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不条理なる死を不可知の光で中和せよ

不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(7)序論(その2)

2021年10月14日15時39分 執筆者 : 藤崎裕之
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不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(7)序論(その2)+

※ 前回「不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(1)序論(その1)」から続く。

非神話化は失敗だったと思う

キリスト教という現実をいかに非神話化するか。つまり現代人が受け入れやすいように「翻訳」するということだが、それは20世紀の大プロジェクトであった。しかし同時にそれは結局のところ、大失敗だったように思われる。その理由は、いわゆる主流派プロテスタントの凋落(ちょうらく)を見れば納得できるであろう。この大事業は福音の非神話化と呼び方を変えてもよいのだが、行き着く先がどうなったかといえば、キリストを前にした個々人の実存が問われるという形で鮮明化されたのである。「あなたにとってキリストとは誰であるのか」。このような問いかけを聞いたことはないだろうか。

団塊世代のちょっと前のじいさん、ばあさんが教会で好んで口にしていたのが、「キリストはあなたのために命を捨てた。ならばあなたはキリストのために何を捨てられるか」というちょっと気の利いた言葉である。これは言い換えれば、イエスがよどんだ人間社会のために自己犠牲を払ったのであるなら、われわれはその犠牲に対してどのように応答できるかということになろう。人間責任を放棄し、ひたすら自己実現を目指しながらも、表向きはついつい「平和」や「友情」などを強調してしまう団塊世代とは、ちょっと覚悟が違うかもしれない。一方で某世代は、気の利いた聖書の言葉を抜き取っては己の正当化と他者攻撃に利用してばかりいることも書いておく。まったく立場が違うのかもしれないが、福音派もそういう傾向があるからご注意願いたいところだ。

少しだけ団塊世代に近い者として

さて、団塊世代とはいったいどんな人たちなんだ、という面倒な議論はしたくないのだが、私の頭の中にあるのは、年金受給年齢を超えたくらいのリベラルなプロテスタントの人たちである。お前もリベラルではないかとご批判を受けるであろうが、私はリベラルなのではなく「ルーズ」なのだ。基本的に何でもあり。自分の心を揺さぶられるものがあれば何にでも感心を持つ。その一方で、「平和」や「友情」にも感心がないという虚無感にしばしば陥る者でもある。今、この時代において必要なものは「愛」である。「神からの愛、隣人からの愛」であると本気で考えている。で、ここが重要なのであるが、はっきり言って、神からの愛はなかなか実感がないし、隣人からの愛はもっとない。実際にはあふれるばかりの愛に包まれているかもしれないし、それはきっとあるのだろうが、要するに瞬間的にはその実感がないのだ。

押し付けの信仰ではどうにも辟易する

実感がないから逆説的にならざるを得ない。つまり、「神への愛、隣人への愛」を追求することによって実感を得ようと試みる。むろん試みであって、実現できるわけではない。いや、まあ、何とかしようともがきながら、実現しないことに日々イライラもするのであるが、それは誰もが抱える問題であろう。神は何者でございますか、と神に問うべきか、あるいは何者であろうとお構いないしに神を問うか。そのどちらであろうか。どちらにして傲慢な態度だ。

非神話化された神は遠くにいるのではないかと私は考える。ただ十字架による人間の赦(ゆる)し、それは罪の赦しであり、救いと表現してもよいのであるが、その十字架上のキリストから、「お前の」信仰が、「お前の」人生が問われているのである、と言われるのであれば(それがリベラリズムだ)、こちらも言わねばならぬ。「地をはうごとき、いやもう腹ばい状態だとしか感じられないわれわれ人間の現実もまた神を問うのだ。主体的でなくても、己の人生に空いた穴に呆然(ぼうぜん)としつつ神を問うているのだ」と。このような「私」について、神はなにがしかの腹積もりがあるのかと問わないではいられない。信じるとは、そういうことではないのか。自分自身の存在であるとか、生き様であるとか、そこから日毎に前進、前進また前進、新生、新生また新生と言われるだけの型どおりのキリスト教に21世紀は辟易(えきえき)としてくるのではないか。

神が何者であるかは本来的には無意味なこと

神は何者であるか。それはキリスト教の伝統に則せば、問う必要のないものである。なぜならば、人間は神そのものをひとかけらも知ることはできないからだ。神について無知であれと言っているのではない。どうあがいてもわれわれは神については「知らない」なのだ。人間に分るわけがないのである。

しかし、それでも神が何者であるのかを問うことなしに、どうしてわれわれはその神を前にして自分の人生を問うことができるのであろうか。わがスピリチュアリティーの行き先を自己コントロールできるかのようにうぬぼれていた非神話化作業は確かにむなしかったのだ。神も、その行為としてのあらゆる事柄も、それを現代人に都合よく「翻訳」するなどできないのだ。そもそも神はわれわれにとって永久に都合が悪いのではないか。そのように書けば希望があるのかないのか分からなくなってしまうが、事実として自己本位的に神を書き上げることはできないのだ。

われわれは十字架の向こう側を生きるしかない

また、このように言うことができる。極論すれば、神を問うという行為はサルでも行っているように思う。であるから、それさえ放棄してどうするのかということになる。自分たちにとって都合のよい神を仕立てることも、逆に言うなら、ただ理性的に飼い慣らされた扱いやすい信仰人になろうと自分を適応させていくのも、同じように非神話化にすぎないのだ。「非神話化」された、十字架に投影される自己犠牲のキリストなるものに、われわれはいったい何を変えられようとしているのか。

われわれは個々人がそれぞれにふさわしく「癒やされる」べき存在だ。神の自己犠牲だと教え込まれた十字架それだけでは個々人は何も癒やされないのだ。神が自己犠牲をしたということよりも、現代を生きるわれわれにはその「神の必然は」あるのかないのか、それこそが大問題ではないか。確かに何事も「御心のままに」神はなすであろうが、それでも神が神であるということの原理原則はわれわれに示されていないというのであろうか。個々人が「ただ十字架に悟れ」ではあまりに酷ではないか。われわれは知的な勝負事を楽しんでいるのではない。神の自己犠牲の向こう側を生きているのだ。

神を味わい尽くすために

この時代に、この私が神にどう扱われるのか、この一点のみにおいてキリスト教スピリチュアルケアが立ちもすれば倒れもするのだ。信仰とは希望を持つこと、つまりこの私には神の働き掛けがあると信じ受け入れることだ。歴史上のキリストよりも、今ここに神がおられる、わが人生に神が働く、それが大事なのだ。そもそも非神話化とは本来そういうことであったはずだ。神がいるとしたら、それはこの世界にとってまさに神秘に違いない。神がいるとしたら、あのレギオン(マルコによる福音書5章1~20節、次回から取り上げていく)を癒やしてくれたように、この私をも癒やさないのだろうか。

繰り返すが、われわれは常に自分自身の命に、またその終わりたる死に目を向けている。誰もがそうなのだ。生きる、死ぬ、そこに数々の不条理を感じる者として、どうにかして私の命は中和されねばならぬ。死や不安や絶望に支配されてはならない。だから、われわれは「神がいかようなものであるか、ないか」を問い続ける。神を知ることが不可能だとしても、神への無知こそが信仰の極意だったとしても、それでもわれわれは神自身を大いに味わい尽くそうではないか。(続く)

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※ 序論(その1)はこちら。

◇

藤崎裕之

藤崎裕之

(ふじさき・ひろゆき)

1962年高知市生まれ。明治から続くクリスチャン家庭に育つ。88年同志社大学大学院神学研究科卒業。旧約聖書神学専攻。同年、日本基督教団の教師となる。現在、日本基督教団隠退教師、函館ハリストス正教会信徒。

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
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