大いなる神の道 穂森幸一(170)

2020年11月19日18時42分 コラムニスト : 穂森幸一 印刷
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しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。私の足は神の歩みにつき従い、神の道を守って、それなかった。(ヨブ記23:10、11)

世界各地を放浪し、中東にも滞在したことがあるという人の話を聞いたことがあります。この人の話は、世界の各地の文化や生活習慣に触れているだけあってとても興味深いものがありました。この人は世界の紛争には宗教が関わっている場合が多いといいます。中東では、子どもたちが幼い時には近所の子ども同士で遊ぶこともあるが、成長するにつれて宗教学校で学び始めると疎遠になり始めるといいます。例えば、宗派によって食べていいものと食べてはいけないものが出てくるので、一緒に食事などということはとうていあり得ないのです。

世界の宗教を見てみると、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教というように、「教え」という文字がついています。人の解釈や教えがくっついて宗教を形作っているので、自分たちの解釈とは少しでも違う人は受け入れることが難しくなるといいます。

私はこの人の話を聞きながら、ユダヤ教という言葉は旧約聖書のどこにも出てこないし、ユダヤ人たちも自分たちの宗教をユダヤ教とは呼んでいません。キリスト教も同じです。新約聖書のどこにもキリスト教という言葉は記されていません。ただ使徒の働きにおいて初めてクリスチャンと呼ばれるようになったと記されています。外部の人々がキリストに従う人々をキリスト者(クリスチャン)と呼ぶようになったのです。

そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者(クリスチャン)と呼ばれるようになった。(使徒11:26)

イスラエルはユダヤ教の国ですが、ユダヤ人クリスチャンの数が急成長しているといわれます。500人とか600人単位で集まっている群れも少なくないといわれます。彼らは自分たちのことをキリスト教とは呼んでいません。「ジョシュアの道」と呼んでいる人々もいます。ユダヤ教では自分たちの宗教を神の道と呼びますので、それに対してイエスの道というわけです。イエスはヘブル表現ではジョシュアになります。

ここで気になるのが日本神道です。古代イスラエル人と日本との出会いとかいうと、とんでもないとかあり得ないと主張される方々がいらっしゃいます。そのお気持ちはよく分かります。以前の私も同じようにトンデモナイ説だと思っていました。しかし、神社の配置、神殿のサイズなどを比べると、驚くほどの共通性があります。また、理解できないといわれていた日本の古語がヘブル語学者によって解明されたという話などを聞くと、何かつながりがあるのではないかと思うのが人の常ではないかと思います。

これは仏教の僧侶に聞いた話なのですが、昔は仏教を仏道と呼んでいたそうです。ところがフランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えたとき、キリスト教に対抗して新しい呼び名にしようということで仏教になったというのです。

日本では極めるべきものにはすべて道がついています。茶道、華道、剣道、柔道などです。茶の教え、華の教えということで茶教、華教にはなりません。これは理屈で学ぶものではなく、実践の積み重ねで身につけていくものだからではないかと思います。

主イエスは「よきサマリヤ人」のたとえを語られたとき、「この教えを人々に広めなさい」とは言われませんでした。「あなたも行って同じようにしなさい」(ルカ福音書10:37)と命じられました。キリストの教えの本質は理屈ではなく実践なのです。「愛すること、赦(ゆる)すこと、分かち合うこと」を黙々と実行するときに道が開けてきます。

聖書講座で夫婦問題の本当の解決は「赦し合う」ことしかないという話をしたとき、一人の僧侶が「仏教には赦しという概念がないですね」と感想を述べられたのが印象的でした。「赦し」はキリストの十字架において実現したことです。

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ福音書14:6)

旧約聖書では、ユダヤ教のことを神の道と呼んでいます。あえて表現するとすれば、イスラエル神道と呼ぶこともできます。宗教の本質が道だとすれば、キリストが自らを道と宣言されました。宗教の垣根を越え、民族の隔たりを乗り越え、ただひたすらにこの道を共に歩むことで種々の問題も解決していくのではないかと思います。

旧約聖書の原典はヘブル語で、新約聖書の原典はギリシャ語で記されています。当然、神学校ではヘブル語とギリシャ語のクラスがあり、少しでも原典に近づけるように努力します。私はギリシャ語が分かればキリストの話された言葉の機微というようなものが分かるかもしれないと思っていました。ところが、キリストの話された言葉はアラム語でした。当時の世界はギリシャ語が共通語であったために新約聖書はギリシャ語で編さんされました。

キリスト教は、ローマをはじめ西側世界に広められた西方教会と、アジアに広められた東方教会に二分されます。東方教会に広められた福音書はアラム語で記されていました。アラム語はヘブル語の方言のようなものですが、シリヤ、バビロニア、レバノンでも通じたといわれます。西側教会では神学論争が盛んになりましたが、東方教会では一切なかったといわれます。アラム語の福音書だとキリストの思いがダイレクトに通じたのかと思ってしまうのは私だけでしょうか。キリストが宣言された「私が道である」という言葉をそしゃくし、実践の道を歩んでいきたいと思います。

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穂森幸一

穂森幸一(ほもり・こういち)

1973年、大阪聖書学院卒業。75年から96年まで鹿児島キリストの教会牧師。88年から鹿児島県内のホテル、結婚式場でチャペル結婚式の司式に従事する。2007年、株式会社カナルファを設立。09年には鹿児島県知事より、「花と音楽に包まれて故人を送り出すキリスト教葬儀の企画、施工」というテーマにより経営革新計画の承認を受ける。著書に『備えてくださる神さま』(1975年、いのちのことば社)、『よりよい夫婦関係を築くために―聖書に学ぶ結婚カウンセリング』(2002年、イーグレープ)。

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