新・景教のたどった道(31)唐代の中国洛陽で発見されたソグド人景教徒の経幢 川口一彦

2020年5月10日20時41分 コラムニスト : 川口一彦 印刷
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大秦景教宣元至本経(洛陽出土)の現代訳(景教会員・宮川和彦訳)

1. 祝福あれ

2. 聖なるアラーハ(阿羅訶<へブル語のエロヒームのシリア語読み>)、聖なる大威力、聖なる(文字中断)

3. 大秦景教宣元至夲経

4. 当時、法王景通は次のように語った。「尊いさばきの御座が雲の中や水晶で出来た宮殿や大秦国のナザレに設けられた。その御座に座すお方は2つの姿を現し、真理の根元を説明された。音楽は響き、そしてすべてに通じる道は開かれた。すべての被造物が7つの方角から到来し、御座のまわりに集った。その中には、真理に導く者たちや清い者たちやすべての天の御使い等々、不思議なさばき(文字中断)

5. 王たち、無数の真理に導く者たち、そして365の諸民族がいた。民族に関しては、彼らは国境をはるかに越え、地の果てから到来した。彼らは無益、無知、そして長い間の真理の根元を失っていたことを嘆き悲しんだ。彼ら全員が現れ、水晶の宮殿に集まった。彼らの心は礼拝するために高められた。」その時、法王景通が厳かに

6. 宣言を開始された。「見よ。天において個人的に勅令を受けた王がすべての者に対して宣言して言う。『ようこそ、あなたがたすべての律法の人々よ。以前に決して来なかったものを見るために来なさい。きょう、樹々は自然な緑になり、死に勝利した復活のいのちを持った。』もし、あなたが始まりなき根元を理解するなら、その後、すべての障害は消え去るであろう。そして、彼は不思議な創造と創造主の真理を宣言し始めた。

7. 勅令は次のように述べる。『始まりも言葉も道も根元的原因も存在しなかった。不思議な実在が存在したが、それは非実在であった。平静であることがその不変の道であった。』私は以下のことを聞いた。

いと高きアラーハが始まりを開き、不可思議をつくられた。彼は汚れなき心を生み出した。彼は創造と自然の中に隠され、原始的成長に関わった。発展も配剤も運動も何もなかった。何もない中で御霊が・・・(文字中断)

8. 第一原因なる因縁の枢軸を設置した。自然が形あるものの起源としてつくられた。第一原因とある結果の第二原因との調和は、彼の情緒と霊感によって予定されていた。森羅万象が決定された。3つが7つ(の御霊)を生んだ。多数が汚れ、生存できなかった。それらはお互いに補足し合っていた。・・・(文字中断)それらは根元的な真の形に戻った。見よ。創造主は何も行動を起こされなかった。

(第三面)

9. それゆえに物事はご意志によって進められていくと信じられた。何も期待なしに物事は変わっていくだろう。非実在が存在していくだろう。そして、実在が破壊され、非実在になるだろう。これらすべてが創造された。原因なくしては何もない。彼が不思議な創造主と呼ばれるのは驚くべきことではない! 空虚なしの王。被造物は隠され、あるいは現され、創造主を感じ、心から応答する。御霊によって生まれた子どもたちは、何と違っていることか。

10. 彼らは創造主を敬虔に礼拝する。彼らは創造主に魅了させられる。アラーハを知らない者たちの功績は、何も魅力を放たない。彼らの施しは憐みから出てこない。アラーハは寛大なお方であり、かつ最も子細なことまで観察できる。彼は、すべての者をいつまでも養われる。彼は、すべての堕落した者たちをご覧になり、それを一つの汚れた欲望と見なされる。それが仮に一つの汚れた欲望であったにせよ、それを真の汚れた欲望とは見なさない。それをご覧になるが、覚えられない。

11. 見られるものを理解することが見ることである。限りなく聞くことは聞くことではない。聞かれるものを理解することが聞くことである。限りない力は力ではない。忍耐し続けることが力である。限りなきものは空虚、無形、そして無法になりがちである。創造主が見るものは無限で限りないものである。彼はまったく自由である。彼は寛大に無限を支配し、落ち着かせる。彼の不思議な体系は円の中に現される。

12. 事物の根元的機能はすべて消し去られた。魂だけがその相違を感じることができる。蓄積された愚かさが破滅へと導く。それ故、彼らは善意で教えられ、変わりなく支配され、そして慈愛によって救われるべきである。見よ。悔い改める者たちは、その罪は取り去られる。これは創造主がすべてのものを変えることができるが、彼自身は変わることがないことを意味する。

13. 創造は、最後に変化するだろう。しかし、創造主は盛衰することなく、また清濁もない。彼はご自身を何もない中に保持し、その永遠の実在は変わることがない・・・(文字中断)

14. メシヤは最初、御霊によって天的に祝され誕生したことを知恵をもって知覚し、そのことを完全に理解する。それは、非実在と実在の両方である。それは空(くう)ではない。空の中の非実在は不振を生じさせない・・・(文字中断)

(第四面)

15. 聖霊の実体は、真理がまことに具現化したことであり、永遠の喜びのいのちである。それは、次のことを示している。すなわち、創造主がどんな境遇にある者たちのために、そして律法なしの道に迷う者たちのために持っている・・・(文字中断)

16. 理解する者は大いに啓発されるだろう。理解する者は真理からすべての益を受けるだろう。無学な人々は沈滞した知識を持っている。彼らが知覚することは真理に反し、それ故、御霊は初めであり、自然な・・・(文字中断)

17. そして寛大である。人はやがて最後に死ぬことを知るべきである。従順が主要なことである。それ故、御霊を知り、瞑想を通して誘惑に抵抗せよ。変わりゆく知識を求めるな・・・(文字中断)

18. 彼は8つの条件を用意し、死に勝利し、いのちを与える3つの恒久的原理をもたらした。人は常に熟考し、この8つの条件に従って深く悔い改めるだろう。十分に注意せよ・・・(文字中断)

19. 法王景通は説話を終了した。全体的に大衆は彼の教えを理解し、納得した。彼は、彼らが知恵を得るために彼らに説明した・・・(文字中断)

20. すべての面。しかし、ある者たちはその教えを受け入れ、書き、朗唱した。彼らは信じ、理解し、熱心にそれを実践に移していった。もちろん、そのような人々の徳は、さらに進んでいくことは自明なことである・・・(文字中断)

(第五面)

21. 海が谷にあふれ流れるように、太陽が昇り、暗闇を消し去るように、神の偉大な平静さはすべての自然界の要素によって証しされている。汝の実在を知り、常に喜べ。洗い流せ・・・(文字中断)

(第二部)

22. 大秦景教宣元至本経幢記

23. 見よ。最も聖なるお方が見えるものになられた。その善意は、限りなく地の果てまでおよんだ。私の永遠かつ真の主である創造主アラーハ・・・(文字中断)

24. 海、そして全被造物を養う。太陽と月はまぶしく輝く。5つの惑星が動く。すなわち・・・
(文字中断)

25. 散らされた。最後に滅びる者たちは御霊を知り、誘惑に抵抗する。彼らだけが残されるが、残念なことではない。彼らはすべて先に進んでいく・・・(文字中断)

26. 海、深く深遠なるもの。もし、「道」が何の名称も持たなければ、私はそれを宣言しないし、この世はそれを受けることもできない。善・・・(文字中断)

(第六面)

27. 始めなき世界と最後はアラーハ、私の創造主の・・・(文字中断)

28. 神のことばを朗唱し続けることが可能な者たちは、神の祝福をすべて受けるだろう。その上、彼らはこの碑文を石柱に書いた・・・(文字中断)

29. 私の家族に対して、直接の相続人としての恩義の故に、私は故人に対して子としてのふさわしい敬虔と誠実を示さなかったことを残念に思う。私は大講堂にて教えられたことに不従順であったことを突如として感じた。大講堂・・・(文字中断)

30. 深い感謝、謙遜な思い、そして元気な心で私たちは石の上に経典を刻印し、この霊的柱を建立した。用いよ・・・(文字中断)

31. 私の亡くなった母を慰める。ブハラ国出身のブハラ家の栄誉ある母の聖なる道よ、そして、亡き主人のおじと・・・(文字中断)

32. 光輝く太陽が暗き拝謁の間を高く長く照らし続けるように。彼らの真の名前は混同されるべきではない。すなわち、それは景教の景の本性に属している。おー、・・・(文字中断)

(第七面)

33. 死者たちの魂が臨在されるように。他の親族たちも等しく次のことを願う。邪魔や患難がなく、彼らの生涯は松林や青竹のようになるように。子どもたち、老いも若きも・・・(文字中断)

34. 世代の連続によれば、彼らは墓地を購入し、この墓石を建立した。管轄行政区、すなわち楼蘭国ガンデ村、柏仁(Bairen)・・・(文字中断)

35. 初めに、すなわち、元和9年12月8日(紀元815年1月25日、日曜日)に彼らは債務保証人をクイ(Cui)の貿易農場で買収した・・・(文字中断)

36. 親族たち。それは記念式の時であり、その時にぶどう酒が大地に注がれ、天と地は同じ意志を持った。石が南山から購入された。その石は研がれ、表面がなめらかになるまで磨かれた。それから経典がその上に刻まれた・・・(文字中断)

37. 墓地において。私は自分の貧しい文学的素養を恥じながら筆を取り、その記録を書いた。願わくは、未来の高貴な人々が私の貧しい記述をゆるしてくれるように。当時・・・(文字中断)

38. 皇帝は左護衛軍代理、西域管轄司令官、東都(洛陽)宮廷北衛禁軍の押衛に命令した。そして・・・ルズホー(Ruzhou)のリアングチュアン(Liangchuan)県から・・・(文字中断)

(第八面)

39. 中央平原(中国)と外国両方からの親族たちが記念のために以下の名前を記した。弟であり景教の修道士である清素、上の従兄である小誠、おじである安少連・・・(文字中断)

40. 左護衛軍の大将軍代理である寧遠将軍押衛と同様に長安の最高左龍軍の将軍付添人であるおじを受け入れ、追加の官僚も採用した・・・(文字中断)

41. 大秦寺修道院長である和玄その俗名は米、弟子訓練者である大徳なる玄慶その俗名米、第九階位の大徳なる志通その俗名康・・・(文字中断)

42. 墓地の地主であり監督官である昌兒、ここに墓碑を刻む・・・(文字中断)

(第八面の最初に)

大和3年2月16日(紀元829年)
偉大な事が起きた。棺が別の場所に移された。

新・景教のたどった道(31)唐代の中国洛陽で発見されたソグド人景教徒の経幢 川口一彦

1976年ごろに中国洛陽市洛龍区李楼郷斉村で発見された景教徒の経幢(きょうどう)には、ソグド人の名前が出ています。八角柱の大きさは、高さ60センチから85センチ、直径は約40センチ、一面の幅は14センチから16センチ。一面には三一の神をたたえ、二面の冒頭には「大秦景教宣元至本経」と彫られ、五面の冒頭には「大秦景教宣元至本経幢記」と彫られています。文面には、829年に葬儀があったとあります。(写真は呉昶興著『漢語基督教経典文庫集成』より)

ちなみにこの経幢は、以前に大学入試センター試験の世界史に出題されました。

新・景教のたどった道(31)唐代の中国洛陽で発見されたソグド人景教徒の経幢 川口一彦

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※ 参考文献
景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
旧版『景教のたどった道―東周りのキリスト教
呉昶興著『漢語基督教経典文庫集成』

川口一彦

川口一彦(かわぐち・かずひこ)

1951年、三重県松阪市生まれ。愛知福音キリスト教会宣教牧師、基督教教育学博士。聖書宣教、仏教とキリスト教の違い、景教に関するセミナーなどを開催。日本景教研究会(2009年設立)代表、国際景教研究会・日本代表を務める。季刊誌「景教」を発行、国際景教学術大会を毎年開催している。2014年11月3日には、大秦景教流行中国碑を教会前に建設。最近は、聖句書展や拓本展も開催している。

著書に 『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年)、『仏教からクリスチャンへ―新装改訂版―』『一から始める筆ペン練習帳』(共にイーグレープ発行)、『漢字と聖書と福音』『景教のたどった道』(韓国語版)ほかがある。

【川口一彦・連絡先】
電話:090・3955・7955 メール:kei1951-6@xc.so-net.ne.jp

フェイスブック「川口一彦」で聖句絵を投稿中。また、フェイスブック「景教の研究・川口」でも情報を発信している。

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