臼田宣弘
1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。
1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。
旧約聖書のダビデ、ソロモン、ヒゼキヤ、ヨシヤは、ダビデ王朝の4人の王ですが、私はこの4人を「4大王」と名付けています。主の目に適(かな)う歩みをしつつ、同時に国を発展させた王たちだからです。
前回、知恵の探求に失敗したコヘレトは、今度は「喜び(シムハー / שִׂמְחָה)」の探求に向かいます。「さあ、喜びであなたを試そう」と自分自身に向かって語ります(1節)。
12節からは文章が改まります。ヘブライ語聖書では、12節の前に文章を区切るマークが挿入されています。前回まで取り上げたところまでがコヘレト書の序文であり、12節から本文に入るといわれています。
今回の箇所も、前回の1章2節と12章8節のように、コヘレト書の終盤の11章7節~12章7節とインクルージオ(囲い込み)を構成していると考えられます。今回「『無限』―太陽の下の循環―」という題と副題を付けさせていただきましたが、11章7節~12章7節も、同じ題と副題が付けられる内容だからです。
前回お話ししましたように、コヘレト書にはインクルージオ(囲い込み)といわれる修辞法が使われています。1章2節と12章8節を見比べますと、その内容はとてもよく似ています。この2つの節によって、その間の部分がサンドイッチされているわけです。
1節「エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉」。これによって「コヘレト書は伝統的にはソロモン王の言葉集とされていたが、今日の聖書学においては、この書はもっと後代のコヘレトとされるある賢人の言葉集であるといわれている」とお伝えしました。
今回からコヘレト書を読んでまいりたいと思います。私はまだ学びの途上にありますが、コヘレト書について考えているさまざまなことを世に問いたい思いもあり、コラムの執筆を引き受けさせていただきました。皆様のご意見をいろいろと伺えれば幸いです。