
「あなたの話し方も内容も気に入りました。真実だけを語っておられますから。でも、そのせいで気分を害する人がいるのをどうお考えですか」。アメリカの教会で説教をした後、ある男性が私のところへ来てこう聞きました。
正直な話、私は教会によくいるタイプの人間ではないのは分かっています、話し方も外見も。しかし、単に目新しい路線でいこうとしているのではありません。私は人々の目を覚ましたいと願っているのです。そのために時々、いえ、かなりの確率で、私は人々の機嫌を損ねることがあります。
そもそも、刺激的な音楽や説教者の愛情深い言葉で「癒やされる」ことを求めて教会に来る人たちが多過ぎます。誤解しないでください。どれもみな素晴らしいものです。問題は、そういう人々が安易な癒やしで満足してしまうことです。教会で心慰められることだけが教会に来る目的になってしまうわけです。このような感覚は間違っているだけでなく、危険なことです。
長いこといろいろな教会でメッセージを語ってきて、眠ったような信仰しか持てない人々を見ることにうんざりしています。そういう人たちは、ただ教会の長椅子に座って「すべてうまく行きます」という週一回の慰めを待っているのです。でも、あいにく「すべてうまく行」くはずなどありません。
イエスのように世界を見れば、痛みと苦しみが見えてきます。イエスのように人々を見れば、その問題に対して何かせずにはいられないはずです!
私のその男性への答えはこうでした。「寝ている人を目覚めさせるのは賢明ではないですね。どんな反応が返ってくるか分かりませんから」。寝ぼけた信仰を持つ人は起こされるのを嫌います。しかし、だからと言って、まどろんでいびきをかいている人を放っておくべきではありません。気分を害するかもしれませんが、起こせば少なくとも何かをするでしょうから。
今、ご自分が信仰に目覚めているかどうか確認してみてください。心地よさを求めていますか。クリスチャンゆえに対応を求められるつらい状況に背を向けたいと願っていますか。しかしそのような状況は常にあなたを取り巻いています。もしあなたが目覚めていれば、分かるはずです。
「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです」(ローマ人への手紙第13章11節)
心をこめて
メトロ・ワールド・チャイルド
創立者・主任牧師 ビル・ウィルソン
■ ビル・ウィルソン牧師からのメッセージ
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ケニア・クリティカル(ケニア緊急里親募金)
現地スタッフからのレポート
昨年は特別な年になりました。
学校は3月中旬に閉鎖しましたが、以前のように学校に食料やチケットを届ける代わりに各家庭に直接届けることができたことに感謝しています。
地域社会にメトロの存在を知っていただくチャンスとなりましたし、繰り返し各家庭を訪問することで、人々と一対一で接し、より理解を深めることができたからです。
多くの人々が「あなたが今日の命綱になってくれました」と言って涙を流しました。泣いている母親の横で「ママ、心配しないで、僕は日曜学校に行っているんだから。僕たちは神様を信じればいいんだよ」と言う子もいました。
食料品を受け取って、喜びを大声で表現する子もいれば、走り回ってはしゃぐ子もいて、一人一人違う反応のそれぞれが素敵でした。
また、一日キャンプを実施して素晴らしい成果を得られましたし、農家の人たちに燃料を届けて農業や彼らの生活を支えることもできました。学校は、昨年の秋には再開しています。

ここで一つ、ケニア・クリティカルの素晴らしい証しをお伝えします。
ある日、スタッフリーダーから電話がありました。「大やけどを負った女の子がいます」と。
その子は戸外で遊んでいて、お湯が沸騰している大鍋に頭から落ちたのだそうです。
支援している人々は、私たちが使うような調理器具を持っていませんので、戸外で火を起こしてそこでお湯を沸かすのですが、近くで遊んでいた女の子がつまずいて頭からお湯の中に落ちたということでした。
私はすぐに駆け付けました。頭から体までかなり広い範囲にやけどを負っていましたが、投薬でみるみるうちに快復したのには驚きました。
この子はメトロで支援している子ではありませんが、会いに行くたびに彼女がきれいに治っていくのが分かります。
その子の家で、「隣の家で赤ちゃんが生まれたので見てやってください」と言われたので行ってみると、生後3週間の男女の双子の赤ちゃんがいました。
家にはお兄ちゃんのケビンという男の子もいたのですが、その子はスポンサーの支援を受けている子でした。神様のタイミングはなんと素晴らしいことかと思います。
やけどした女の子のところに行かなければ、隣の家の双子の赤ちゃんやケビンの状況を知ることもなかったのですから。
というのも、次の日、双子の一方の男の子が亡くなったという電話がかかってきたのです。食べる物がなく、母親自身が栄養失調で母乳が出なかったのが原因とのことでした。
私は亡くなった赤ちゃんを抱きしめ、奇跡を求めて祈り、ただただ泣くばかりでしたが、その後、家族と共に埋葬の儀式を行いました。
10日後、私は2つの家族の様子を見に行きました。
やけどを負った女の子の状態を確認し、それから隣家に行って、ジョイと名付けられた双子のもうひとりの女の子を抱っこして祈りました。
でも、そこで私は何か違和感を覚えました、胸騒ぎのような感覚を。そして翌日、電話があったのです。
「ジョイも死にました」と。
私はすぐに母親のもとへ行って、ジョイを抱いて共に泣き、祈りました。「みこころのままをなさってください。でも、どうか神様、この心の痛みを癒やしてください」と。
ケビンに、イエス様が亡くなった幼い弟と妹と共におられることや、命について語る機会を得られたのはよかったです。
また、ケビンの祖母との関係にとっても。彼女は私に対して敵意を抱いていたのです。
私が初めて訪問した翌日に男の子が亡くなり、次の訪問の翌日に女の子が亡くなったことで、何らかの霊的なものの仕業であるかのように感じたようです。
しかし神様が働いてくださり、私は事情を説明する機会を得て、誤解だったことが分かった彼女は、私に謝罪してくれました。
でも今回の出来事で何といっても素晴らしいと思ったことは、やけどを負った女の子の兄のリンカーンが、メトロの支援を受けていなかったことです。
ケニアのメトロスタッフであるダニエラはちょうど、出身地のドイツの友人から、「切実に支援を求めている子を紹介してほしい」という問い合わせを受けていました。
リンカーンの家族の住まいは粗末な掘っ立て小屋で、室内と屋外の境もなく庭に物が転がっているような状態です。まさに要望にピッタリだと思ったダニエラは、友人にこの話をし、リンカーンはすぐにスポンサーの支援を受けられることになったのです。

「ケニア・クリティカル」は、まさにクリティカル――極めて重要なものです。
一日一日、ただ命をつなぐだけで必死の人々にとっては大きな助けですし、これは単なるプログラムではなく、生死を分ける働きなのです。
このような話は、私たちの働きの現場では日常茶飯事です。
明日の午前中もまた、私は葬儀に行きます。メトロで支援していた10歳の女の子が、日曜日に親と一緒に教会から出てきたところで、スピード違反の車にはねられて亡くなったという悲報を聞いたばかりです。
そしてお昼には、別の10歳の女の子に会いに行きます。その幼さにして、既に子どもを産んでいるのです。詳しいことは分かりません。
でも、ここでもケニア・クリティカルの働きは必要なのです。幼い女の子がレイプされたり、食べ物を買うお金のために自らを貶めたり、というケースもあるからです。
だから私たちは、そのような家族のために現場で働きを続けなければなりません。
命について、人生について語りかけ、希望を与えなければなりません。
そのような働きを実現させてくださる皆さんに感謝の気持ちを伝えたいと思います。
この活動に参加してくださっているスポンサーの皆さんのお陰で、本当に多くの家族が助けられているのです。ありがとうございます。
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