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不条理なる死を不可知の光で中和せよ

人間とは何か? 「裸」で生まれた者として(その1)

2021年7月22日11時00分 コラムニスト : 藤崎裕之
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関連タグ:創世記藤崎裕之
不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(2)+

不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(2)

毒リンゴ事件

人間が悲惨の中にいるということは認めるとしても(人間存在は本来的に罪であるかどうかは議論の余地がある)、その悲惨の原因は何なのか。聖書は明らかに最初の人間であるアダムとエバにある程度の責任を負わせている。そのきっかけは神の命令に違反したことであるとされる。命令に背いて「善悪の知識の木」から実を取って食べた結果として自らの裸性に気付くのであるが、これが人間の悲惨の始まりと語るには少し気の毒ではある。人間の裸性に気付くというのはもちろん、比喩的な意味であるし、しっかりと吟味されねばならない。今回は自らの裸性に気付いた人間が神から隠れてしまったという事柄の本質について考える。本来的には神の命令に違反したことが重大な罪であると理解されるのであるが、あえて神から隠れてしまったというこの人間の姿にこそ罪の奥深さがあると指摘したい。アダムとエバの後も継続して繰り返される人間の悲惨の原因は約束違反よりも、むしろ神から逃避してしまうことではないのか。そのような神から「逃げる罪」を引き継いで生きている人間の悲惨(堕落性)こそが、人間の歴史に重い影を落としていると考えるからである。

神の本性から逃げる人間の象徴としての裸性

神から隠れているというのは、アタナシオス(紀元4世紀のキリスト教教父、三位一体論の父と呼ばれる)流に言えば、神の本性から逃げている状態なのだ。神の本性とは善性であり愛そのものであるが、つまりそのような方と向き合い、またそのような方の愛による寄り添いによって生きるべきが人間である。本来的にいえば、善性(アタナシウスは最終的に神の善性は愛であると結論付ける)を持つ神の被造物である人間もまた善性を与えられているから、完全な善性を持つ神に寄り添えるはず、というより寄り添えないはずがない。ところが、「毒リンゴ事件」(アダムとエバがヘビにそそのかされて禁断の木の実を食べた事件をここではこう呼ぶ)の強烈な作用によって「善悪の知識」を得た人間が、自らの裸性に気付くという何とも「えげつない」表現で創世記は語っているわけだ。

裸で生まれたということは、言葉を変えれば純粋無垢であり、裸といういわば無防備な姿でもエデンでは不都合なく生きていけるはずだった。木の実を食べるくらいは本来あまり問題もないように思うわけだが、実際には単に木の実を食べたということがとてつもない悲惨を生みだしていくということになるのだ。たかが木の実、されど木の実である。では、本性的な性質(裸でも生きていけた)を失った人間はこの後、どのように神と向き合っていくのか。時には癒やされ、時には助けられ、もちろん裁かれもするが、ここからはむしろ、神の歴史というべきかもしれない。

ダビデの妻ミカル

裸性とは裸が意味するもの、また裸が象徴するものという意味である(というか筆者が勝手にそう定義した)。さて創世記に書かれている裸性に触れたが、ここに面白い記述があるので紹介しよう。イスラエルのダビデ王が契約の箱(モーセの十戒が収められた箱)をエルサレムへ引っ越しさせた場面である。その時、ダビデは喜んで大はしゃぎをしていたのだが、それをダビデの妻ミカルが窓から見下ろしていた。ミカルの父サウルはイエスラエルの前王であり、ダビデと対立し、後に戦死している。その娘とダビデは結婚していたわけであるが、恐らく戦略結婚に近い関係ではあったと思われる。ミカルは大はしゃぎをしているダビデにこのように告げる。「今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男がはずかしげもなく裸になるように」(サムエル下6:20)。なかなか強烈なイヤミである。同時に名門出のお嬢様の文化論を代弁しているかのごとく、でもある。この後もやりとりはあるが、23節ではこのように記されている。「サウルの娘ミカルは、子を持つことのないまま、死の日を迎えた」

見られないと困る裸もある

裸というモチーフと、子を持つこと、つまり子孫を与えられるというモチーフがここで交差している。これは創世記の場合も同じである。アダムとエバの間に子どもが生まれるのは、あの「毒リンゴ事件」の後、神が2人をエデンから追放した後のことである。つまり、禁断の木の実を食べて2人が自らの裸性に気付いた後のことである。裸は欲情の根源であるかないかは人それぞれであるが、少なくとも古代人にとって裸性は恥ずかしさの象徴であると同時に、子孫を得る行為とも結び合わされるべきものであったのだ。裸であるという現象は恥じらいでありつつも、ある意味では特定の相手には「見られないと困る」姿でもある、ともいえるだろう。それは相手に欲情を抱かせるという意味ではなく、真っ新な自分を受け入れてもらうという意味でもある。特定でない相手に見てもらっては困る姿であるが、場合によっては見られないと困るという裸もあるから複雑だ。

創世記の場合は、裸であることが神への信頼の象徴であった。ダビデの裸を見たミカルは、その姿をダビデに屈辱を与えるために言語化している。アダムとエバも、自分たちの裸を神から隠す理由を語る中で言語化(言い訳)している。もちろん、両者の意図と内容はまったく異なるものではあるが、裸性というものをかなり否定的な意味で表現している点では同じだ。ミカルの場合は、「王たる者の裸を安っぽく家臣らに見せるとはけしからん」ということであり、「お前さんの裸は私に見てもらわなければ価値がないだろう」ということだろう。アダムとエバの場合は、神から隠れた理由として「裸であること」を語っているが、それは言葉を変えれば、裸で生まれそのまま放置されていることへの抗議とも理解できる。神に「見てもらっては困る」と語るのは、ある意味で神の創造に対する異議申し立てなのだ。

裸性はミステリーである

論を進めるためにさらに引用を重ねることにしよう。掟(おきて)の書には、「自分の姉妹、すなわち父または母の娘をめとり、その姉妹の裸を見、女はその兄弟の裸を見るならば、これは恥ずべき行為であり、彼らは民の目の前で断たれる」(レビ20:17)とある。ここでも「裸を見る・見られる」という行為と子孫との接点が見て取れる。つまり、ここで言われている行為の結果としての子宝はないということが神定とされているのである。要するに、裸は見られるべき相手と見られるべきではない相手がいることが、モラルとしてではなく掟として書かれているわけである。裸性の是非は相手次第ということになる。まあこれは、現代でも建て前は同じであろうが。

さて、結論付けるとするなら、アダムとエバは生まれた当初は裸であったわけで、当然、神は裸である2人を見ているし、2人は神に裸を見られている。その関係性は善でもなく悪でもない。強いて言えば、神が用意した関係であるから善性によるものというべきだろう。その神との善き交わり(「善交」と呼ぼう)は、2人が「毒リンゴ」を食べたことによって破壊されたのである。善悪を知ることによって2人が手にした代償は、神との善交の断絶であって、その関係破壊に対して神は怒るのである。また、神との善交はそもそも命の永遠性の担保であり、その断絶がなければ2人の命が永遠性を保ち、子孫に命を託す必要もなかったのかもしれない。しかしそこは謎である。

「毒リンゴ事件」によって神との善交を失い、その結果として神から与えられたのは「お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵(ちり)にすぎないお前は塵に返る」(創世記3:19)というものだった。いわば現代人も抱える労苦の問題、人間としてこの地に生きるというご苦労な営みが与えられたのである。さらに2人はエデンから追放され、その後に2人はごくありふれた人間としてお互いに裸を見せ合う関係となる。そして子孫の誕生と続くわけだ。裸性は始まりにおいては神との善交と結び合い、エデンの追放後は限定された関係(しかもその関係は掟に縛られる)のみにおいて善交となる可能性が示唆されているのではないだろうか。裸性とは意義深くもあり、やはりわれわれにはミステリーに違いない。(続く)

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■ 人間とは何か?「裸」で生まれた者として:(1)(2)

◇

藤崎裕之

藤崎裕之

(ふじさき・ひろゆき)

1962年高知市生まれ。明治から続くクリスチャン家庭に育つ。88年同志社大学大学院神学研究科卒業。旧約聖書神学専攻。同年、日本基督教団の教師となる。現在、日本基督教団隠退教師、函館ハリストス正教会信徒。

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
関連タグ:創世記藤崎裕之
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