蜜と塩―聖書が生きる生活エッセイ(21)カロリーにご注意 ミュリエル・ハンソン

2016年10月7日11時58分 コラムニスト : ミュリエル・ハンソン 印刷

カロリー計算、減量前と減量後の誇らしげな写真の数々、こうすれば体重管理がうまくいくとお墨付きのさまざまなダイエット法。これらのどれもがますます私たちのダイエット熱をあおり、しまいにはやりきれない気分にさせられます。一言でダイエットといっても、種々あります。

今、ここで私が問題にするダイエットは、一般的に言う身体面のことではなく、精神面、霊的領域での、とりわけ読書に関わるダイエットです。

私は大の読書好きで、あらゆる種類の雑誌や定期刊行物はもちろんのこと、普通の書物を少なくとも1週間に1冊は読まないではいられないほど、読書に大きな楽しみを覚える者です。 その私が事故による後遺症で、1日数分しか本を読めない状態が2年以上も続いたことがあります。ですから、今では何か読み物を手にしたら、よくよく吟味してから読み始めるようになりました。

その経験から分かったことの1つは、これまで愛読していた文学書の中に、本当に心の栄養になるような食べ物と言える本がいかに少ないかということです。しゃにむに本を読んでも、それはただの楽しみ、あるいは気晴らしにすぎず、心の糧となるものではないのだと気付きました。

それからまた、こんなことも教えられました。どんなにたくさんの本を読んでも、どんなに読書に時間をかけても、そこから得られるものは大して多くないということです。それよりもむしろ、聖書をじっくり読んで、祈るディボーションを通して実際に学んだことの方が、はるかに意味があり、心が満たされます。

このことは以前から自覚していたのですが、必ずしも心底納得していなかったのではないかと思います。

何年も前の大学時代になりますが、学生寮にいた頃、私の寮友の行動が不可解でなりませんでした。彼女は目覚まし時計を毎朝4時30分に鳴るようにセットしていました。お祈りに丸1時間を当てたいがためです。

けれど、私が目を覚ましてふと見ると、彼女は1度ならず跪(ひざまず)いたまま、こっくりこっくり舟を漕いでいたではありませんか。それでも、早朝のお祈りを日課にしなければと、私にもしきりに勧めました。

「夜もすっかり明けてから起き出して祈るなんて、あなたには霊的熱心さが足りないわ」と咎めるように言いました。

そこで、私はやんわり返しました。「でもねえ、私はあなたと違って、授業中に居眠りなどしないわ」。そもそも、大学は勉強するところではありませんか。もちろん、お祈りも大切でしょうけれど。というわけで、彼女には本当に嫌な思いをさせられたものです。

また、こんな牧師もおりました。毎朝決まった時間帯に家族でのディボーション・タイムを頑固なまでにこだわっている牧師でした。ある時、来客がありましたが、ディボーションの時間を気にするあまり、5分とずらさずに時間厳守し、来客の方を待たせたままにしてしまいました。 結局、来客は予定の飛行機に乗りそびれてしまったそうです。

最近になって、つくづく思うのです。日々神様と向き合う時間を大切にしながら生活するのは、もちろん結構なことでしょう。ただ、自分が立てた理想的とも思えるスケジュールを順守しようと、そのことばかりに気を取られ、ともすると柔軟に対応できなくなってしまいます。そしてその結果、せっかくの主からの祝福の時を台無しにしてしまうだけでなく、時には他の人たちの生活にも支障をきたしかねません。

一人静かに神様と向き合い御言葉を頂くひとときは、たとえそれが諸般の事情で5分であっても、5時間であっても、主から命の糧が与えられる恵みの時なのです。なんという素晴らしいことでしょう。

ここで誤解しないでいただきたいのは、神様が5時間でなさることをたったの5分で終わらせてしまうと言っているのではありません。そうではなくて、どんなに私たちに時間の限りがあっても、また、体力が衰えても、その他さまざまな制約があっても、それにはお構いなしに、私たちが神様へ心からの愛をもって臨むならば、あらゆる必要は主なる神様が満たしてくださるということです。

このように考えてくるとお分かりかと思いますが、神様の御言葉には栄養価の高いタンパク質がぎっしり詰まっています。ですから、聖書のほかに身の回りにある良書、文学書をたくさんは読めないとしても、私は必ずしも負け犬になったわけではありません。

実際のところ、良書と呼べる本の多くは炭水化物が含まれているかもしれませんが、霊的成長や心の満足が得られるような高脂質なものは望めないでしょう。あるとしたら、「読む楽しみ」という「ぜい肉」がつくだけでしょうか。

聖書に次のような御言葉があります。

「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」(ローマ8:38、39)

このことは、目が見えず、耳が聞こえず、弱さを覚えている者、病にある、あるいは手足に麻痺を抱えている土の器である人間にも、然(しか)りです。どんな人間も主イエスの愛から引き離されることはないのです。

そしてまた、神様のご栄光は、苦しみの中にある、とりわけ年老いた聖徒を通して、最も輝かしい光を放っているのです。というのも、この世のものから遠く引き離されれば引き離されるほど、一層神様へと近づくわけですから。

どのような境遇にあっても、私たちは神様の愛に包まれているのだということを知っていれば、それはどんなに大きな確信につながることでしょう。そしてこの確信は、あなたや私のこれからの将来に何が起ころうとも、常に心の支えとなってくれるでしょう。

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【書籍紹介】
ミュリエル・ハンソン著『蜜と塩―聖書が生きる生活エッセイ

蜜と塩

読んでみて!

一人でも多くの方に読んでいただきたいエッセイです。聖書を読んだ経験が有る、無しにかかわらず、著者ファミリーの普段着の生活から「私もそのような思い出がある」と、読者が親しみを抱くエッセイです。どなたが読んでも勉強になります。きっと人生の成長を経験するでしょう。視野の広がりは確実です。是非、読んでみてください。

一つは、神を信じている者が確信を持って生きる姿をやさしく、ごく当たり前のこととして示しているからです。著者は、日本宣教のため若き日に、情熱を燃やしながら来日しました。思わぬ事故のためにアメリカへ帰らなければなりませんでしたが、生涯を通して神への信頼は揺るぎませんでした。

もう一つは、日常の中に働いている聖霊のお導きの素晴らしさを悟ることができるからです。私たちの日常生活が神様のご意志のうちに在ると知ることは、安心と平安を与えるものです。

さらに、著者のキリスト者生活のエピソードを通じて、心が温まるものを感じます。私たちの信仰生活に慰めと励ましが与えられます。信仰が引き上げられて、成長を目指していく姿勢に変えられていく自分を発見するでしょう。

長く深く味わうために、急がずに、一日一章ずつでもゆっくりと読んでみてはいかがでしょうか。お薦めいたします。

ハンソン夫妻の長い友  神学博士 堀内顕

ご注文は、全国のキリスト教書店、Amazon、または、イーグレープのホームページにて。

ミュリエル・ハンソン

ミュリエル・ハンソン(Muriel Hanson)

ミュリエル・ウエッスマン(Muriel Wessman)はミネソタ州出身、カルヴィン・ハンソン(Calvin Hanson)はカリフォルニア州出身。2人は、イリノイ州シカゴにある福音自由教会聖書学校で出会う。その後、ディヤーフィールド(Deerfield)郊外にあるトリニティー(Trinity)神学校で学ぶ。両氏はウィートン大学(Wheaton)で学び、ミネソタ大学(Minnesota)を卒業。1947年6月7日に結婚。

夫がミネアポリスで牧会に携わっていた時の1949年3月、2人はアメリカ福音自由教会から日本への初代宣教師としての召命を受け、遣わされることになる。

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