朋友キリスト 穂森幸一(163)

2020年8月6日11時10分 コラムニスト : 穂森幸一 印刷
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わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。 (ヨハネの福音書15:15)

キリストが神であることには誰も異論はないと思います。神であるキリストが人としてこの地上に来られ、しかも私たちの知己朋友となってくださいました。キリストの弟子たちにとって一番の財産は、キリストと共に3年間寝食を共にし、その教えを傍らで聞き、その働きを身近に目撃できたことではないかと思います。

新約聖書の原典はギリシャ語で書かれていますが、キリストが話されたのはすべてアラム語でした。アラム語はヘブル語の方言みたいなものですが、ガリラヤ地方だけでなくイスラエルの周辺国でも広く使われていたようです。キリストの福音を地中海世界全域に伝播するためには当時の公用語であったギリシャ語が用いられるというのは当然のことかもしれませんが、弟子たちにとってはアラム語のほうがしっくりときたかもしれません。

福音書の中でも、「タリタ、クミ(少女よ、起きなさい)」(マルコの福音書5:41)、「エパタ(開け)」(マルコの福音書7:34)、「アバ、父よ」(マルコの福音書14:36)などはわざわざアラム語が書き添えられています。十字架にかけられたキリストの最期の叫びは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」 (マタイの福音書27:46)でした。どうしてもアラム語で表現せざるを得なかったのです。東方世界に伝播した原始キリスト教は福音書がアラム語で記されていてしっくりとしていたせいか、神学論争がほとんど起きなかったともいわれています。

キリストの生涯の映画やビデオを見るときに、何となく違和感を覚えたのは、キリストの復活後のシーンを描いた場面です。十字架までは同志としてのキリストなのですが、復活後は異次元の存在的な表現がされています。中にはイエスを拝んでいる弟子の姿を描いている場面もあります。

ヨハネの福音書20章に、キリストが週の初めの日の夕方、弟子たちに顕現されたときの様子が記されています。キリストは「平安があなたがたにあるように」と2回呼び掛けておられます。私は聖書を学び始めの頃は、なんという神々しい言葉だろうと思って読んでいました。ギリシャ語の原典にはその通りに書いてあります。

イスラエルに行く機会が与えられ、ユダヤ人とも親しくなることができると一つのことが分かりました。イスラエルでは朝起きても、昼間出会っても、夜に出会ってもいつでも「シャローム」なのです。直訳すると「平安がありますように」という意味ですが、ヘブル的なあいさつということになります。単なるヘブル的なあいさつをキリスト教的なあいさつとして昇華させたのが使徒パウロだといわれます。パウロ書簡では「恵みと平安がありますように」という表現が用いられています。

復活後の場面で考えますと、復活のキリストに出会った弟子の中には、まるで幽霊か何かに出会ったように驚く人もいました。ですからキリストは「皆さん、こんばんは!」というような感じで2度も呼び掛けられたのではないかと思います。弟子たちと交流し、活動を共にしていた朋友であることを示すために、「私の傷跡に手を差し入れてみなさい」と語られたのではないかと思います。キリストは弟子たちに、自分は十字架にかかり死んだがこうして3日目に復活しましたよ、以前の自分と何ら変わらないよとアピールされたのではないかと思うのは行き過ぎでしょうか。

キリストの復活は肉体が消滅して霊体になったのではありません。キリストのからだは弟子たちと共に行動していたときと同じようなものでありながら、物質を超越した特別の存在でもありました。壁をすり抜けることもできますが、弟子たちと共に食事をすることのできる存在でもあります。このキリストのからだはやがて復活させられる信者たちのひな型でもあります。キリストは福音書の中では人々の必要に応え、心の叫びに優しく対応してくださるとても身近な存在として描かれています。そして、今も変わりなく私たちの心を探り、その叫びに応えてくださいます。

イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。 (ヘブル13:8)

言語というものはとても不思議な部分があります。直訳ではとても意味が伝えられない部分もあります。今日の社会でも「カラオケ」とか「もったいない」などの日本語が国際語としてそのまま用いられています。一度、日本の方言に訳した聖書というのを読ませていただいたことがあります。何かしっくりと伝わってくるような気がしました。

一説によれば、古代ユダヤ人や原始キリスト教徒が日本に渡来人として来ているといわれています。私たちが何気なく使っている言葉にも、アラム語に由来するものが少なくないといいます。例えば「ばれる」という言葉は、アラム語由来で「明らかになる」という意味で、数の数え方、「ひーふーみー」はヘブル語由来だといわれます。先人たちが築き上げた日本文化と日本語にもアラム語が息づき、聖書の思想が生きているとするならば、もう少し日本語を大切にし、その言葉の一つ一つをそしゃくしながら味わっていきたいとも思わされます。

キリストは決して遠い存在ではなく、身近な存在であります。日本の人々がキリストの御名を呼び求める日が近いことを信じています。キリストは朋友として、いつも私たちに関心を持ち、支えてくださっています。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(ヘブル12:2)

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穂森幸一

穂森幸一(ほもり・こういち)

1973年、大阪聖書学院卒業。75年から96年まで鹿児島キリストの教会牧師。88年から鹿児島県内のホテル、結婚式場でチャペル結婚式の司式に従事する。2007年、株式会社カナルファを設立。09年には鹿児島県知事より、「花と音楽に包まれて故人を送り出すキリスト教葬儀の企画、施工」というテーマにより経営革新計画の承認を受ける。著書に『備えてくださる神さま』(1975年、いのちのことば社)、『よりよい夫婦関係を築くために―聖書に学ぶ結婚カウンセリング』(2002年、イーグレープ)。

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