太平洋の橋―新渡戸稲造の生涯(7)剣をとる者は剣で滅びる

2019年12月4日20時33分 コラムニスト : 栗栖ひろみ 印刷

日本に帰国した新渡戸は1904(明治37)年、後藤新平の斡旋で東京帝国大学(現在の東京大学)の専任教授となった。そしてその2年後、この大学より法学博士号が贈られた。

同じ頃、東京では第一高等学校の校長になるのにふさわしい人物を探し求めていたが、帰国した新渡戸にたちまち目が留まった。「若者を教育するのにこれ以上ふさわしい人物はいないでしょう」。政府の高官の一人がこう言うと、皆それに賛成した。そのようなわけで、学校の切なる要求によって、新渡戸はこの学校の校長という重い任務を引き受けたのだった。

しかしながら、この第一高等学校の気風は最も新渡戸の教育方針からかけ離れ、相いれないものがあった。ここでは時代の軟弱な思想に抗して、国粋主義的雰囲気の中で強い日本男児を育てることが目的とされていた。学生たちはわざとよれよれの制服を着、破れ帽子を得意げにかぶり、傲慢で独りよがりの意見を吐いていた。

それは、新渡戸が赴任して1週間目のある日のこと。校長室で学生に渡す教材を作っていた彼の耳に、窓の下にたむろする学生たちのこんな言葉が聞こえてきた。

「今の時代は大学で勉強なんかするより、すぐ軍隊に入ったほうがいいよな。おれのいとこは学問がないので軍隊に入ったけど、戦争で大暴れしたというんでいきなり中尉になったんだってさ」

「知り合いにもそういう者がいる。敵が逃げ込んだ穴に爆弾を仕掛けて吹き飛ばしたんだと。その手柄で少佐になっている」

「とにかく、学問をするより戦争に勝ったほうがいいってことだ。剣ほど強いものはあらず――っていうことか」。新渡戸は校長室を出ると、窓の下でまだガヤガヤ話をしている学生の所に行った。そして、さりげなく話しかけた。

「私は君たちにもっと豊かで幸せな人生を送ってほしいんだがね。広く外国に目を向けて多くのことを学び、謙虚な気持ちで他人の意見に耳を傾けることによって、われわれは内側から豊かになっていくのだよ」

彼らは顔を見合わせ、身をすくめた。「先生は戦争についてどうお考えですか?」一人が尋ねたので、新渡戸は速答した。「それは人間が決してやってはならない、愚かな行為だ」

「では校長、何をもってすれば日本が世界一の強国となれるのですか? 日本の強さを示すには、戦争しかないじゃありませんか」。新渡戸は、悲しみをたたえた目で一人一人を見つめた。

「剣をとる者は剣で滅びると聖書に書いてあります。これは太古から今に至るまで真実です。殺し合いで得られるものなど何もない。これは果てしない報復を繰り返すだけです」。彼らは肩をすくめて帰って行った。

それから3週間ほどたったある日。全寮の茶話会があり、そこで「弁論大会」が行われるので新渡戸も出席した。

「今や日本は軍備においても経済においても世界で指折りの強国となった。しかるに、日本の繁栄をねたみ、物資を横取りせんとする隣国が虎視眈々(たんたん)と機会を狙っている。こういう国に対してはいかなる戦略が有効と思うか?」

まず一人がこのような問いかけをすると、別の者が立った。「それはたやすいことだ。壁を高く築いてやつらが侵入してこないようにすればいいではないか。その壁は、限りなく高くすればよい」

その後、議論が続き、締めくくりを校長に委ねたので、新渡戸は立ち上がった。「私は、そうした壁は限りなく低く作ること――いや、壁を作るのではなく、どんな国とも交流できるように橋を作るべきだと思います。国の対立をなくすためには戦争ではなく、友好親善の握手が必要なのです」

すると、学生たちは終わりまで聞かずに、新渡戸をののしり始めた。「校長、あんたは非国民だ!」「日本を売る売国奴だ!」茶話会は大混乱に陥ってしまった。

しかし、この時妙なことが起きた。一人の学生が立ち上がると、一同を制して言った。「私は校長が非国民だとは思わない。諸君は先生が書かれた『武士道』を読んだか? 先生は武士の精神の中にある崇高なものを世界に紹介された。その人がなぜ非国民なのだ」

すると、事情も知らずに攻撃した者たちはすっかり恥じ入り、心から謝罪したのだった。

<あとがき>

新渡戸は、請われて第一高等学校の校長に就任することになりました。政府の高官もかねてから彼に目を留めており、「若者を教育するのにふさわしい人物は新渡戸稲造をおいて他にはいない」ということで意見が一致したのでした。

しかし、第一高等学校の気風は、新渡戸が理想とするものとは大きくかけ離れていました。何よりも、高まりつつある軍国主義の影響から、国内では強い日本男児を育てることが望まれており、学校でもそれに沿った教育がなされていたからでした。

生徒たちもそうした影響を受け、学問をやるよりは軍隊に入って大いに力を発揮したほうがいい――というような議論を毎日行っていました。新渡戸はそんな彼らの姿に心を痛め、「剣をとる者は剣で滅びる」という聖書の言葉をもって彼らを諭しました。

すると学生たちは反発し、茶話会の席で新渡戸は集中攻撃を受けました。しかし、学生の中には彼を敬慕していた者がいて、彼の言葉に一同は恥じ入り、謝罪したのでした。

(※これは史実に基づき、多少のフィクションが加えられた伝記小説です。)
記事一覧ページの画像:新渡戸記念館提供)

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。

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