ヘボンと日本語訳聖書誕生の物語(19)日本への最大の贈り物

2019年1月4日16時17分 コラムニスト : 栗栖ひろみ 印刷
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この頃ヘボンは、ミッションスクール(キリスト教主義の学校)を各地に建てるために全力を注ぎ、その傍ら孤児院や養老院などの福祉事業にも協力していたので、長年の疲労も加えて健康を害してしまっていた。医者はスイスでしばらく療養する必要があることを強く勧告したので、ヘボンはクララを伴ってスイスに行き、1年間療養生活を送ることにした。

1882(明治15)年。スイスから帰った夫妻は、結婚してエッソ石油の支店長となっていた息子サムエルとその家族に迎えられた。立派に成長したサムエルは温かく両親の労をねぎらったので、ヘボンは久しぶりにくつろいだ数日を過ごすことができた。

しかし彼は、疲れを癒やす間もなく出発前に原稿を完成させておいた旧約聖書「箴言」に目を通し、再び宣教師たちを呼び集めて共同訳の再開を呼びかけた。不在の間に翻訳作業はほとんど進んでいなかった。ヘボンは改めて役員としてフルベッキ、グリーン、ファイソンらと共に仕事に取りかかった。

日本人の中にも協力を申し出る人がいて、高橋五郎、松山高吉、井深梶之助、植村正久などが委員として顔をそろえた。毎日9時から3時までヘボンは目が痛んで開けていられなくなるまで、聖書翻訳に没頭した。

そのうち、ファイソンが帰国してしまうと、ヘボンとフルベッキが日本人委員を統率して進めなければならなかった。フルベッキは、政府の相談役から身を引き、聖書翻訳に全面的に協力してくれることになった。

完成まで実にいろいろな困難があった。担当分を約束通り訳してくれる者がいなかったり、いったん提出した原稿をもう一度修正したいからと引き取るメンバーがいたり、長い間原稿を提出しないメンバーがいたりした。

そのうち日本人委員の中にも支障が出てきた。植村正久はダーウィンの『進化論』や『不可知論』などが若者の心をとらえ、全国に広がるのを見ていられず、唯物論に反対する行動を起こしていた。彼はキリスト教精神を弁護することに精力を傾け、『真理一致』を警醒社から出した。

新島襄は同志社英学塾を起こし、たった9人の塾生から始めた教育に打ち込んでいた。その他にも多くの日本人がそれぞれの仕事に忙殺されていたのである。それでヘボンは日本人委員会を解散せざるを得なくなった。

このように多くの困難を経た後、ようやく1887(明治20)年の大みそかに旧約聖書の日本語訳が完成したのであった。年が明けた2月3日。完成祝賀会が築地の新栄教会で行われた。「祝・日本語聖書翻訳完成」の垂れ幕を背に、伊藤時雄、稲垣信が感謝の演説をし、長いひげが真っ白になった奥野昌綱牧師が祈りをささげた。

それから、ヘボンが壇上に上がった。脇のテーブルには「スコットランド聖書協会」の好意により、立派に装丁された聖書が積み重ねられてあった。

「キリストの兄弟である方々。今日私に残されたただ一つの仕事は、『常設委員』たちの手で訳されたこの旧約聖書と、『横浜新約聖書委員会』の手ですでに訳されていたこの聖書とを一つの聖書として併せること。そして、それを日本の人々への贈り物としてささげることであります」

そう言いながら、ヘボンは右手で旧約聖書を、左手で新約聖書を持ち上げて聴衆に見せてから、それをピタリと一つに併せた。静まり返っていた会場に感動がさざ波のように広がり、やがて割れんばかりの拍手が湧き起こった。そして、それはいつまでも鳴りやまなかった。

一方、「東京一致神学校」と「一致英和学校」が母体となって「明治学院」が生まれた。これは高輪白金村の三田藩主九鬼長門守邸の跡地1万坪を買って建てられた大学で、ヘボンを総長に、フルベッキを理事長として開校した。1886(明治19)年に服部綾雄、熊野雄七らの名で設立届けが出されている。ヘボンは『和英語林集成』第3版の版権を丸善に売った2千ドルで地上4階、地下1階の木造校舎兼寄宿舎を寄贈した。

彼は週2回ここで「生理学」と「生物学」を教えていたが、総長でありながらほとんど総長室にこもることなく、常に広い校庭を歩きながら多くの学生たちと語り合ったといわれている。

「全国から志を抱いた若者たちがここに来てキリスト教精神と友愛を学び、それぞれの分野での知識を吸収して社会に飛び立って行く―これは何と素晴らしい神様のわざでしょう。私は日本の若者に期待しています」。すでに髪とひげに白いものをたくわえたヘボンはフルベッキにこう語るのだった。

<あとがき>

宣教師たちによって各地に建てられたミッションスクール(キリスト教主義の学校)が日本社会に与えた恩恵は計り知れないものがあります。その1つとして明治学院が挙げられましょう。この学校は「東京一致神学校」と「一致英和学校」が一つとなって出来たといわれていますが、各地から向学心に燃える多くの若者が集まり、ここで専門分野の知識を得、キリスト教精神を体得して社会に貢献したのです。

明治時代には政治に、また社会事業や文学、芸術の分野において優れた業績を残した人が多くいますが、彼らは少なからずミッションスクールでの学びの中で人生の土台を築いた人たちだったのです。

このような時に、血と汗の結晶である旧約聖書の和訳が完成し、ヘボンの手で、既に訳し終えた新約聖書と一つに併せられ、日本人の手に委ねられたのです。これこそ、ヘボンをはじめとする宣教師たちの日本への最大の贈り物であり、愛の結晶でありましょう。

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。

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