イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」(ヨハネの福音書10章32節)
イエスがご自身を神とされたことに対し、ユダヤ人たちは激しく反発しました。イエスが神の御子であることを理解できず、受け入れることができなかったのです。
彼らは、イエスが天の父から出た多くの良いわざを行ってきたのを見てきましたが、イエスを石打ちにしようとしました。それは、イエスの良いわざを否定しているわけではなく、イエスが人間でありながら自分を神だと主張したことが、神を冒瀆(ぼうとく)する罪だと考えたからです。
彼らは旧約聖書にある律法を守り、神の聖さを重視していました。神の名を軽んじることや、人間が自らを神とすることは重大な律法違反だったのです。
神だけが、罪を赦(ゆる)すことができるのです。しかしイエスは、ご自身が罪を赦す権威を持っていると話されました。ご自身が神と等しい存在であることを明らかにされたのです。それで彼らは、イエスが神を冒瀆したと見なし、石打ちの刑にして殺そうとしました。
ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」(ヨハネの福音書10章33節)
「父から出た多くの良いわざ」とは、イエス・キリストが行われた神の力と愛を示すさまざまな行為や教えを指します。具体的には、病人の癒やし、悪霊の追い出し、死者の復活といった奇跡、そして、神の国の福音を宣べ伝えたことです。
イエスは、生まれつきの目が見えない人や足の不自由な人、重い病に苦しむ人々を癒やし、多くの人々の心と体に平安をもたらしました。また、悪霊に取りつかれた人々を解放し、苦しみから救い出しました。これらは神の力がイエスを通して働いていることの具体的な証拠でした。
イエスは、単に奇跡を行うだけでなく、神の国の到来と、神の愛、赦し、義についての教えを説かれました。山上の垂訓やさまざまな例え話を通じて、神との正しい関係を築き、互いに愛し合い、赦し合う生き方をするよう教えられました。
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