混血児の母となって―澤田美喜の生涯(5)天国を見た日

2017年4月27日10時13分 コラムニスト : 栗栖ひろみ 印刷
関連タグ:澤田美喜

1931(昭和6)年9月。澤田廉三はロンドン勤務になったので、美喜は子どもたちを連れて夫に従った。子どもはすでに4人になっており、次男久雄、三男晃の次に初めて女の子が生まれ、恵美子と名付けられた。

英国に渡ってみて驚いたことには、婦人たちの育児に対する認識がとても高いことだった。彼女たちは、子どもの教育は社会人すべての者の責任と考えており、自分の子も他人の子も区別なく、悪いことをすれば叱り、いろいろなことを教えた。

そして、小さいうちから独立心を養うために、自分のことは自分でするように習慣づけ、決して他人に迷惑をかけないようにする。また、何よりも子どもの人格というものを尊重し、大人の仲間に入れて一緒に話をしたり、聞いてやったりするのだった。

ロンドンに着いて3日目に、ノーランドの保育学校から保育士兼家政婦が派遣されてきて、子どもの世話をしてくれることになった。彼女は美喜に親として大切な幾つかのことを守っているかどうか質問をし、合格すると、にっこり笑って手を差し出した。

「私は、奥様の所で働きます」。この国の人は、何と職業意識が高いのだろうか――と美喜は思った。よく見れば、看護師も、学校の教師も、警官も、郵便配達員も、店の販売員も、すべて自分の仕事に誇りを持ち、堂々と胸を張って働いているのだった。

彼らにとって働くということは、ただお金をもらうだけでなく、隣人への奉仕という精神につながっていた。

それはよく晴れた、ある日曜日のことであった。日頃親しくしているセルウィン司祭が1人の老婦人を紹介してくれた。彼女は美喜をドライブに誘ってくれて、3時間あまり紅葉した樹木が生い茂る道を車で走り続けた。

美喜はうっとりと言葉もなく、この美しい自然に見入っていた。やがて車は、緑の森に囲まれた大きな石造りの建物の前に止まった。

「ここはどなたのお屋敷でしょう?」。そう尋ねると、老婦人は言った。「『ドクター・バナードス・ホーム』という孤児院ですよ、ミセス・サワダ」

そして、にこにこと車を降りて、彼女の手を取ると、中に案内した。美喜は聞き違いではないかと思った。まだお茶の水の小学校に通っていた頃、ある路地で目にした陰気な牢獄みたいな建物と、血色の悪い子どもたちの顔が目の前によみがえった。

「ここは、希望と喜びの家です」。ドクター・バナードスは、建物の中を案内してくれて言った。「子どもたちは、ここで神様の愛とお互いの友情を学ぶのです」

やがて礼拝堂から美しい賛美歌のメロディーが流れてきた。中をのぞくと、こざっぱりとした服を着せられた子どもたちがずらりと並んで歌っていた。どの子も生き生きとした明るい表情をしている。

ここが孤児院とはどうしても思えなかった。外に出ると、保育士たちが子どもたちと広い庭を駆け回って遊んでいる姿が目についた。

「こんにちわ!」。美喜の姿を見つけると、子どもたちが集まってきて、人なつこい笑顔を向けた。どの子も血色が良く、リンゴのように赤い頬をしていた。

ドクター・バナ―ドスは、さらに奥へと案内してくれた。小学校、中学校、そして職業訓練の工場があった。法律では18歳までしかこの施設で保護できないので、社会に出たときすぐに職に就けるように技術を学び、認定書までもらうことができるのである。

「この子は明日から町工場に技術者として働きに行くのです」。ドクターは、1人の青年を紹介した。彼は、にこにことうれしそうに預金の通帳を見せてくれた。それは、ここでアルバイトをしてもらったお金を積み立てたものだった。ドクターは彼の肩に手を置いた。

「この子には、もう彼女がいましてね。近く結婚するんですよ。町工場の近くにアパートも見つかりましたから」

青年は、父親に対するようにドクターの手を何度も握ってから出て行った。(ああ、すべての子どもはこのようにあるべきだわ)。美喜は心の中でつぶやいた。

「このホームの使命は、いらないといって放り出された子どもを、皆が引っ張りだこにするような有用な人間に仕立て上げることです」。最後に、ドクターはこう言った。

その日、ドライブから帰ると、美喜はひざまずいて祈った。

(神様。やっと私は自分の人生の目的を見つけました。いつかこのようなホームを日本の不幸な孤児たちのために作るために、どうか用いてください)

<あとがき>

澤田廉三の勤務地はロンドンに移ります。ここで美喜は、日本とはまったく異質の文化、生活習慣に触れ、中でも子どもの教育に対する社会全体の意識の高さに驚かされます。子どもが大人の所有物ではなく、独立した1個の人格として扱われていることに深い共感を覚えたのでした。

ある日、彼女はあるものと運命的な出会いをすることになります。それは、ドクター・バナードスという人が開いた孤児院でした。かつて小学生だった頃に目にしたあの陰気な孤児院とは雲泥の差がありました。

そこでは、リンゴのような頬をした子どもたちが生き生きと歌ったり、遊んだりしていました。さらに、ドクター・バナードスは18歳になって社会に出て行く子どもが困らないように、中に職業訓練所を作り、技術を身につけさせ、そこでアルバイトしたお金を貯金してやっているのです。

この日、ようやく美喜は、将来自分が身をささげるべき祭壇を見いだしたのでした。それは、彼女にとって夕映えのように輝かしい1日でした。

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。

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