神声人語―御言葉は異文化を超えて―(52)「悔い改め」と「回心」 浜島敏

2018年8月6日21時10分 コラムニスト : 浜島敏 印刷
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神は道を備えたもう

偉大な真理は、偉大な教えに盛り込まれています。主の教え、預言者や使徒たちの教えに見られるこれらの偉大な教えは、生きた分かりやすい言葉で説明されなければなりません。御霊の力によって命をもたらすものでなければ、からっぽの貝殻か空虚な生活をもたらすだけの偽りの看板になってしまいます。

悔い改め、贖(あがな)い、救い、恩寵(おんちょう)、義認、聖化などの教義は、人を崇め礼拝するために建てられた理論の神殿ではありません。神が備えられた道を通って神の臨在へと導かれるようにと踏み固められた小道なのです。

「悔い改め」と「回心」(repentance / conversion)

悔い改めの話をしようとすれば、必ず回心の体験を語ることになります。本当の悔い改めは神の導きによるもので、回心への第一歩だからです。南アフリカの北部ソトの人たちは、悔い改めを「ゆがみが元に戻る」と言い、回心を「向きを変え第一歩を踏み出す」と言って、2つの区別をしています。

私たちの人生に罪が入ってくると、人生をゆがめ、ねじ曲げてしまい、間違った方向に連れていき、正しい目的を歪めてしまいます。悔い改めをすることによって、このすべてに気付き、そのゆがんだ考えが元に戻るのです。

しかし、これだけでは十分ではありません。自己憐憫に陥るだけで、自分の間違いが悲劇的であったことには気付くのですが、ユダと同じであって、自己を破滅させるようなことになるのです(マタイ27:5)。それは、自殺という形をとるかもしれないし、前以上の堕落した生活に戻っていってしまうという形になるかもしれません。しかし、本当の悔い改めは、自分ではなく神をじっと見つめ、放蕩息子が父の家に帰ったように(ルカ15:20)、「向きを変え第一歩を踏み出す」ことなのです。

インドネシアのバリ語では、魂の活動を表すこの2つの言葉を次のように言っています。「新しい考えを着る」(悔い改め)と「新しい行動を着る」(回心)です。この「着る」というのは洋服を着ると同じ言葉を使っています。ローマ13:14の「主イエスを着る」とかエフェソ4:24の「新しい人を着る」と書かれているパウロの言葉を思い起こさせます。

しかし、はっきりさせておきたいのは、バリ島の人たちにとって「新しい考え」が「新しい行動」に先行しなければならないということです。あまりにも多くの人たちが、行動の改善によって曲がった考えを作り直すことができる、と考えています。しかし、行動の改善とは、悔い改めの心からしか来ないのです。

スーダンのンゴク・ディンカ人は、悔い改めと回心との関係を、前者を「心を回転させる」、後者を「己を回転させる」と簡単な言葉で区別しています。この方が分かりやすいでしょうか。アンゴラのルヴァレ語では、同じ真理が、「悲しくなり、振り返る」(悔い改め)、「帰る」(回心)というように表現されています。サン・ブラス人は、「心に悲しみを感じる」と「心を入れ替える」と言っています。これらの表現は本質的にはすべて同じ真理を伝えています。回心の前に必ず悔い改めがあり、悔い改めによって魂の調整がなされ、神の力が与えられ大きく変化するに至るのです。

コノブ人はこの悔い改めから回心に至る過程を、まず「心で考える」、そして「羽化する」と表しています。ちょうど蝶が醜いさなぎを破って出てきて新しい生き物になるように、魂は完全に形を変え、ほとんど見分けがつかなくなるまでになるのです。しかし、そのためにはまず工夫したり計画したり頭だけで考えるのではなく「心で考え」自己と出会い、自己を発見するのです。これが生き方の変革への条件づくりとなるのです。

悔い改めに伴う霊的な痛みをグアテマラのケクチ人がはっきり示しています。彼らは悔い改めを「心の痛み」と言います。コートジボワールのバウレの人たちは、正直に「それを止めさせることで心が痛む」と述べます。これは本当に正直な言い方であって、これが変革の前提になります。神は罪をうまくごまかして隠したり、元来の罪ある性質のままを磨こうとはなさいません。私たちに新しい心を与えようとなさっており、主がニコデモに告げられたように、私たちは新たに生まれなければならないのです(ヨハネ3:3)。

しかし、これは偶然起こることではなく、悔い改めが必要です。南部メキシコのチョル人の言葉で言えば「罪を離れなければ」なりません。悔い改めとは、単にしくじってしまったことに心を痛めるというだけではありません。それは単なる良心の呵責(かしゃく)・後悔でしかありません。聖書で言う悔い改めとは、新しい心を願うことです。ギリシャ語の metanoia は「考え方の変革」という意味なのです。インドネシアのティモール人(現東ティモール)は、悔い改めを「心を逆さまにひっくり返す」というように表現します。

悔い改めには罪の生活を始める前の状態に帰るのだという考えがあることは、中央メキシコのパメ語に現れています。彼らは悔い改めを「心を引き返す」と言っています。ツェルタル人はもうちょっとはっきり、「罪から心を引き返させる」と言います。この引き返すというのは、失ってしまった機会がもう一度戻ってくるようにとなんとなく望みを持つことではありません。罪を認めた上で、意識的に神に帰ることです。悔い改めと回心を区別するために、ツェルタル人は回心を「神の御前に心を帰らせる」と言っています。悔い改めにとって一番大切な関心事は罪ですが、回心にとっての関心事は神なのです。

私たちはこれまで、回心が悔い改めの後に来るものとして見てはきましたが、罪を自覚することが、神の改革の力を知ることと無関係であると考えてはなりません。実際、罪を意識することが、人をイエス・キリストのところに連れてくるのではなくて、キリストのうちに神を認めることで、罪がはっきり分かるようになるのです。神と同じ目をもって、罪とは神に対する反逆であると見ない限り、罪など単なる運悪く犯してしまった過ちにすぎなくなってしまうのです。

「贖い」(redemption)

キリストの死によって人を贖うというのは、神の方法であります。御霊の働きによって魂に回心が生み出されるのです。回心は私たちのうちになされるものですが、それと同じように、贖いは、私たちのためになされたことです。

英語の「贖う」という言葉が「買う」ことを暗に言っているように、贖いは「買う」行為と関係があるといわれます。ギニアのキスィの人たちは、贖いを「買い戻す」と言います。ある物の所有権が失われたり、無くなったときに、もともとの所有者が買い戻すことによってそれを「贖い」、自分の物にすることができます。

同じように、神は私たちをご自分のために造られたのですが、神を受け入れることも、拒むことも私たちの自由とされました。神に反逆してしまった人類と和解するために、神は私たちのために御子を死なせることによって、贖いの愛を示されたのです。

「買い戻す」過程はもっと明確に描かれることがあります。ラオスの黒タイ語では、贖い主を「主・来る・捜す・買う」と表します。私たちの方に来て、捜し、私たちを買ってくださったのが主です。ただ、「人を買う」というと奴隷を買うという意味に取られるかもしれません。しかし、私たちを買うために捜しに来てくださるのは、罪のゆえに自分の魂の飼い主から離れて、山の斜面で迷子になってしまった羊を熱心に捜し出してくださるお方なのです。

サン・ブラス人は、贖いをもっと霊的に表現します。彼らは、贖いは「魂を奪還する」ことだと言います。罪人は神に対する反逆者です。ですから、神によって取り返してもらわなければ、自分を破滅させることになります。魂は神によって捕まえてもらう必要があるのです。

あまりにも多くの人たちが、神から密かに逃がれて、あたかもこの宇宙のどこか、神が見ておられないところで最大の楽しみを見つけようとしますが、そこに悲劇があります。その人たちは、生きることは純粋にプライベートな事柄であると考え、教会で伝えられている神の命令などには反対するのです。自分の不正を示されると、プライバシーの干渉だと言っては牧師を非難するのです。そのような魂が贖われるのには、神に「奪い返される」ことが不可欠です。

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【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏

ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』

世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。

宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。

本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。

ユージン・ナイダ

浜島敏

浜島敏(はまじま・びん)

1937年、愛知県に生まれる。明治学院大学、同大学院修了。1968年4月、四国学院大学赴任。2004年3月同大学定年退職。現在、四国学院大学名誉教授。専攻は英語学、聖書翻訳研究。1974、5年には、英国内外聖書協会、大英図書館など、1995、6年にはロンドン大学、ヘブライ大学などにおいて資料収集と研究。2006年、日本聖書協会より、聖書事業功労者受賞。2014年7~9月、ロンドン日本語教会短期奉仕。神学博士。なお、聖書収集家として(現在約800点所蔵)、過去数回にわたり聖書展示会を行う。国際ギデオン協会会員。日本景教研究会会員。聖書の歴史、聖書翻訳に関する著書・翻訳書、論文多数。

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