新・景教のたどった道

新・景教のたどった道(10)東方教会の特徴 川口一彦

新・景教のたどった道(10)東方教会の特徴 川口一彦

紀元後、ローマ帝国領のユダヤから多くのメシア信仰者たちが迫害を逃れて東方に向かったため、信徒たちが増えていきました。一方、ペルシア帝国内では、皇帝やゾロアスター教徒からの迫害や大虐殺によって多くが殉教し、背教も起きました。

2019年05月23日10時39分

新・景教のたどった道(9)東方教会の本拠地、エデッサに宣教 川口一彦

新・景教のたどった道(9)東方教会の本拠地、エデッサに宣教 川口一彦

『教会史』を書いたキリスト教初期の人物にエウセビオス(260?~340?)がいます。その中で、シリア北部にあるオスロエネ王国の首都エデッサに派遣されて宣教した、70人の弟子の一人アダイあるいはタダイについて、次のように記しています。

2019年05月09日16時01分

新・景教のたどった道(8)西アジアから東方に福音が広がる 川口一彦

新・景教のたどった道(8)西アジアから東方に福音が広がる 川口一彦

紀元1~2世紀の西アジアに福音が広まった要因は、散らされたイスラエルの離散の民の存在が大きかったといえます。アッシリア帝国による北イスラエルやバビロン帝国による南ユダ王国の崩壊と捕囚、離散によって、イスラエルの民は世界に散らされました。

2019年04月26日21時59分

新・景教のたどった道(7)シルクロード、マリンロード、ステップロードはバイブル・メシアロード 川口一彦

新・景教のたどった道(7)シルクロード、マリンロード、ステップロードはバイブル・メシアロード 川口一彦

ユーラシアの東西交流の道は、絹の交易で知られるシルクロード、海沿いの道で知られるマリンロード、北方の遊牧民の草原を駆け巡ったステップロード(草原の道)があり、さまざまな民族や交易で盛んな交流がありました。

2019年04月11日11時48分

新・景教のたどった道(6)大秦景教の先駆者 川口一彦

新・景教のたどった道(6)大秦景教の先駆者 川口一彦

旧約の民の多くが待望していたメシアの降誕によって、新しいことが起きていきました。世界に散らされたイスラエルの民たちは離散した所で会堂を建て、聖書を読み、メシア信仰を抱きつつ待っていました。

2019年03月28日10時27分

新・景教のたどった道(5)大秦景教の名称について 川口一彦

新・景教のたどった道(5)大秦景教の名称について 川口一彦

景教の名称は紀元後745年に「波斯(ペルシア)教」から「大秦」に改名したときに付けられたと考えられます。それまではシリア、ペルシアからシルクロードを通って中央アジアを経て敦煌に入り、都・長安に来唐したことから会堂を波斯胡寺としていました。

2019年03月14日20時18分

新・景教のたどった道(4)景教研究の支援者 川口一彦

新・景教のたどった道(4)景教研究の支援者 川口一彦

私の景教研究の支援者は、イーグレープ社長の穂森宏之氏です。退職されて出版社の「イーグレープ」を創立されたお話を聞き、青表紙の『シルクロードを東に向かったキリスト教 景教』を出版するように導かれました。それが2002年8月1日のことでした。

2019年02月28日10時07分

新・景教のたどった道(3)景教はどこから来たのか 川口一彦

新・景教のたどった道(3)景教はどこから来たのか 川口一彦

635年に初代宣教師として中国の都・長安に宣教にやってきた阿羅本について、中国の史書『唐會要』巻49には「波斯(ペルシャ)僧阿羅本」とあり、景教碑には大秦国の阿羅本と書かれています。

2019年02月14日9時48分

新・景教のたどった道(2)私と景教との出会い 川口一彦

新・景教のたどった道(2)私と景教との出会い 川口一彦

私と景教との出会いは、名古屋を中心に1985年に発会した東海聖句書道会の初期の展覧会に景教碑の拓本が飾られ、その一つ一つの漢字に魅了されたときからでした。一字一字をよくよく見ると、唐代の優れた書風で書かれ、「素晴らしい」の一言でした。

2019年01月31日12時22分

新・景教のたどった道(1)『新・景教のたどった道』の出版に向けて 川口一彦

新・景教のたどった道(1)『新・景教のたどった道』の出版に向けて 川口一彦

かつて2003年4月から1年間にわたりキリスト新聞社の同社新聞紙上に「景教のたどった道 東周りのキリスト教」を連載し、05年3月に同社から発売したものが絶版となり、購読を求められる声が絶えず、本書を発行することができるなら幸いと考えています。

2019年01月17日20時40分

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