孤児の父―ハインリッヒ・ペスタロッチの生涯(11)新しい小学校

2019年7月17日21時47分 コラムニスト : 栗栖ひろみ 印刷

ゲルニーゲルで静養を余儀なくされたペスタロッチは、ようやく小康を得たので、シュタンツの孤児院の復興を政府に願い出た。しかし、孤児院の仕事の結果が疑わしいという報告がなされたので、彼の願いは叶わず、政府は彼をシュタンツに召還する決定を出せなかった。

(私は子どもたちに教えたい。小さなうちに、その柔らかな心に将来自立できるような職業の知識と、神を尊び人を愛する宗教教育を施したいのだ。)彼はそう思うと、居ても立ってもいられずに、まるで飢え乾いた野良犬のように、各地の小学校を回って校長に頭を下げて言った。「どうか私に児童の教育の仕事を下さい。報酬は望みませんから」。学校側は当惑し、彼の評判があまりよくなかったことから、これを断った。

しかし、文部大臣のフィリップ・アルベルト・シュタッファーは、ペスタロッチの実績を心に留めていたので、政府の閣僚会議で彼を農民学校の教師に任命してはどうかと提案した。

1799年7月23日。ようやくペスタロッチはブルクドルフという町の農民学校の初等教育の教師としての職を得たのであった。彼はその学校でサムエル・ディズリーという教師と教室を分け合ったが、ことごとくその教育方針を異にし、衝突を繰り返すようになった。

このため、この教師は不満を募らせ、校長に彼の悪口を言い、排斥運動を始めた。彼の友人たちはペスタロッチを市民学校に推薦し、彼はこの学校の教師として認められ、8歳から12歳の子どもを受け持つことになった。

彼の教育法は少しずつ認められ、やがて協力者が得られるようになった。一方、文部大臣シュタッファーもある計画を進めていた。それは、J・R・フィッシャーをブルクドルフ城に住まわせ、この中に教員養成所を開き、学校制度の新しい維持のために尽力することになっていたのである。フィッシャーは零落した田舎の住民に配慮を傾けており、リントとゼンティスの2州の26人の子どものために里親制度を確立することに成功した。

1800年1月。集団里子の一団が養成所の教師ヘルマン・クルージーに率いられてブルクドルフに到着した。そして、クルージー自身が受け持つことになった。この中には、9歳の少年ヨハネス・ラムザウアーがいたが、彼は後にペスタロッチの良き助け手となるのである。

6月にフィッシャーが亡くなると、クルージーはペスタロッチに協力を求め、彼らは教師仲間として協力し合うことになった。続いてヨハン・クリストフ・プス、ヨハン・ゲオルク・トプラーがやってきて同じく仲間になった。

この年の10月1日。シュタッファーによって作られた「教育制度友の会」委員会は、この学校が極めて優れているとの報告をし、全面的な支持をもたらすことになった。10月24日。ペスタロッチは、ブルクドルフ城内に新しい小学校を開き、同時に師範学校も併設されることになった。

1801年元旦。ペスタロッチは出版社主ハインリッヒ・ゲスナーに宛てて14通の手紙を届けた。その中で彼は、自分が開発した「メトーデ(直観的教授法)」という教育方法を発表した。ゲスナーは非常に感銘を受け、その年のうちに自ら名付けた「ゲルトルート児童教育法」というタイトルのもとにこれを出版した。

「直観こそはあらゆる知識の基礎である。どんな知識もすべて直観から発しているのである。これから考えてみると、われわれの認識はすべて数・形・語から発するから、この本質的な構造が知覚できるような場合に取り次いでやらねばならないのである」。ペスタロッチは「メトーデ」の概要をこのように述べ、「数の教育」「形の教育」「言語の教育」を極めて特殊なやり方で教授している。

それからまた、彼の教育法の際立った特徴として、幼児と母親の関係の大切さを述べている。「母親が乳児の最も基本的な要求を満たしてやるとき、子どもの中に愛の萌芽がふくらんでくるのです。感謝の気持ちとか隣人愛というものは人を母親と同一化することから生まれてくるのです」

学園は成長し、やがて各地から教育者たちが見学に訪れるほどになり、シュタッファーによって創設された「教育制度のための協会」はこの学園に対し、「最も優れた学校」との評価を下したのであった。

しかしその年の8月15日。悲しい知らせが届いた。最愛の息子ヤーコプが死去したのである。虚弱体質と神経の疾患のために生涯苦しみ、また両親にも苦労をかけた末の、31歳の若さの死であった。

<あとがき>

シュタンツの孤児院が閉鎖され、断腸の思いで孤児たちと別れたペスタロッチは、病も癒え、ブルクドルフの町の農民学校の教師としての職を得ました。しかし、この学校で子どもの人格を尊重せず詰め込み教育を行うディズリーという教師と意見が合わず、校長からも批判されます。

そんな彼の苦境を見た友人たちは、市民学校の教師に彼を推薦するのですが、ここでペスタロッチの才能が遺憾なく発揮されたのでした。ちょうど時あたかも文部大臣シュタッファーの計画でブルクドルフ城に教員養成所ができ、孤児のための里親制度も確立したところだったので、ペスタロッチは何人かの教師と協力し合い、ここに「ブルクドルフ学園」を開くことになります。

ペスタロッチはここでメトーデ(直観的教育法)というものを開発し、子どもの直観に働きかける方法で「数の教育」「形の教育」「言葉の教育」を行い、目覚ましい成果を見せたのです。

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。

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