ソプラノ歌手・山内房子さん、「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」を語る 紙上の音符を音楽にする喜び

2016年9月27日06時50分 記者 : 坂本直子 印刷
+ソプラノ歌手・山内房子さん、「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」を語る 紙上の音符を音楽にする喜び
「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」の楽譜を発見し、演奏会を企画したソプラノ歌手の山内房子さん

どんなに完璧な楽譜であっても、奏でなければ音楽にはならない。今月29日に日本福音ルーテル東京教会で演奏会が行われる作者不詳の「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」も、長い間紙の上で音符のまま眠っていた作品だ。このたび、300年以上の時を経てようやく「音楽」となった「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」について、同作品の発見者であり、演奏会を企画したソプラノ歌手・山内房子さんに同作品との出会い、その魅力について話を聞いた。

作者不詳の「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」は、カトリック教会の聖週間(復活祭前日までの1週間)にミサで朗唱された旧約聖書「哀歌」に基づく作品。山内さんが同作品に初めて出会ったのは、今から15年ほど前の国立音楽大学附属図書館が所有するマイクロフィルムの中だ。同大の図書館は、イギリスが国内主要図書館の所蔵楽譜をマイクロフィルムで売り出したものを多数所蔵しており、当時同大の音楽研究所のイタリア初期バロック部門の研究員だった山内さんは、そのマイクロフィルムから声楽曲だけを選び、その中でもソプラノで歌えそうなものを選んでコピーをとってもらう、ということを熱心に行っていた。

その作業の中で出会ったのが、「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」だ。その時はまだマイクロフィルムから大量にコピーした楽譜の1つにしかすぎなかったが、別の時に同図書館にある大英図書館(ブリティッシュ・ライブラリー)の楽譜のカタログを眺めていたときに「作者不詳」という項目があり、その中から以前にコピーした同作品を発見した。この偶然に胸を躍らせた山内さんは、イギリスに行き、この楽譜の手稿譜のマイクロフィルムをコピーしてもらい、日本に持ち帰った。

山内さんは、「『聖アポリナーレ教会のレクツィオ』は、もともとはイタリアの音楽です。それが当時イギリスで流行ったグランド・ツアーにより、イギリスに持ち帰られたのだと思います」と、作品に秘められた雄大なロマンを語った。

ある時期バロックを専門に演奏していた山内さんによると、いまだ演奏されないままとなっている楽譜は多いという。「私たちは音楽を聞いて知りますが、その音楽は出版された楽譜を見て演奏されるというのが一般的です。ここ数年で古い音楽に関する研究は進んできてはいますが、当時出版しなかった楽譜は多く、今、私たちが耳にする音楽はほんの氷山の一角で、多くは眠ったままです」と話す。

また、そういった楽譜を見つけて自分で演奏してみたいと思っても、手書きのために読めない音符があったり、思っていたイメージと違っていたり、あるいは技術的に歌えないものもかなりあるという。

「17~8世紀はカストラート歌手の隆盛期で、バロック時代の音楽はカストラート用に書かれているものが多く、女性のソプラノでは技術的に歌えません」。当時教会は女性が歌うことを許していなかったため、去勢により変声期をなくし、少年期の声質と音域を持続させるカストラート歌手が数多く登場していた。骨格や肺活量は成人男性と変わりなく成長するため、女性ソプラノでは声量や持続力などがついていけず、カストラートの歌をソプラノ歌手が歌うことは不可能なのだ。

また、作品が作者不詳扱いになってしまうのは、「筆写した人が作曲家名を書き忘れたことが原因の1つかもしれません。あるいは、名前を入れなくても特徴から作曲家が特定される狭い社会で、記名にそれほど神経質ではなかったのかも」と、現代の感覚では不可思議に思うことでも、当時の人にとってみれば至極普通なことなのだと話した。

ソプラノ歌手・山内房子さん、「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」を語る 紙上の音符を音楽にする喜び
「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」の手稿譜(画像:山内房子さん提供)

何百年という時を経た音楽を復活させることの難しさを知りつつも、「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」の持つ音楽の美しさを「自分だけの秘密にしていてはもったいない」という強い気持ちを持ったことが、今回の演奏会につながった。山内さんは、「音楽の素晴らしさは、聞かないと分かりません。この曲はタイトルだけ見ると暗い感じがしますが、実際聞いてみるとメロディーがとても美しいです」「今回は9曲のうち、ソプラノが歌う4曲を演奏するのですが、各曲とも速くなったり遅くなったり音の変化が多様です。聖書の『哀歌』は重い内容の詩ですが、多様な言葉が美しいメロディーとなって歌われていきます」とその美しさを強調した。

また、「当時の人たちはこの音楽を聞いて、『哀歌』の痛みを、電気などない暗闇の教会の中で共通なものとして分かち合っていたのではないかと思います。現代を生きる私たちは、当時の人と同じ気持ちになることはできませんが、同じ音楽を同じように教会で聞く、遠い過去を主観的に経験するという不思議さが今回の演奏会にはあると思っています」と語った。さらに、教会音楽についてバッハを例に挙げ、「バッハは教義そのものが音楽でしたが、そこには『生きる熱狂』を呼び起こすものがあります。音楽にはそういった力があります」と付け加えた。

国立音大の図書館で大量にコピーした楽譜を今後も演奏していきたいと話す山内さんだが、今回演奏会の開催を後押ししたのは、チェンバロ奏者で2013年1月に亡くなった芝崎久美子さんへの思いだ。山内さんと芝崎さんは、01年に芝崎さんがイタリアに文化庁派遣外芸研修員として派遣されるまで一緒に演奏を続けてきた。共通する感性を持ち合わせていた2人は、音楽の解釈も気が合う良きパートナーだった。また、私生活においても、心から笑い合える友人だった。

実は、「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」は、山内さんが楽譜を見つけた後、芝崎さんがイタリアに行く前に一緒に演奏をしたことがあり、いつかまたやりたいとずっと考えていたものだったのだ。「3年前、体調が悪かったことを知らず、ポルポラ(ニコラ・ポルポラ:イタリア後期バロック音楽の作曲家)をやろうとメールを送ったのですが、返事がいつもの彼女とは違っていたんですね。で、その後すぐ亡くなったという知らせを受けました」と当時を振り返った。

山内さんは、その時もっと早く「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」の演奏を計画すればよかったと心から悔やんだという。「今も、『幼子も乳飲み子も町の広場で衰えていく』は、『この時の気持ちはこういうふうだよね』『そうそう』などと『哀歌』の言葉を2人で語り合いながら音楽を作っていけたのになあと思うんですね」と芝崎さんと2人で語り合いながら音楽を作り上げていた頃のことを思い出しながら、その秘めた思いを口にした。さらに、山内さんは恩師や、自身が教える合唱の生徒といった大切な人のためにも、「今この曲を歌わなければダメだ」という重大な決心が今回の演奏会に込められていることを明かした。

話題は、先般終わったオリンピックにまでおよび、その中で山内さんは、通常放映されないマイナーと思われる競技をずっと見て応援していたという。山内さんは、皆が応援するものは、他の人が応援するからいいかなと思ってしまうと言い、音楽についても「皆が知っていて、皆が当たり前に歌っているようなバッハとかヘンデルとか、素晴らしい曲はたくさんありますが、そういう音楽は、他の誰かの演奏で知ることができるので、私が歌わなくてもいいんです」と述べ、スポットライトから外れてしまった音楽を演奏することへの思いを語った。

山内さんは、「クラシック音楽は再現音楽です。過去に書かれた楽譜があって、それを演奏する。何もないところから作り出すわけではありません」と述べ、「聴衆が新しい音楽を知るというのは、音としてまず聞かなければなりません。何度も演奏を繰り返せば、耳になじみ、広く知られるようになります。やはり、『繰り返し演奏しているから知られている』ということは多いですね」と、名曲として多くの人に愛され続ける音楽と演奏との関係を話した。

その一方で山内さんは、「いい音楽」であっても、繰り返し演奏されないでいる音楽もたくさんあると力を込める。その1つが、「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」だ。

山内さんは、「忘れ去られているというか、今知られていない状態を音にするというのは、単なる再現とは少し違うと思っています。これまで長い間演奏されることがなく、存在さえ知られていなかった作品を音にする。再現ではあるのだけれども、『知られていない』ということでは、私たちにとっては初めての音楽なわけで、『今日初めて作った音楽』みたいな新しさがあり、面白さもあります」と目を輝かせ、「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」を演奏することの喜びを語った。

「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」は、9月29日(木)午後7時から、日本福音ルーテル東京教会(東京都新宿区)で開催される。問い合わせは、オフィスアルシュ(電話:03・3565・6771、ウェブサイト)まで。

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