「戦争は絶対にやってはいけない」 東京大空襲の証言者・二瓶治代さん、矯風会の集いで訴える

2015年8月14日22時01分 記者 : 行本尚史 印刷
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東京大空襲で投下された焼夷(しょうい)弾を片手に自らの空襲体験を語る二瓶治代(にへい・はるよ)さん(79)。二瓶さんの後に掲示されているのは東京下町空襲被災地図=7日、矯風会館(東京都新宿区)で

日本キリスト教婦人矯風会は7日、同会がある矯風会館(東京都新宿区)で「クーシューってどーゆーこと?〜東京が燃えた日〜」と題して、「8・7平和を考えるつどい」を開催した。

この集いの7回目のゲストとして招かれた東京大空襲・戦災資料センター(同江東区、早乙女勝元・館長)の二瓶治代(にへい・はるよ)さん(79)はこの日、1945年3月10日の東京大空襲についての映像が上映された後、約40人の参加者に対し、大空襲での自らの体験を証言した。当時8歳だった二瓶さんは炎の中を逃げまどい、焼死体の下敷きになって辛うじて助かったことなどを語るとともに、「今は危ない時代」だとして、「戦争は絶対にやってはいけない」と繰り返し強調した。

米軍により入念に計画・実行された焦土作戦により、一晩で10万人もの人々が焼き殺された東京大空襲。「うちの周りはみんな死にました。一家が無事だったのはうちだけでした」と二瓶さんは当時を振り返った。

「真っ黒に炭のようになって焦げたたくさんの焼死体で、街は異臭に包まれていました」。二瓶さんはこの空襲での壮絶な体験を語り、投下された無数の焼夷(しょうい)弾(M69)のうちの一つを手にして参加者に見せた。二瓶さんによると、投下直後、この焼夷弾の温度は800度にもなったという。

この空襲で二瓶さんの妹はふくらはぎにやけどを負い、ひどい傷口からウジ虫が湧いて血を吸っていたという。医者に診てもらおうとするが、「油のない人は診てあげられません」と断られた。すると、大勢待っていた患者の中から、全く見ず知らずの男性がガラス瓶に入った1本の油をくれたという。「そのたった1本の油のおかげで、妹は命をつなぐことができました」

当時は薬がなく、治療は患部に食用油を塗るだけだったという。油を塗ると、やけどで腐った皮膚が浮き上がり、それをピンセットで剥がし、また油を塗る。それだけの治療だった。医者が治療のための油を持っていなかったため、油を持っている人しか治療を受けられなかったという。

「本当に貴重な油をくださったその優しい思いやりを持った方のおかげで、私たちは(妹の)命をつなぐことができました」と二瓶さん。「それは(千葉県)市川市の方に住む田中さんというおじさまだったんですね。私の心の中には、今でもそのおじさまの面影が残っております」

空襲から70年がたった今、田中さんは既に亡くなり、二瓶さんの両親も兄も亡くなった。まだ存命なのは、二瓶さんと妹だけだという。「戦後、いろいろ本当につらいことがたくさんありました。だけれども、『田中さんがいてくれて命が助かったのだから』というのが私たちの合い言葉で、私たちは生き延びることができました」

「日本は70年間、戦場で戦ったり、戦争で人を殺したりしないで70年が過ぎました。だけど今、とても危ない時代にさしかかっていると思います。私は、戦争だけは絶対にやってはいけないと思います」と二瓶さん。「どんな戦争でも、戦争は残酷なものですね。本当に人と人との殺し合いです。戦争に正義なんかないと思います。いつの時代でも、どこの国がやっても、どんな武器を使っても、戦争の結果というのは非常に残酷です」と語った。

「そして、その被害を一番多く受けるのは、一般の庶民だと思います。その中でも特に小さな子どもたち、社会的に弱い層ですね。子どもとか、それから女性とか、私が一番気になるのは、体が不自由だった人たち。その人たちがどれほどの苦労をしただろうかと、想像できます。目が見えなかったり、あの時そういう人たちがたくさんいたはずです。そういう社会的に弱い人たちが一番被害を受けます」と二瓶さんは語り、「ですから絶対に戦争はやってはいけないと思います」とあらためて強調した。

「勲章とかいっぱい付けて、偉い人たちの戦争もあると思うんですけれども、そういう人たちは戦場を知らないと思うんですね。やっぱり戦争というのは一般の庶民の中、あるいは戦地でも兵隊さんといわれた人たち、そういう人たちの中に本当の戦争の姿があると思います」と、二瓶さんは自らの戦争観を語った。

戦争体験者が少なくなっている現在、戦争とはどういうものかを、若者にどう伝えていくかが非常に大きな課題だという。二瓶さんは、「皆さんもできるだけ多く、戦争とはどういうものか、戦場でも空襲でも沖縄戦でも、とにかく(証言を)聞いて、それを伝えていってほしいと思います」と訴えた。

「世の中が不安で、食べるものがなかったり、仕事がなかったりすれば平和じゃないと言う人もたくさんいらっしゃるし、私も事実そうだとは思うんです。だけどやっぱり、平和の基本というのは、戦争をしないこと。戦争がないこと。そういうことだと思います。これから力を合わせて、『ダメなものはダメ』という声を上げていきたいと思います」と決意を語り、話を終えた。

二瓶さんの話の後には、賛美歌「アメイジング・グレイス」がチェロとピアノの合奏で演奏された。そして、「見上げてごらん夜の星を」を参加者で合唱した。

「戦争は絶対にやってはいけない」 東京大空襲の証言者・二瓶治代さん、矯風会の集いで訴える
「クーシューってどーゆーこと?〜東京が燃えた日〜」と題して開かれた「8・7平和を考えるつどい」の様子

この集いで司会を務めた矯風会平和部門幹事の斉藤恵子さんは、「矯風会では戦前、平和の活動を目標に掲げながらも、悲惨な戦争を阻止できず、戦争に加担してしまった反省に立ち、戦後は日本国憲法の三原則を支持し、性差別・性搾取・性暴力問題に取り組んできました」と、矯風会について説明。斉藤さんによると、矯風会では2009年から毎年、広島原爆の日の8月6日と、長崎原爆の日の8月9日前後に、「平和を考えるつどい」を開き、ゲストを招いて話を聞いているという。

70年前、小学生だったという矯風会平和部会部門長の今橋宣子さんは、二瓶さんの話に先立ってあいさつし、東京から静岡などに疎開を繰り返し、1年半の間に6回も学校が変わったと、自らの体験を語った。

その上で今橋さんは、「日本の軍隊もまた空襲をしたんです。大きな都市では中国の重慶という所です。私たちは空襲を知るときに、そういうことも頭に浮かべたいと思うんです。そして今この時も世界では空襲が起きています」と言い、特に中東のイスラエルやシリアで起こっている空襲を考えながら、二瓶さんの話を聞いてほしいと語った。

なお、東京大空襲・戦災資料センターの出版物には、最新刊の『決定版 東京空襲写真集 アメリカ軍の無差別爆撃による被害記録』(2015年1月)や、『語り伝える東京大空襲』(全5巻、2010年~2011年)、『東京・ゲルニカ・重慶―空襲から平和を考える』(岩波DVDブック Peace Archives、2009年)などがある。

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