律法学者とやもめ
 ルカの福音書20章45~21章4節
 
 [1]序
 
 今回の聖書箇所は、いつもと違い20章の最後から21章のはじめへと章の区分をまたいだ箇所です。
 
 聖書の章節の区分は、最初に書かれた時にあったものではありません。元々のものではないのです。節はかなり古い時代からあったようですが、現在の章の区分は聖書が印刷されるようになってからのものです。
 
 章の区分はとても便利でその役割を十分果たしているわけですが、同時に限界もあります。時には章の区分で聖書の元々の流れ・文脈を切断してしまいやすく弊害にさえなります。ですから時には、章の区分に捕らわれず、聖書の一つの書をはじめから終わりまで全体を一気に読み通すことは、とても益があります。実行なさることをお勧めします。
 
 [2]「律法学者たちに気をつけなさい」(20章45~47節)
 
 (1)さらに詳しく徹底した、律法学者とパリサイ人に対する記述として、ルカ11章37~54節、14章7節以下、16章13~14節、18章9節以下、マタイ23章全体。
 
 (2)ここで特に指摘している点
 
 ①「長い衣をまとって歩き回る」
 
 ②「広場でのあいさつ、会堂での上席や宴会の上座が好き」
 
 ③「やもめの家を食いつぶす」
 
 ④「見えを飾るために長い祈り」
 
 警告、「こういう人たちは人一倍きびしい罰を受ける」。
 
 (3)45~47節の目的、意図。だれに対する警告なのか。
 
 ①マタイ23章1節、「そのとき、イエスは群衆と弟子たちに話をして」。マルコ12章43節、「すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて」。ここで本当に問題になっているのは、主イエスの弟子たち(後の教会の説教者や教職者の原型として)が直面する危機。
 
 ②律法学者とパリサイ人の本来の起源は積極的に評価すべきもの。しかしその後の経過は、本来の精神からずれる可能性。
 
 また律法学者とパリサイ人たち、さらにユダヤ人一般についてのことばを誤解した、後の教会の反ユダヤ人感情の危険性。
 
 ③一世紀のユダヤ教内における、パリサイ人の偽善に対する批判。
 
 [3]「ある貧しいやもめが」(21章1~4節)
 
 (1)聖書の流れ・文脈の大切さ
 
 ①21章1~4節と20章20~47節、「やもめ」(21章2節、20章47節)が両者を結ぶ鍵のことば。
 
 21章1~4節と5節以下、一人の貧しいやもめに目を注ぐ主イエスとすばらしい石や奉納物の宮に見とれる弟子たちの鋭い対比。
 
 ②毎日一定の聖書の箇所を読み進めて行く、聖書日課の恵み。そのための時間や場所などについての工夫、そのための手引書。
 
 同時に一気に読み通すことの恵み。聖書通読の良き習慣の確立のための努力。
 
 (2)21章のポイントの一つ
 
 2節「貧しい」、3節「貧しい」、意味の似る異なる単語を繰り返し用い強調しています。2節の場合は生計のため苦労していること、3節の場合は、ほとんど物乞いになるほどの貧しさを示しています。
 
 (3)献金について
 
 旧約聖書に見る犠牲のささげものの意味、「なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である」(レビ記17章11節)、神から民への賜物。
 
 当時の周囲の世界で偶像へのささげものについての理解と実践(人から神々へ)と旧約聖書の犠牲(神から人々へ)は根本的に違います。
 
 [4]結び
 
 (1)教職者、指導者の危険と責任
 
 ①教職者・指導者の危険。旧約聖書全体を通じて、イスラエルの歴史における指導者の堕落を繰り返し鋭く指摘。
 
 新約聖書において、ルカ11章、マタイ23章以外にも、ヨハネ10章、ヤコブ3章1節以下などにおいて、同じ問題を指摘し警告。
 
 ②教職者・指導者の責任。Ⅰペテロ5章1~5節。大牧者主イエス、しもべ・王として、ルカ22章24~30節。ヘブル13章7、17節。エペソ6章19、20節。
 
 (2)献金について
 
 ①落とし穴
 ルカ11章42節。ミカ6章6~8節。「やもめの家を食いつぶし」との警告。使徒の働き3章6節に基づく、中世の教会について述べた、中世の代表的な神学者のことば。プロテスタント宗教改革の出発点の大切な一つとして、免罪符販売に反対して神学者に検討を呼びかけた、ルターの95箇条の提題。
 
 ②貧しい時、若い時、苦しい時に、良い習慣の確立
 個人としても教会としても、自発的、力に応じて、力に以上に。備えて。参照マラキ3章8~12節。Ⅰコリント16章1~3節など。
 
 ◆初穂、一部で全体を。残ったもの、要らなくなったもの、余ったものではなく。一番よいものを主に、マラキ1章8節。
 宮村武夫(みやむら・たけお)
 
 1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
 
 主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。
 
 
 
 







 
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                        








