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孤児の父―ハインリッヒ・ペスタロッチの生涯

孤児の父―ハインリッヒ・ペスタロッチの生涯(12)成功から暗い谷間へ

2019年8月7日18時16分 コラムニスト : 栗栖ひろみ
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1802年11月。ナポレオンは憲法制定会議を召集し、ペスタロッチはチューリッヒの代表としてパリに赴いた。彼はチューリッヒのために幾つかの提案をしたがほとんど採択されず、気落ちしたが、この地において思いがけない収穫があった。

彼が書いた「メトーデ(直観的教授法)の本質と目的についてパリの友人に宛てた覚書」という論文はパリで大きな反響を呼び、J・ネーフのもとに「ペスタロッチ思想に基づく施設」がパリに開設されたのである。

1803年、ペスタロッチは再びブルクドルフに戻った。しかし、2月19日に発令されたナポレオンの「仲裁法令」により、連邦政府は廃止され、各県は州知事によって治められることになった。これは学園にとって大きな痛手となった。

というのは、ベルン州の意向で学園への助成金は打ち切られ、ブルクドルフ城は郡の長官の住居に提供されることになったので立ち退きを命じられたのである。1804年2月、州の決定により、ペスタロッチの施設は1年間無料でミュンヘンブッフゼー城に割り当てられることになった。

「これは悪魔のわざです。私は子どもたちのためにもの乞いをしなくてはならないでしょう」と、彼は友人G・ケルナーに書いている。

しかしながら、ペスタロッチには協力者が与えられた。パリから付き従ってきたヨハネス・フォン・ムラルト、サンクト・ガレン州で牧師をしていたヨハネス・ニーデラー、そして里子としてブルクドルフにやってきた生徒のラムザウアーも教師としての力量を身につけていた。彼らはクルージ、プス、トプラーなどと共に協力し合ってペスタロッチを支えたのである。

そんなある日、この学園で働かせてほしいと一人の青年が訪ねてきた。どこかで見たような顔だと思った瞬間、すぐにペスタロッチはそれがシュタンツの孤児院にいた年長の子どもの一人であることに気付いた。

「ヨゼフ・シュミット!よく来たね」。喜びに顔を輝かせたペスタロッチは、相手を温かく抱擁した。そしてすぐに彼を下級教師にし、それだけでなく学園の経理・事務の仕事もさせるようにした。シュミットは、驚くべき数学的能力を持っていた。もともと数学が不得意のペスタロッチは彼の才能に魅了され、ほとんど魂を奪われるほどであった。

そのうちこの学園の評判が高くなるにつれ、幾つかの州が学園の誘致を始めた。一番熱心だったのはイフェルテン市だったので、1804年、ペスタロッチはイフェルテン城内に学園の分校を作った。そして、彼自身はミュンヘンブッフゼーとイフェルテンに交互に滞在することになった。

この時、学園の管理にまで自分の主張ができるようになったシュミットの提案で、ブッフゼーの事務処理をエマヌエル・フォン・フェレンベルクに委ねたのだが、この人物は学園の管理という職種の枠を越えて教師たちに生活秩序や生徒の教育の仕方まで指示し、自分の考えを強要するようになった。

そして、ペスタロッチはついに彼と口論をし、1805年7月6日、助手と生徒をつれてイフェルテンに引き上げた。この分裂は、学園の教師間の分裂という悲劇のほんの始まりだった。

この年、ペスタロッチはライプチヒの出版社主グレフとの共同作業により『ハインリッヒ・ペスタロッチの教育雑誌』を刊行する。彼はこの中で「人間性への教育」が本来の教育の目的であり、人間形成という観点から見た場合、富裕というものは不利であって「清貧」こそ大切にすべきことを訴えたのだった。

1894年。3人の委員から成る政府の教育委員会がペスタロッチの学園を調査に来た。そして、翌年にその報告がされたが、ペスタロッチは大きな打撃を受けた。それは施設の弱体化を鋭く指摘したものだった。この報告は教師間のいら立ちを増大させた。すでにこの時には教師の間に分裂が起きていた。その一番の原因は、ペスタロッチから大きな期待をかけられていたヨゼフ・シュミットにあった。

彼は教授法と施設内の教育について独自の意見を通そうとしていた。彼は何よりも低学年の段階を廃止しようとしていた。その年頃の教育は母親に任せるべきだとし、さらに14歳の生徒にとっても施設は適切なものでないと主張した。

「この学園に必要なのは英才教育ですよ。優秀な子どもの能力開発のために施設を用いるべきです」。このために、教師間の分裂はもはや癒やし難いものとなり、1808年には協力者たちが次々と去り、ヨゼフ・シュミットも7月26日、学園を去って行ったのであった。

*

<あとがき>

シュタンツを去り、ブルクドルフに戻ったペスタロッチは、小学校の教師の職を得、同じ志を持つ3人の教師仲間と共に理想的な養護施設「ブルクドルフ学園」を立ち上げます。その事業も軌道に乗ったところで、政治的事情のために学園の立ち退きを命じられます。

その後、新しい教育現場を模索していたときに、イフェルテン州がこの学園を誘致し、ペスタロッチたちはこの市に「イフェルテン学園」を設立。新しい教師も加わり、たちまちこの施設はモデル校となります。

そんな時に、思いがけない人物がペスタロッチのもとを訪れます。それは、あのシュタンツの孤児院でペスタロッチが実の子以上に愛情を注ぎ、慈しんだ孤児の一人ヨゼフ・シュミットでした。

この再会こそ、後に教師たちを分裂させ、事業を衰退させ、ペスタロッチ自身生涯苦痛を背負っていかねばならない不幸の前兆となったのでした。しかし、シュミット自身はペスタロッチに恩を返したくて、この学園に奉職したのです。

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◇

栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
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