生命への畏敬―アルベルト・シュヴァイツァーの生涯(14・最終回)暗きを照らす光

2017年2月2日19時14分 コラムニスト : 栗栖ひろみ 印刷

1950年。新しいハンセン病患者の病棟が完成した。久しい間夢見ていたものだった。シュヴァイツァーは自分で工事の監督をし、自分の手で波形トタンを取り付けた。そして、ここではハンセン病絶滅のために最新の米国式諸方法が取られた。

1951年。シュヴァイツァーは故郷のギュンスバッハへ帰郷した。彼は旅行携帯品を停車場から家に運び、古帽子を深めにかぶって懐かしい街路を歩いた。しかし、近所の人が見慣れたその姿を見つけ、知らせは町中に広がった。

「シュヴァイツァー博士が帰って来た!」。村人だけでなく、友人や援助者たちが近くからも遠くからもやって来た。彼はそれらの人々を自宅に招き入れた。ここはランバレネ病院のヨーロッパ出張所となってしまった。

学者、医師、歴史家、詩人、政治家―あらゆる人が訪ねて来た。シュヴァイツァーは全ての人を迎え入れて語り合い、そして彼らを停車場まで送って行くのだった。郷里でも多くの仕事がつきまとった。

米国の音楽出版社「シャーマー」は、バッハのコラール前奏曲の記念版を完成するためにシュヴァイツァーを追って来た。そして、この社の録音車がギュンスバッハに到着すると、シュヴァイツァーは毎日4時間から7時間、村の教会のオルガンに座ってバッハ、メンデルスゾーン、セザール・フランクなどの作品をコロンビアレコードに録音した。

その後、彼には多くの栄誉が与えられた。スウェーデン王は彼に「プリンス・カルル・メダル」を授けた。パリの「精神科学・政治学アカデミー」は彼を会員に選び、彼はアカデミーのために「人間の思想の発展と倫理の問題」と題し、講演を行った。

アルザスは彼に名誉市民権を与えた。その後、フランクフルト市は彼に「ドイツ出版協会平和賞」を授けた。この賞には、1万マルクの賞金がついていたが、彼は、賞は受けるが、その賞金を難民のために使ってもらうよう強く願ったのだった。

表彰式はフランクフルト・アム・マインで行われたが、シュトラスブルク大学時代の親友、テオドール・ルイスが、時あたかもドイツ連邦共和国大統領となっており、シュヴァイツァーは彼の手から表彰状を受け取ることになった。

式典が終わるや、2人は懐かしいその名を呼び合い、抱き合って再会を喜んだのだった。この日、シュヴァイツァーは「ヒューマニズム精神の力」と題して講演を行った。

1953年10月31日。医師としてランバレネ病院で働いているシュヴァイツァーの甥が聴くともなしにラジオを聴いているとき、プラザウィルの放送をとらえた。彼は夢中で伯父が仕事をしている小さな部屋に駆け込んだ。

「おめでとうございます、ドクトル!」。彼は叫んだ。すると、シュヴァイツァーは目を上げ、うれしそうに言った。「そうか。それじゃあ、とうとう黒猫が子どもを産んだのかね? それは素晴らしい!」。「そうじゃないんですよ」と、彼は必死で説明した。

「黒猫じゃなくて、ドクトルがノーベル平和賞を受けたんですよ」。すると、シュヴァイツァーは笑い出した。「そんな冗談を言うものではないよ」。そのうち、祝電が全世界から寄せられ、公式の通知も入ったので、ようやく彼は信じたのであった。

そのうち、ランバレネの電報局は頭を抱えた。後から後から祝電が届き、機械が加熱してしまうほどだったのである。国王、大統領、大臣、学者、そして名も知れない市民から・・・。電報は途切れることなく続いた。

「ノーベル賞の賞金で何をなさるおつもりですか?」。1人のジャーナリストが尋ねると、彼は言った。「もちろん、ランバレネ病院を完成するつもりです。このお金はセメント、堅木の柱、波形トタン屋根の調達に使いたいのです」

彼は、ノーベル平和賞を受けたことよりも、新しくできたハンセン病棟の患者たちのために何かしてやることの喜びに、子どものようにはしゃいでいた。彼の愛犬は、主人の喜びを感じ取り、ワンワン吠えながら飛び出していくと、ニワトリを追い回し始めた。

「これこれ」と、シュヴァイツァーは言った。「われわれがノーベル賞をもらったからには、おまえはもうそんなことをやめなくちゃいかんぞ。おまえはノーベル犬だ」

1957年6月1日に、彼の良き伴侶であり協力者であるヘレーネ夫人が亡くなると、彼は片腕をもぎ取られたような思いでその後も多方面にわたる活動を続けたが、その8年後の1965年9月4日、天に国籍を移した。

<あとがき>

シュヴァイツァーは、1953年にノーベル平和賞を受賞しましたが、この時のエピソードに彼の人間味溢れる性格の一面を見ることができましょう。1つは病院で働く彼の甥が受賞の朗報を伝えに病室に飛び込んできたときのこと。シュヴァイツァーはこう返事をしました。

「ほう。ではいよいよあの黒猫が子どもを産んだのかね。そいつは素晴らしい!」。彼の頭には、常に保護した動物のことしかなかったのです。

もう1つは、賞金をもらったら何に使うかとジャーナリストに聞かれて、彼は上機嫌でこう答えました。

「もちろん、そのお金でセメント、木材、波形トタン屋根の調達をしますよ」。彼はノーベル平和賞を受賞したことよりも、ハンセン病患者のために何かしてやれることに子どものようにはしゃいでいた―と伝えられています。

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。

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