鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの生涯(9)故郷への贈り物

2020年6月3日15時31分 コラムニスト : 栗栖ひろみ 印刷

1867年。弟のトムが友人のウィリアム・コールマンの令嬢と結婚することになった。事業が拡大して本社をニューヨークに構える必要ができたため、アンドリューは「セント・ニコラス・ホテル」に移ることにした。ここで新しい知り合いができると、たちまちこのホテルは社交場となった。

ここのホテルの経営者が山の中に「ウィンザー・ホテル」を開くと、アンドリューは母親と共にここに移り、「19世紀クラブ」という社交クラブを立ち上げた。ここにさまざまな分野の人が自由に集まり、いろいろな問題を議論したり、本の朗読をしたりしてお互いに教養を高め合った。彼は仕事に忙殺されて今まであまり本を読んだことがなかったが、少ない時間をさいて文学書や哲学書なども読み、人格を円満にし、高めるよう努力した。

ニューヨークに居を構えてからの最初の仕事は、ケオックという場所からミシシッピー川に鉄橋をかけることだった。ペンシルバニア鉄道の社長エドガー・トムソン氏と手を結び、基礎から工事を全部請け負うことにした。その仕事は、あらゆる点で右に出るものがないほど立派なものであった。この事業の評判が良かったので、今後はセントルイス市からミシシッピー川に橋をかける仕事が持ち込まれた。

1869年のある日のこと。マックファーソンという人がニューヨークの事務所を訪れ、新設する事業のための資金を獲得したいのだが——と相談を持ちかけた。アンドリューは、これだけの大事業をするためには、金融の取引をしなくてはならないと考え、橋を建設する会社の抵当債権400万ドルを引き受け、金融業者と交渉するためロンドンに向かった。そして有名な銀行家ジュニアス・モルガンに近づきになっていたので、ある朝彼を訪問し、交渉することに成功した。こうしてめでたくセントルイス橋を建設する費用ができ、工事を「キーストン橋梁製作所」が請け負うことになった。

また、この頃有名な「ユニオン・パシフィック鉄道会社」が危機に陥っていたので、この会社の重役が尋ねてきて、倒産をまぬがれるにはどうしても60万ドルが必要なのだが——と訴えた。そこでアンドリューは、ペンシルバニア鉄道会社が指名する人を数名重役に加えるなら、ただちに援助に乗り出そうと約束した。

そして話がまとまり、ペンシルバニア鉄道会社のトムソン社長にわけを話した。彼は、自分は承諾しなかったが、代わりにトマス・A・スコット氏を推した。そしてスコット氏、プルマン氏、アンドリューの3人が「ユニオン・パシフィック鉄道会社」の重役となり、会社を立て直すことに成功した。

もう一つ。アンドリューはこの時期、画期的な事業に手を出した。かねがね鉄道による太平洋岸との連絡ということが強く望まれていて、大陸横断鉄道は考えているよりも早く実現できるといわれていた。アンドリューは、自分の考えをスコット氏に打ち明けてみた。すると、「いかにもきみらしい考えです」と、承諾の返事が来た。

そこで彼は、すでに寝台車というものに着眼していたプルマン氏と会い、この案を煮詰めた。そして、「ユニオン・パシフィック鉄道会社」に2人の合同案を出し、会社を設立することになった。「名前は何とします?」「プルマン寝台会社」。アンドリューは即座に答えた。

たちまち話はまとまり、新しく登場した寝台会社はシカゴで数台の寝台車を作って鉄道路線に入れる契約を取ったところ、あっという間に米国中に普及したのだった。

こうして数々の事業が成功したので、彼はかねてから考えていたように故郷のダムファームリンに贈り物をしたいと考えた。彼は、まず数カ所に公衆浴場を寄贈し、スターリングの丘にウォーレスの記念碑を建てることにした。彼は故郷の町を歩き、鐘の音に耳を傾けた。「ああ、ダムファームリン、私を育ててくれた町よ、どうかこの贈り物をお受けください」。彼は心の中で言った。

「あっ、カーネギーさんだ!」彼が町を通ると、町の人たちは手を振って出迎えた。彼もにこにこしながら町の人たちにあいさつをした。子どもたちも彼を慕って駆け寄ってきた。ウォーレスの像を建てた人のことを親たちから聞いたのだろう。

「みんな、よく勉強して、ウォーレスやブルース国王のように立派な人になるんだよ」。彼は子どもたち一人一人の頭をなでながら言った。鐘は昔と変わらず澄んだ音を響かせていた。

<あとがき>

ニューヨークに住居を構えてから、アンドリューはめざましい働きをします。ケオックの地点からミシシッピー川に鉄橋をかける事業を請け負ってこれを成功させ、続いてセントルイス市からミシシッピー川に鉄橋をかける事業をも成功させたのです。さらに彼は、経営危機に陥っていた「ユニオン・パシフィック鉄道会社」を立て直すことに成功して、この会社の重役になり、またプルマンという実業家と手を組んで、当時は夢のような話でしたが、大陸を横断するため、寝台車を開発。「プルマン寝台会社」を作りました。

こうして数々の事業を成功させた後、アンドリューは自分の故郷ダムファームリンに恩返しをしたいと考え、自分を育ててくれたこの町の数カ所に公衆浴場を寄贈し、スターリングの丘にウォーレスの記念碑を建てることにしたのでした。彼の思いは、自分がそうであったように、この町で育った子どもたちが、ウォーレス将軍やブルース国王から真の勇気と誠実さを学んでほしかったのです。

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。12年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。

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