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福音の回復

福音の回復(49)十字架の意味(後編) 三谷和司

2017年12月9日19時08分 コラムニスト : 三谷和司
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福音の回復(49)十字架の意味(前編) 三谷和司+

【十字架の意味―後編】

(1)罪は病気であった

キリストの十字架は、私たちの罪を背負った十字架であった。その罪とは「神と異なる思い」であり、それは神との結びつきを失う「死」が原因であった。罪となる「神と異なる思い」は、まさしく「死」から来た「とげ」であった。「死のとげは罪であり」(Ⅰコリント15:56)。「罪」は、人が「死」に支配されたことによって、人のうちに君臨するようになったのである。「それは、罪が死によって支配したように」(ローマ5:21)。

その「死」は、悪魔がエバに持ち込んだ「神と異なる思い」に端を発したので、悪魔のことを「死の力を持つ者」(ヘブル2:14)という。そして聖書は、悪魔の仕業による「死」によって人が罪を犯すようになったので、「罪を犯している者は、悪魔から出た者です」(Ⅰヨハネ3:8)と教える。

つまり、人が犯す罪は外部から入り込んだ「死」によったのである。人の本性には何ら問題などなかった。人は神から生まれ、その神は善なる方であって、善なる方からは善なるものしか生まれないのである。まことに神が言われた、「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった」(創世記1:31)は、真実であった。そうした意味では、罪は死がもたらした「病気」という扱いになる。実際、イエスは罪をそのように扱われた。

「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」(マルコ2:17)

従って、人の罪は人の足に付いた泥と何ら変わりはない。イエスは、そうした「罪の正体」を誰よりも熟知しておられたので、罪を取り除く十字架を実行する前に弟子たちの足に付いた泥を洗われた。そして、次のように言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです」(ヨハネ13:10)。イエスは人の足に付いた泥と人の罪を重ね、それを洗い流す中、その罪は人の本性とは無関係であり、人はきよいことを教えられたのである。さらにイエスは、次のようにも言われた。

「だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません」(ヨハネ12:47)

罪が「病気」であるからこそ、イエスはこのように言われた。ここにこそ、キリストはなぜに私たちのことをご自分のいのちさえも惜しまずに愛されたのか、その真意がある。それは、人が死に至る病気で苦しんでいたからにほかならない。

考えてみてほしい。人間でさえ、愛する息子が死に至る病気になれば、自らの命を顧みずに助けようとする。私たちは神の「いのち」を分けて造られた「神の子」である。「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます」(ローマ8:16)。だとすれば、神は迷うことなく自らのいのちを顧みずに助けようとされないだろうか。必ずそうされる。だからこそ、神は十字架の死を選択された。すなわち、十字架の本当の目的は、人の罪を癒やすことにこそあった。聖書は、こうした罪に対する贖(あがな)いをさまざまな形で証ししている。その最初の「型」を、アダムとエバに見ることができる。

(2)アダムとエバに対する贖い

アダムとエバは罪を犯した。しかし、それは悪魔に欺かれたからであって、彼らは被害者であった。今風に言えば、「振り込め詐欺」に遭ったようなものである。そのため、神の目からすると彼らの罪は贖われるべき対象であり、裁かれるべきは悪魔だけであった。それゆえ、神は人を欺いた悪魔に対しては裁きを宣言したが、「彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」(創世記3:15)、人には「皮の衣」を着せられた。

「神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった」(創世記3:21)

「皮の衣」を着せることには深い意味がある。アダムとエバは悪魔の仕業で入り込んだ「死」によって神の愛が見えない「不安」を抱き、自分たちが裸であることを「恐れ」、「それで私は裸なので、恐れて、隠れました」(創世記3:10)、罪を犯すようになった。だから神は、罪を犯させるようになった「恐れ」を取り除こうと、彼らの裸に「皮の衣」を着せられた。そのことで、神の愛が見えないことの「不安」を締め出し、罪を贖おうとされたのである。

これは、まさしくキリストの十字架の贖いを示した「型」にほかならない。そのために彼らの着物は動物の犠牲を必要とする「皮」で作られ、キリストの犠牲を必要とする十字架を暗示していた。こうした神の対応は、人の罪は贖いの対象であって裁きの対象ではないことを示している。

ならば、どうして彼らは着物を着せられたあとにエデンの園を追放されたのかと思うだろう。実はこれも彼らの罪を贖うためであり、罰を科せられたわけではない。一見するとそれは懲らしめのように見えるが、それは罪を取り除くための神の訓練であって、平安な義の実を結ばせるためにそうされたのである。そのことは、次の御言葉を読めば分かる。

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」(ヘブル12:11)

このように、神がアダムとエバにされた対応は、罪が病気であって、十字架の目的は人の罪を癒やすためであったことを示している。キリストの十字架は悪魔に対する裁きであって、人に対しては罪を贖うための「全き愛」であったことを示している。ゆえにキリストは、「今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです」(ヨハネ12:31)と言われた。では引き続き、十字架に関する聖書の証言を見てみよう。

(3)罪が癒やされる

罪という病気は、神との結びつきを失う「死」から生じた。「死」が、「神の愛が見えない不安」と「肉体の死に対する不安」を生じさせ、それが原因で「神と異なる思い」という罪が発症した。ゆえに、わが子を助けようと、キリストは十字架の死でもって「神の愛」を明らかにし、「神の愛が見えない不安」を取り除かれた。さらに十字架の死でもって「復活」を明らかにし、「肉体の死に対する不安」を取り除かれた。こうして、キリストの打ち傷が、罪という「病気」を癒やす薬となった。ゆえに、聖書は十字架の目的を次のように証言している。

「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」(Ⅰペテロ2:24)

この御言葉にあるように、十字架の本当の目的は人の罪を癒やすことにこそあった。ということは、十字架の血によって「罪が赦(ゆる)される」というが、「この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています」(エペソ1:7)、「罪が赦される」とは「罪が癒やされる」ことを意味していたことになる。私たちは「罪が赦される」ことは、罪に対する罰が帳消しにされることだと思ってきたが、実はそうではなかった。それは、「罪が癒やされる」ことを意味した。「神の愛が見えない不安」と「肉体の死に対する不安」が締め出されていき、悪からきよめられることを意味した。そのことは、「罪が赦される」ことを教えた有名な御言葉を見ればすぐに納得がいく。

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し(罪を投げ捨て)、すべての悪から私たちをきよめてくださいます(罪の病気から癒やしてくださいます)」(Ⅰヨハネ1:9) ※( )は筆者が意味を補足

この御言葉は、「罪が赦される」ことを、それは悪からきよめられることだと言い換えている。悪とは罪を生じさせた「死」であり、それからきよめられるとは、罪が癒やされることを意味する。この御言葉は「罪が赦される」ことを、「罪が癒やされる」こととして説明しているのである。また、詩篇にもこうある。

「主は、あなたのすべての咎(とが)を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる」(詩篇103:3~5)

旧約聖書はもっぱら口伝であったため、人の記憶を助けるための工夫がなされた。その工夫の1つが、重要な内容は同じリズムで反復し、言い換えることであった。この箇所では、「あなたのすべての咎を赦し」を、「あなたのすべての病をいやし」と、全く同じリズムで反復し言い換えられている。この言い換えからも分かるように、「罪が赦される」とは、「罪が癒やされる」ことを意味する。なぜなら、罪は「病気」であるからだ。つまり、「罪が赦される」とは人の価値観に合わせた言い方であって、「罪が癒やされる」とは実際の中身を言い表している。

いずれにしても、罪は「病気」ゆえ、罪に対する神からの裁きは何もない。「だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません」(ヨハネ12:47)。裁きがない以上、罰が帳消しになるという話は存在しない。罪に対してあるのは癒やしだけであり、これを「救い」という。救い主というのは、癒やし主という意味である。「救う」と訳されるギリシャ語は「ソーゾー」[σῴζω]で、「癒やす」という意味がある。

このように、人の罪は「病気」ゆえに、キリストは自らのいのちを顧みることもなく、十字架で私たちの病を負ってくださった。十字架の話は、人の罪を赦すために罪に対する罰を負ったという話ではまったくなかった。そもそも罰を帳消にして罪を赦すというのであれば、神ご自身がひと言、「罪を赦す!」と宣言すれば済む話になる。十字架の必要性などまったくない。しかし、罪という病気を癒やすとなるとそうはいかない。その病気の源を断たなければならない。その源は、「神の愛が見えない不安」と「肉体の死に対する不安」と「悪魔の仕業による死」だったので、キリストは十字架にかかる必要があったのである。まことに聖書は、十字架の目的が罪の癒やしにこそあったことを一貫して証ししている。

(4)誤解を解く

私たちはキリストの十字架を、私が受けるべき罪の罰を代わりに受けてくれたものだと思ってきた。私が受けるべき罰を、代わりに受けてくださったのが十字架だと思ってきた。少なくとも、私はそう思ってきた。そのように思ったのは、「罪には罰」という価値観の中で暮らすからであって、それは避けられなかった。

しかし、真実はまったく違った。キリストの十字架は、私たちの罪という病気を癒やすためであった。そこでは罪という病気を完全に癒やすために、「死」を持ち込んだ悪魔が罰せられていた。見た目はキリストが罰せられたように見えても、実は悪魔が罰せられていた。それが真実である。私たちの罪の罰を負い、私たちの代わりになって罰せられたのではなく、悪魔を滅ぼすために刺し通されたのである。すべては、私たちの罪という病気を癒やすためであった。ゆえに、キリストの十字架は次のように預言されていた。

「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」(イザヤ53:4~5)

人の罪は「病気」ゆえ、キリストの十字架は「私たちの病を負う」ためであったことが預言されている。そのために悪魔が罰せられた。だが人は、キリストが罰せられたのだと誤解するだろうという。「だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと」(イザヤ53:4)。確かに人は誤解した。キリストは私たちの罪の罰を代わりに背負い、神から罰せられたのだと思った。

しかし真実は、私たちの罪を取り除くために十字架で刺し通され、「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され」(イザヤ53:5)、悪魔が罰せられ滅ぼされた。「これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし」(ヘブル2:14)。ゆえに、その打ち傷によって罪が癒やされる。「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」(イザヤ53:5)。

つまり、十字架で裁かれたのは悪魔であって、私たちの罪が裁かれたのではない。「今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです」(ヨハネ12:31)。私たちはこの事実を知らない。十字架の意味を誤解している。それは、「罪」が「病気」だとは知る由もないからそうなる。まさしく「罪」への誤解が、十字架の「義」について「裁き」についての誤解を生んでいる。ゆえにイエスは、御霊なる神がその誤りを認めさせると言われた。

「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます」(ヨハネ16:8)

その誤りとは、私たちが裁かれると思ったことである。だから、御霊なる神が、「さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです」(ヨハネ16:11)と、その誤りを訂正されると言われた。

このように、キリストが十字架にかかられたのは罪という「病気」を癒やすためであった。人を癒やすために、キリストは十字架の死を選択された。だだその死は、キリストご自身が父なる神と、御霊なる神との結びつきを失うという、想像を超えた苦しみが伴う「霊的な死」であった。このことは、神がこれほどまでに私たちを愛してくださっているということを示している。私たちはこの「全き愛」を受容することで罪が癒やされ、互いに愛し合うことができるようになる。

「愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。・・・もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです」(Ⅰヨハネ4:11、12)

私たちは、ここに愛の回復を見ることができる。これこそが、キリストご自身が十字架に賭けた思いにほかならない。その思いが、十字架に秘められた最後の意味となる。

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◇

三谷和司

三谷和司

(みたに・かずし)

神木(しぼく)イエス・キリスト教会主任牧師。ノア・ミュージック・ミニストリー代表。1956年生まれ。1980年、関西学院大学神学部卒業。1983年、米国の神学校「Christ For The Nations Institute」卒業。1983年、川崎の実家にて開拓伝道開始。1984年、川崎市に「宮前チャペル」献堂。1985年、ノア・ミュージック・ミニストリー開始。1993年、静岡県に「掛川チャペル」献堂。2004年、横浜市に「青葉チャペル」献堂。著書に『賛美の回復』(1994年、キリスト新聞社)、その他、キリスト新聞、雑誌『恵みの雨』などで連載記事。

新しい時代にあった日本人のための賛美を手掛け、オリジナルの賛美CDを数多く発表している。発表された賛美はすべて著作権法に基づき、SGM(Sharing Gospel Music)に指定されているので、キリスト教教化の目的のためなら誰もが自由に使用できる。

■ 神木イエス・キリスト教会ホームページ

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
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