パウロとフィレモンとオネシモ(28)「証書」―フィレモン書に残されたパウロの実例― 臼田宣弘

2020年11月19日10時22分 記者 : 臼田宣弘 印刷

今回から3章に入る予定でしたが、前回の補足と、2章全体について考えていることを書き記しておきたいと思います。まず前回の補足ですが、2章14節に以下のように記されています。

規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。

この「証書(ケイログラフォン / χειρόγραφον)」という語について、『新約聖書釈義辞典Ⅲ』でN・ヴァルターは以下のように述べています。

 χειρόγραφον 手書き文書、自署債務の証書

新約ではコロサイ2:14にしか見られない。この箇所を、単純に<手書き文書>と解したのでは何の意味も生じない。これは債務法上の術語(筆者注=述語ではありません。術語とは「専門用語」のことです)として理解するべきである。この語は、負債者の手によって作成された自筆の<債務証書>を指す。この形式においてのみ認められることになる(ルカ16:6~7参照!)

(筆者注=ルカ16章6~7節「『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文(グランマ / γράμμα)だ。急いで、腰を掛けて、50バトスと書き直しなさい。』 また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。80コロスと書き直しなさい。』」)

似たようにして、この語は七十人訳(トビト5:3、9:5)で<自筆の受領書>のことを意味する。それの作成者は供託された金銭に対して自身で保証を請け負うのである。

(筆者注=トビト記5章3節「トビトは息子トビアに答えた。『ガバエルは自筆の証書(ケイログラフォン / χειρόγραφον、新共同訳の旧約続編では「証文」と翻訳されているが、コロサイ書と統一するため「証書」とした)を作り、わたしもそれに署名した。そして、それを二つに分け、おのおのが証書の一方を受け取った。彼は証書の半分と共に銀も受け取った。今はもう、銀を預けてから20年になる。わが子よ、だれか一緒に行ってくれる信頼できる人を見つけなさい。その人には帰って来るまでの期間の報酬を与えよう。さあ行ってガバエルからその銀をもらって来なさい。』」

トビト記9章5節「そこでラファエルは4人の召し使いと2頭のらくだを連れてメディアの地ラゲスに行き、ガバエルのところに泊まった。そしてガバエルに証書を渡し、トビトの子トビアが妻をめとり、ガバエルを婚礼に招待している旨を告げた。するとガバエルは立ち上がり、封印のしてある袋の数をラファエルの前で数え、それらをひとまとめにした。」)

(中略)パウロはフィレモン18で自筆の債務証書の実例を残しており(術語による文意も逐語的に書かれて)、その際パウロはオネシモのために、あるかもしれない負債か損害かに対する保証を約束している。(514ページ)

上記で提示されているフィレモン書18節と、そこに内容的につながっている19節前半は以下になります。

18 彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。19 わたしパウロが自筆で書いています。わたしが自分で支払いましょう。

引用したN・ヴァルターの論述は、前半は「証書」について、トビト記に見られる「証書(ケイログラフォン / χειρόγραφον)」や、ルカによる福音書に見られる類義語「証文(グランマ / γράμμα)」が「債務法上の術語」であると説明しています。そして後半では、「フィレモン書にパウロの実例が残されている」としています。コロサイ書に関して、フィレモン書との関連を読み取っている本コラムにおいて、この点は重要です。コロサイ書の著者(フィレモンであるというのが私の見解です)が、パウロの残した実例を参考にして、コロサイ書で「証書」と記述したとみてよいのではないでしょうか。

また、N・ヴァルターが「パウロはオネシモのために、あるかもしれない負債か損害かに対する保証を約束している」と述べていることも、オネシモ非逃亡奴隷説に立つ私には興味深いところです。奴隷オネシモが主人フィレモンに対して罪を犯したというのではなく、ことによると「職務上の過失」による負債か損害が、フィレモンに対して「あるかもしれない」とフィレモン書に記されているということです。なお、第9回でお伝えしましたが、ゲルト・タイセンやチャールズ・B・カウザーは非逃亡奴隷説に立っており、日本の市川喜一氏もこの説に立っています(『パウロによるキリストの福音Ⅲ』、キリスト福音誌「天旅」のウェブサイト参照)。

フィレモン書を「悪党奴隷オネシモの罪の赦(ゆる)しを願った手紙」とする理解では、なかなか後代のエフェソの教会監督オネシモ(第8回で詳述しています)と結び付きません。オネシモはパウロによってその高い能力を認められ(オネシモは「有用なる者」の意)、パウロからいわば「後継者指名」された人物であり、「オネシモの奴隷解放と福音宣教者への任命を願った手紙」というのが、私のフィレモン書に対する理解です。

いずれにしても、前回お伝えしたように、「証書」とは「『手をつけるな。味わうな。触れるな』という規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書」という意味であり、それは、フィレモン書を熟読していた著者が、パウロに倣い、象徴的な意味合いでそのように書いたのでありましょう。

さてもう一点、2章全体について考えたことですが、「著者はコロサイとラオディキアの状況を良く知っている人物である」と思わされました。偽の教えが吹聴されている様子が、2章からひしひしと伝わってきます。誰かを通しての伝聞ということではなく、現地に居住する者の肌感覚での観点ではないかと思えます。私はその点からも、コロサイ書の著者は、コロサイ居住のフィレモンであろうと考えます。コロサイ書は、コロサイとラオディキアで起こった問題に対処し、「頭であるキリストにしっかりと結び付きなさい」ということを、フィレモンがパウロの名前によって書いた手紙であるというのが、私の理解するところです。(続く)

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臼田宣弘

臼田宣弘(うすだ・のぶひろ)

1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。

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