかキリスト教史にすり替わってる?」という声が聞こえてきそうだが、安心してもらいたい。最後はちゃんと「コロナ禍に見る福音派の対応」に着地するはず(と願いたい)。

さて、前回は初代教会から宗教改革までの時代をざっくりと見て、国家と教会の関係を概観してきた。迫害されたりしたり、蜜月になったり離れたり、まるで長く付き合っている恋人同士のような関係の、国家と教会の足跡である。しかし17世紀以降、特に18世紀はこの枠組みが打ち壊されていく。

最大の事件は、大西洋を隔てて欧州大陸の向こう側に「新天地アメリカ」が発見されたことである。ピューリタンの一派は、英国内の宗教的雰囲気があまりにも国家寄りで、プロテスタント精神に反すると考えたため、1620年に一大決心をした。それは欧州社会を離れ、「新天地」である米国で自分たちの信仰に基づく新しい国家を建設しようとしたことである。オランダを経て、彼らは当時植民地であった米国へと渡っていく。

1776年7月4日に独立宣言を発布した彼らは、本国・英国からの独立戦争を経て、「アメリカ合衆国」を建国するのであった。彼らが目指したのは、国教会制度の廃止であった。つまり、特定の教派が国家権力と密に結び付くことがないよう、どの教派も平等に扱われるような社会を目指したということである。言い換えれば、宗教の自由競争を善と見なしたといえる。ここから「福音派」と呼ばれる集団が生まれてくることになる。そして現在、全米の4人に1人がこの信仰姿勢(福音主義)を保持しているのである。

一方、欧州大陸では1789年にフランス革命が起こる。ここから生まれた原則が「政教分離」と呼ばれ、日本にも流入してくる。国家と宗教は分離して考えられるべきというもので、ここから歴史の表舞台で活躍するという意味での「宗教」は、その息の根を止められていく。

いずれにせよ、西洋社会におけるこのような動きは、アウグスティヌスやルターが唱えた「神の国」「二王国説」を否定するものとなっていった。そして宗教は国家や公の場ではなく、個々人の内面において機能すべきものとされていく。

対立や迫害という「積極的関与」から離れ、機能面での切り分けを余儀なくされた国家と教会は、互いをライバル視する関係を築く機会が与えられなければ、対峙する関係にもなれないという、独特な「相克(相いれない二つのものが、互いに勝とうとして争うこと)」状態に陥ってしまったと言えよう。双方、石を投げても届かないような遠方から石を投げ合うような、不毛な戦闘を繰り返すようになった、とでもいおうか。

では、「福音派」とはこの歴史の中にあって、どんな存在だったのだろうか。そして現在のコロナ禍の状況にあって、どうして彼らは国家主導の政治体制を無視したり、それと対立するような行動を選択したりしている(ように思われてしまう)のだろうか。

まず押さえておきたいのは、ピューリタンたちは「神の名の下に国家を建設する」と意気込んでいたが、実際にそのことを成し遂げるためには、もう一つの知恵が必要であったということである。それを実行したのが「建国の父」と呼ばれる人々である。彼らは植民地時代の人々をまとめ上げるため、「キリスト教」を利用した。宗教性をはく奪し、新たな価値観に目覚めさせるのではなく、むしろ今ある価値観を敷衍(ふえん)する形で現実を再構成したといってもいい。

その最たるものがトマス・ペインの『コモン・センス』である。独立が神の御心であり、神の国をここに打ち立てることこそ、神が私たちをこの地に遣わされた目的である、と彼ら「建国の父」たちは人民を鼓舞した。そして建国が実現したため、「米国は神の国」という一種「都市伝説」のようなものが生み出され、それは現在にも大きく影響を与えている。

前述したように、欧州諸国は宗教と完全な決別を宣言するか、または国教的な位置付けに置いたまま、実質的な牙を抜くという戦略で「宗教」を封じ込めていった。全盛期までの名残として「キリスト教」という名称を政党名に残す団体はあるが、それは有名無実と化している。

一方、米国は「国教的な意味での宗教を排斥する」という前提に立ち、同時に「人々の宗教心を政治に反映させてもよい」という形で宗教を普遍化した。そういった意味で、「宗教の解放」を史上初めて試みた国家が米国ということになる。結果、純真無垢(むく)なピューリタン的信仰心と、実践的な政治勢力、その両者は決して矛盾しないという絶妙なバランス社会を形成したのである。「福音派」はこの中でその営みを展開してきた。

彼らにとって、信仰という霊的な(他者から見るなら「仮想空間」的な)世界観に生きることが、すなわち米国で生きることにそのまま直結している。だから、コロナ禍において自らの信仰姿勢を現実社会にしっかりとアピールすることは、信仰的表明であるとともに、それがそのまま現実の米国社会を生きることにつながるのである。そして「米国は神の国」という土台は覆されることがない。

これは考えてみればとても奇妙なことだ。かつて教会が世界を完全に牛耳っていたときは、文字通り「信仰姿勢=政治的志向性」であり、それを実践することが歴史を紡ぎ出すことに直結していた。しかし現代は、宗教者にとっての「良き時代」は過ぎ去ってしまった。そのことを理解し、「ポスト宗教時代」における宗教の位置付けを受け入れているのが、日本をはじめとする世俗的な現代社会の人々である。欧州諸国もおおよそこれに当てはまる。だがそこに唯一(?)の例外がある。それが先進国の筆頭に挙げられる米国であり、米国内の「福音派」である。さらに敷衍して言えば、その米国の福音派から派遣された宣教師によって生み出された日本の福音派教会も本質的には同じであろう。

彼ら(そして私たち日本の福音派)にとって、他者から「無神経」と言われようと、「非常識」と非難されようと、周囲から見るなら「仮想空間」と思える世界観こそが、リアルな世界なのだ。そしてアウグスティヌスやルター的な「二王国」的世界観を認めながらも、そのようなシステムを人間に与えた神に連なる自分たちは、被造物としての国家、教会にくみせず、神の視点から物事を判断していると考えているのだ。

初代教会時代の迫害、中世時代の蜜月・対立、そして宗教改革以後の相克と、2千年に及ぶキリスト教の歴史でそれらを体験したからこそ、福音派の世界観ではまるで「原点回帰」のように神が支配する世界へと立ち返っている。そういった思考が唯一許される「アメリカ」という国家が立ちゆく限り、この世界観は消え去ることがないし、消し去ることもできないだろう。

この世界観には、徹底して裏表がない。「ここは政治の領域」「ここは教育の世界」という重層的な強弱は存在しない。徹頭徹尾「神が支配する世界」に生きていることを彼らは信じて疑わない。

だから、たとえ新型コロナウイルスがまん延しようとも、全世界で数十万人が亡くなっているという報道がなされようとも、彼らはたじろがない。怒りに任せて「コロナは神の裁きだ!」と叫ぶ一部の跳ねっ返りも存在する。だが彼らが最も訴えたいポイントは、「裁き」それ自体ではなく、この世界を統べ治めるお方がおられ、その方と共に自分たちは歩んでいるという「自分たちの世界観を受け止めてほしい」という切なるうめきなのだ。コロナ禍は、そんな「ウブ」で猪突猛進型の信仰者の信条と心情を浮き彫りにしてしまったともいえよう。

人の世界観を変えることは難しい。しかし、新型コロナウイルスによる影響は、単に甚大であるだけでなく、前代未聞の前例なき決断を迫るものとなっている。そうであるなら、かつて不可逆的に進行した人間の歴史的営みを、しばし立ち止まらせる契機となる可能性もあるのではないか。異なる世界観を持った者同士が「単に距離を取って棲(す)み分けすればいい」というレベルを越えてしまった現在、つまり「必然的に対峙し、協力しなければならない社会」となった現代において、私たちは真に異なる世界観と対峙し、歴史が進めてきた歩みを踏まえながら新たな「関わり方」を模索する時期に入っているのではなかろうか。

SNS上でも活発に議論されている新型コロナウイルスをめぐる言説は、いろいろなことを私たちに考えさせてくれる。皆さんはいかがであろうか。(終わり)

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青木保憲

青木保憲(あおき・やすのり)

1968年愛知県生まれ。愛知教育大学大学院を卒業後、小学校教員を経て牧師を志し、アンデレ宣教神学院へ進む。その後、京都大学教育学研究科卒(修士)、同志社大学大学院神学研究科卒(神学博士、2011年)。グレース宣教会牧師、同志社大学嘱託講師。東日本大震災の復興を願って来日するナッシュビルのクライストチャーチ・クワイアと交流を深める。映画と教会での説教をこよなく愛する。聖書と「スターウォーズ」が座右の銘。一男二女の父。著書に『アメリカ福音派の歴史』(2012年、明石書店)。

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