混血児の母となって―澤田美喜の生涯(11)扉の向こうに道が

2017年7月21日18時54分 コラムニスト : 栗栖ひろみ 印刷
関連タグ:澤田美喜

聖公会の援助打ち切りは、ホームに決定的な打撃を与えるものだったが、それとともにアメリカ国内において心ある人々の同情を煽り立てる結果にもなった。澤田美喜という1人の日本人女性に対してあまりにもあくどい中傷や批判が浴びせられたので、かえってそれが一般市民の怒りを買うことになり、聖公会以外の教派に属する人々は、続々と激励の手紙や寄付金を送ってよこした。

また日本国内においても、美喜の孤児救済の事業が紹介されると、それが文化人の間に広い共感を呼び起こし、積極的に寄付金を送ってきたり、訪問してくれる人も出てきた。

しかし、その頃、美喜は過労から病床に就き、熱に浮かされていた。ホームの子どもたちは、泣きながら病床に集まり、彼女にすがりついて叫んだ。

「ママ、死んじゃいや!みんなのママ!」。その声がかすかに美喜の意識の底に届いた。子どもたちのために早く良くならなくては――と思いつつ、熱に喘(あえ)いだ。その時、彼女は誰かに手を強く握られたような気がして、目を開いた。そして、忘れもしない笑顔がそこにあるのを見た。

「ジョセフィン・ベーカー!」。あの良き友、黒人女優のベーカーが心配そうにかがみ込んでいるではないか。「どうしました? あなたが今倒れてしまったら、子どもたちはどうなるのです?」

ベーカーは美喜の手をなでさすると、ぶ厚い封筒を握らせた。それには、彼女が日本で行った興行の出演料がそっくり入っていたのである。そして、彼女はホームの子どもたちを集めると、キャンディーやチョコレートを配り始めた。

「私たちはいつまでもお友達です。忘れないで」。ベーカーは帰るとき、もう1度しっかり美喜の手を握りしめ、その際、2人の子どもを養子として引き取っていった。

やがて病気が回復すると、美喜は3カ月ほど資金集めにアメリカに講演に行くことにした。ありがたいことに、保育士や指導員、それに調理士や雑役夫などがたくさん来てくれて、留守を預かってくれることになった。

出発に先立ち、彼女は父の久弥のもとを訪ねた。彼は本郷の家を神学校に売り、千葉県成田近くの農場に引っ込んでいた。彼は「折半居住」の頃から米軍に嫌がらせをされたことが原因で心臓病を患い、床に就いていた。

美喜は3カ月だけ旅行すると告げたが、父はその心の中を見抜いたように言った。「もうアメリカに行っても、彼らを非難してはいけないよ。すっかり忘れて子どもたちのことだけを考えて仕事をしておいで」

美喜は、はっとした。実はアメリカの友人に父が進駐軍によって受けた恥辱と精神的暴力について訴えようと考えていたのだ。しかし父は、そのような悪感情を越えて、和解の方向に進まない限り、美喜の事業は成り立たないのだということを教えてくれたのであった。

アメリカに着くと、多くの教会やロータリー・クラブ、ライオンズ・クラブなどの人々が温かく迎えてくれた。美喜は講演、ラジオやテレビなどのキャンペーンに飛び回った。アメリカ国内において、彼女の仕事に対する理解は少しずつ一般の人々の間に広まっており、以前拒んだ人や中傷したりした人はそれを恥じ、新たな「エリザベス・サンダース・ホーム」に対する力強い協力者となっていた。

美喜はこれらの大衆に支えられ、混血児がアメリカに入国できるような1つの運動を始めた。各地を歩くうちに、子どもがほしいと願っているのに与えられない幾組かの夫妻を見て、子どもたちがこのような家庭に引き取られるように「養子縁組」制度を設立させようと考えたのであった。

国連に出向き、事情を話すと、最高責任者にようやく会うことができたが、彼はアーレン大佐という人物に紹介状を書いてくれた。驚いたことにこの人物は、日本国内の立川基地にいて、早速帰国した美喜は「養子縁組」の許可を取ることができたのであった。そして、それから程なくして、6人の混血児をサンフランシスコのある裕福な家庭に養子として送り出すことに成功した。

しかしこの時、父久弥の容体が急変したとの知らせを聞き、彼女は父のもとに飛んでいった。

「おまえ・・・何をぐずぐずしているのだ」。父は目を開いて微笑した。「こんな病人のことなど気にするんじゃない。おまえはこの仕事に身をささげたんだろう」

美喜は後ろ髪を引かれる思いで6人の子どもをサンフランシスコに連れて行き、迎えに来た養父母の手に無事託すことができた。そして、飛ぶように帰って来てみると、父久弥はすでにこの世の人ではなかった。

<あとがき>

混血児のためのホームを造るという神から託された事業は、最初から困難がつきまといました。美喜は資金調達のために駆け回った揚げ句、健康まで害してしまうし、何よりもつらかったのは、日本国内においてもアメリカにおいても、彼女の仕事を真に理解する者がなく、非難や中傷をぶつける人が数多くいたことでした。

しかし、苦難の扉をくぐり抜けたとき、そこに素晴らしい恵みが待っていました。アメリカの友人たちが再び励ましの手紙と献金を送ってくれるようになり、日本の社会の中でも少しずつ彼女の働きが理解され、文化人たちが主体となって支援をしてくれるようになったのです。

さらに喜ばしいことには、アメリカにおいて友人、知人たちが、混血児がアメリカに入国できるよう議会に働き掛け、「養子縁組」の制度を実現させてくれたのでした。私たちはしばしば重い扉の前でたじろぎ、希望を失うようなことがありますが、やがて神様がその扉を開けてくださるとき、その向こうにさらに素晴らしい世界を見ることができるのです。

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。

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