賀川豊彦

パネリストは全員女性、「地域とくらし」を女性の視点で考える 第4回賀川豊彦シンポジウム(2)

パネリストは全員女性、「地域とくらし」を女性の視点で考える 第4回賀川豊彦シンポジウム(2)

「地域とくらし―今、女性の視点から考える」をテーマに、早稲田大学で10日に開催された第4回賀川豊彦シンポジウム。第2部では、主に参加者から寄せられた質問に答える形で、パネルディスカッションが行われた。

2018年11月27日23時30分

パネリストは全員女性、「地域とくらし」を女性の視点で考える 第4回賀川豊彦シンポジウム(1)

パネリストは全員女性、「地域とくらし」を女性の視点で考える 第4回賀川豊彦シンポジウム(1)

第4回賀川豊彦シンポジウムが10日、早稲田大学で開催された。2015年にスタートしたシンポジウムで、今回は、人々の生活の舞台である「地域とくらし」を女性の視点から考えようと、全員女性のパネリストを迎えて開催された。

2018年11月20日19時52分

第4回賀川豊彦シンポジウム「地域とくらし―今、女性の視点から考える」 早稲田大で11月10日

第4回賀川豊彦シンポジウム「地域とくらし―今、女性の視点から考える」 早稲田大で11月10日

第4回賀川豊彦シンポジウム「地域とくらし―今、女性の視点から考える」が、11月10日(土)午後1時半から4時半まで、早稲田大学早稲田キャンパス14号館(東京都新宿区西早稲田1−6−1)で開催される。

2018年11月09日13時24分

賀川豊彦

社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯(13)国民総ざんげ運動

1941(昭和16)年12月8日。突然ラジオは日本海軍がハワイの真珠湾を攻撃したニュースを伝えた。いよいよ太平洋戦争の始まりである。日本国内は異様な熱気に包まれ、右翼団体が力を伸ばしてきた。

2016年07月04日21時07分

賀川豊彦

社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯(12)日本の罪に泣く

そんな時、三陸地方に激しい地震があり、多くの死者が出た。続いて津波が押し寄せ、大惨事となる。賀川は、ただちに「イエスの友会」のメンバーを集め、被災地に救援隊を送り出すとともに、自らは連日大きな荷車を引いて東京各地を歩き、衣類や食料の寄付を募った。

2016年06月18日23時48分

賀川豊彦と妻ハルの思想と実践の現代的意味とは? DVD「21世紀に甦る賀川豊彦・ハル」発売中

賀川豊彦と妻ハルの思想と実践の現代的意味とは? DVD「21世紀に甦る賀川豊彦・ハル」発売中

昨年、明治学院大学で開催された「震災後の日本における宗教的ミニストリーの理論と実践」第1回シンポジウムの内容を収録したDVD「21世紀に甦る賀川豊彦・ハル」がロゴスフィルム社から1500円(税込)で発売されている。

2016年06月10日22時06分

賀川豊彦

社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯(11)軍国主義の到来

1924(大正13)年に入ると、賀川は眼病をはじめさまざまな病気に煩わされ、上北沢に家を借りて療養を余儀なくされる。しかし、彼はその年の11月から8カ月にわたり、世界一周の旅に出た。

2016年06月07日18時54分

賀川豊彦

社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯(10)この世の地獄

1923(大正12)年9月1日。突然関東地方を強い地震が襲った。賀川は救助に先立ち、被害状況の調査をするため山城丸で神戸を出航した。

2016年05月19日21時24分

賀川豊彦

社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯(9)死線を越えて

賀川が購買組合を作るために奔走していた頃、「改造」という雑誌の編集長、横関愛造(よこぜき・あいぞう)と大阪毎日新聞の記者、村島帰之(むらしま・よりゆき)が賀川の事業に共鳴し、彼の自伝を「改造」に連載したらどうかと話し合っていた。

2016年05月06日7時10分

賀川豊彦

社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯(8)立ち上がる労働者たち

「米騒動」は全国的規模に発展し、労働者を目覚めさせ、意識を高めることになった。この時から日本社会の中に社会主義思想が生まれてくる。

2016年04月16日17時03分

賀川豊彦

社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯(7)最下層の人々と共に

1917(大正6)年5月4日。賀川は米国のプリンストン大学でB・D(神学士)の資格を取得して帰国。横浜埠頭(ふとう)には妻のはるが出迎えた。

2016年04月02日14時21分

賀川豊彦

社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯(6)新たな人生航路

「イエス団」の教会から少し離れた日暮通(ひぐれどおり)4丁目にあるボタン工場から説教を頼まれて通ううちに、大道芸人の息子でその工場で働く職工の武内勝(たけうち・まさる)・芳夫(よしお)兄弟が話を聞いて教会に来るようになった。

2016年03月19日19時10分

賀川豊彦

社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯(5)無償の愛

すっかり仲良しになった花枝と熊蔵は、賀川にまつわりついて離れなくなった。そのうちに虎市というやくざの子どもも彼になつき、甚公、やぶさんといった仲間を連れてきた。彼らは、賀川がどこへ行くにも付いてきた。

2016年03月04日14時44分

賀川豊彦

社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯(4)暗黒街の光

1909(明治42)年12月24日。賀川は布団や衣類の入った行李(こうり)、本、書棚を載せた荷車を引っ張って葺合新川(ふきあいしんかわ)のスラムに引っ越してきた。

2016年02月18日16時39分

賀川豊彦

社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯(3)小さな命をいとおしむ

1905(明治38)年、豊彦は明治学院高等学部神学科に入学。ここの「ハリス館」に寄宿した。明治学院は美しい森となだらかな丘を持つ静かな環境の中にあり、彼は落ち着いて勉強することができた。

2016年02月04日21時44分

賀川豊彦

社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯(2)雲間から差す日

兄の端一の勧めによって豊彦は、中学校の試験を受けることになった。そして優秀な成績でパスし、中学生となる。学費は、端一が負担してくれることになった。最初は寄宿舎に入り、2年後に片山塾に移った。

2016年01月21日20時43分

賀川豊彦

社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯(1)暗い出生

兵庫県神戸区兵庫島上町(ひょうごしまかみまち)にある「賀川回漕店」はたいそう繁盛していた。店主の賀川純一は商売上手で、郷里徳島県の産物「阿波藍(あわあい)」(染物の原料)の輸送で財産を築き上げ、裕福な暮らしをしていた。

2016年01月07日21時09分

韓国で進む賀川豊彦の再評価 格差社会で関心高まる「分かち合い、共に生きる」精神

韓国で進む賀川豊彦の再評価 格差社会で関心高まる「分かち合い、共に生きる」精神

日韓国交正常化50周年を記念して、同志社大学大学院社会研究科助手で日本基督教団洛陽教会協力宣教師の李善恵(イ・ソンヘ)氏による講演「賀川豊彦と韓国」が19日、賀川記念館(神戸市)で行われた。

2015年09月29日15時28分

「戦争しないこの国を守っていきたい」 クリスチャン憲法学者・宮本栄三氏インタビュー(1)

「戦争しないこの国を守っていきたい」 クリスチャン憲法学者・宮本栄三氏インタビュー(1)

クリスチャン憲法学者の宮本栄三氏は、自らの戦争体験、キリスト教や平和憲法との出会いを回想した上で、憲法と平和の問題を論じ、今の日本の政治に大きな危機感を表しつつ、聖書を引用し「子や孫の世代のために戦争しないこの国を守っていきたい」と述べた。

2015年07月10日17時42分

「賀川豊彦と吉野作造」移動展、松沢資料館で開催中 2人の偉大な指導者が今伝えたいこととは?

「賀川豊彦と吉野作造」移動展、松沢資料館で開催中 2人の偉大な指導者が今伝えたいこととは?

日本社会の形成に重要な働きをしたリーダーの一人である賀川豊彦と、大正デモクラシーを代表する政治学者、吉野作造を扱った移動展「賀川豊彦と吉野作造―貧しき者、弱き者のために」が、賀川豊彦記念松沢資料館で6月27日まで開催されている。

2015年05月21日18時29分

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