矢代静一氏の長女、女優の矢代朝子さん「神様に選ばれたという父のプチ満足感が『天一坊十六番』には流れている」

2016年6月9日16時57分 印刷
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矢代静一氏の長女で女優の矢代朝子さん=3日、青年座劇場(東京都渋谷区)で
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劇作家・矢代静一氏(1927~98)の作品「天一坊十六番―僕の使徒行録」が、劇団青年座の第222回公演として、10日から20日まで、青年座劇場(東京都渋谷区)で上演される。歌舞伎や講談で有名な「天一坊事件」を下敷きに、主人公・天一坊をイエス・キリストに、他の登場人物をペトロやピラトなどに見立てて描き、聖書の御言葉が随所に散りばめられた戯曲だ。静一氏の長女で女優の矢代朝子さんに、本作に込められた静一氏の思い、本作の見所をお聞きした。

1940年代から90年代にかけて活躍した静一氏はカトリック信徒で、キリスト教信仰に裏打ちされた作品を数多く生み出した劇作家。その中でも、本作『天一坊十六番-僕の使徒行録』(初演時の題は『天一坊七十番』)は、静一氏が69年、カトリック麹町聖イグナチオ教会で洗礼を受けた直後に執筆したもので、20代の頃からカトリックに関心を抱いていた静一氏がついにクリスチャンとなった心境が如実に反映されている作品だといえる。

―42歳で受洗された静一氏ですが、洗礼式の代父は遠藤周作氏が務められたのですね。

矢代家は日蓮宗でしたが、銀座で生まれた父は場所柄、西洋文化に接することも多かったようです。クリスマスには学生のサークル活動みたいなところで讃美歌を歌ったりしていたらしいです。戦前はそれが唯一、女の子と交流できる場でそちらの興味の讃美歌だったのでしょう。演劇の道に進んだ父は、フランス文学に憧れていました。そのフランス文学を理解するのに、キリスト教の知識が必要不可欠でした。そこで劇作家の加藤道夫(1918~53)さんの誘いもあり、聖書やカトリックの勉強を始めました。けれども、その加藤さんがカトリックでは最大の罪とされる自殺の道を選んで突然亡くなってしまいました。まだ20代だった父は大変なショックを受けました。しかし、加藤さんの告別式で、遠藤周作さんと出会ったのです。遠藤周作さんは、信仰においても、作家としても、まさに父の兄貴分でした。遠藤さんは、個人的にキリスト教芸術センターという文学者や芸術家が勉強できる場を作ったり、クリスチャン作家としての自覚が強く、父も大きな影響を受けました。

1940年代から90年代にかけて活躍した矢代静一氏(1927~98)はカトリック信徒で、キリスト教信仰に裏打ちされた作品を数多く生み出した劇作家(写真:矢代朝子さん提供)

―演劇への関心から、キリスト教の学びを始めたのですね。

最初は文学者として、作品を理解するために聖書を手にしたようです。特に欧米の戯曲は、聖書を理解しているかどうかで、解釈の深さが変わってきます。結局のところ、「神」について語っていると分かるか、分からないかで解釈が全く違うものになります。父だけでなく、父の時代の文学者は聖書をよく読んでいる人が多くいました。よく知られているところで言えば、イスカリオテのユダを題材にした太宰治先生の『駆け込み訴え』がありますが、そうした尊敬する先輩作家への憧れも、キリスト教へ関心を抱く大きなきっかけになっていたと思います。

―受洗後第一号となった本作には、静一氏のどのような思いが表れているのでしょう。

今回あらためて稽古を拝見して、「神様が私を見つけてくれた」という天一坊のセリフに、クリスチャンになった父の思いが一番表れているように感じました。自分で神様を見つけたのではない。神様が自分を選んでくれた、という父のプチ満足感がこの作品の根底に流れてるのかなと思います。前作の『夜明けに消えた』も、原始キリスト教が弾圧されているエルサレムを舞台にした宗教色の濃い戯曲でしたが、そこからは信仰に対する強い迷いが伝わってきます。信仰の道に進むかどうか最後の決着をつけるために書いた作品で、筆を進めるうちに神を見いだしてしまったので、まさに葛藤の固まりのような作品でした。それと比較すると本作は、信仰への確信を持った人らしい、余裕のある作品かもしれません。前作が、迷える小羊のイメージだとすれば、本作は、羊飼いの懐に飛び込んで「僕は神様に好かれてるんだ」とルンルン気分の小羊、といったところでしょうか。

矢代静一氏の長女、女優の矢代朝子さん「神様に選ばれたという父のプチ満足感が『天一坊十六番』には流れている」
「天一坊十六番―僕の使徒行録」は、6月10日(金)から20日(月)まで、青年座劇場で上演される。

―主人公の天一坊をイエス・キリストに見立てているとしながらも、「哀れで滑稽な男」などと表現するのが非常にユニークですよね。

徳川八代将軍吉宗の御落胤(ごらくいん)であると自称して処刑された天一坊は、講談では、天下の詐欺師、大悪党として描かれます。そんな人物を、イエス・キリストに見立てるなんて、はたから見れば失礼な話ですよね。でも、なぜか人々がだまされてしまう、引き付けられてしまう、その不思議な魅力をイエスに当てはめたかったのだと思います。ピカピカのキリスト教というのではなく、うさんくさくて、人間的な弱さが漂うキャラクターにしたところから、信仰を獲得した父の余裕や、神様への甘えのようなものを感じます。1973年に映画『ジーザス・クライスト・スーパースター』が日本で公開されたとき、父はイエスの描き方に感心していました。それまでの映画『十戒』、『偉大な生涯の物語』のようなバシッとしたキリスト教作品とは違う、人間くさいイエスが新鮮だったようです。

―最後に本作の見所を。

天一坊をイエスに見立てるだけではなく、明らかにペトロだと分かる漁師の九助や、イエスに従った女性たちを登場させるといった分かりやすい表現、聖書の御言葉を数多く引用して随所に散りばめるといった趣向が凝らされていて、聖書を読んでいる人には「あそこにも、ここにも」と宝探しのようで面白いパロディー作品だと思います。受洗直後で、聖書を一番読んでいた時期だから、アイデアがたくさん湧いてきたのでしょう。演劇は、生身の人間が演じるというパワーがあります。ぜひ、劇場に足を運んで本作品をご覧ください。

劇団青年座第222回公演「天一坊十六番―僕の使徒行録」は、6月10日(金)から6月20日(月)まで、青年座劇場で上演される。詳細は、劇団青年座の公式ホームページまで。

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