さて、使徒たちは帰って来て、自分たちのして来たことを報告した。それからイエスは彼らを連れてベツサイダという町へひそかに退かれた。ところが、多くの群衆がこれを知って、ついて来た。それで、イエスは喜んで彼らを迎え、神の国のことを話し、また、いやしの必要な人たちをおいやしになった。(ルカの福音書9章10、11節)
9月も中旬を迎え、日中はまだまだ暑いですが、朝夕は少しずつ涼しくなってきました。夜空を見上げると大きな月、サンマも豊漁とか・・・。大いに秋の日々を喜んで歩んでまいりましょう。
単に病気が癒やされるというだけでなく、健康で生き生きとしたクリスチャンとしての人生を与えられたいのです。クリスチャンになると、私たちの人生の色合いは必ず変わります。私たちの日常が、主の恵みのあふれる日々という色合いに変えられていますように。
この章の1節からは12弟子の選び、13節からは5千人の給食の話があり、今日の箇所は、そのつなぎの部分で、イエス様の日常が描かれています。ガリラヤ湖の周辺で救い主として御業を行い、神の国を語られたイエス様の元には、大勢の人が詰めかけました。
疲れを覚えられたイエス様は、休憩を取ろうと思い、弟子たちを連れてベツサイダという町に密かに退かれましたが、これを知った群衆がついてきたのです。この時、イエス様はどんな態度を取られたか、ここに主の日常が書かれています。
1. 私たちのことを喜び、愛し、受け入れてくださる主!
「イエスは喜んで彼らを迎え」とあります。イエス様は、疲れているのだからと人々をあしらわず、喜んで迎え入れてくださいました。これがイエス様の日常です。あなたの目を見つめ、ニコニコと笑い、喜んで受け入れ、愛し、恵みをお与えくださる主であることを感謝しようではありませんか。癒やしを祈る前に確認したいのは、あなたの日常に主が共におられること。そのイエス様は、あなたのことを喜んでおられます。
2. 私たちに神の国の恵みを常に伝え、与えてくださる主!
同時にイエス様は、神の国のことを話してくださいました。クリスチャンとして生きるということは、神の支配、力が及ぶ範囲に生きる者へと根本的に変えられたということです。
神を知らない生き方とは、霊的な意味合いが全く違う、神の恵みを語られたのです。この神の国の住人には、悪霊の力から解放され、病気も癒やされるという神の恵みの日常があること。信じれば、みんな神の国の住人となれることをイエス様は教えてくださったのです。
3. 私たちの必要を満たし、癒やしてくださる主!
今のような病院もない2千年前の人々にとって、癒やしというのは、どれほど大きな必要だったことでしょう。イエス様は、当たり前のように人々を癒やしてその必要を満たしておられました。それがイエス様の日常でした。
常に私たちのことを喜び、受け入れてくださるイエス様。神の国の祝福を語り伝えてくださるイエス様。必要とあらば、どんな病も癒やしてくださるイエス様。これがイエス様の日常でした。
米国で若い活動家が暗殺されましたが、彼は熱心なクリスチャンで、大学を巡り、罪から離れることや、聖書の中にある人間の幸福のルールを語り続けていました。日本でも、悪や罪の力が、どんどん日常生活に入り込み、若者を中心に大麻がまん延し、大学生活まで脅かし、スマホを長時間見て眠らない子どもが増え、不登校の問題にまで発展しています。
私たちの日常生活にはイエス様が共におられ、悪や罪から守られて、恵みが与えられることを体験しましょう。
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