「日本のクリスマス」は Christmas 足り得ないのか? 堀井憲一郎『愛と狂瀾のメリークリスマス』(1)

2017年12月18日18時14分 執筆者 : 青木保憲 印刷
+「日本のクリスマス」は Christmas 足り得ないのか? 堀井憲一郎『愛と狂瀾のメリークリスマス』(1)
堀井憲一郎『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』(講談社現代新書)

大変刺激的な新書を読んだ。堀井憲一郎氏の『愛と狂瀾のメリークリスマス』である。本書を知るきっかけになったのは、クリスチャントゥデイ12月4日の記事である。早速購入し、一晩で読んでしまった。

内容は「痒(かゆ)いところに手が届く」ものであった。よくぞ言ってくれた!と思わず拍手してしまった。本書は、日本で生まれ、その文化圏で普通に生きてきた方なら、誰もが感じてきたであろう「キリスト教」への違和感をストレートに語ってくれている。

それが端的に言い表されているのが次の言葉である。

「キリスト教は、信じないものにとっては、ずっと暴力であった。そういう厄介なものはどう取り扱えばいいのか。それは日本のクリスマスに答えがある。『日本のクリスマス騒ぎ』は、力で押してくるキリスト教文化の侵入を、相手を怒らせずにどうやって防ぎ、どのように押し返していくか、という日本人ならではの知恵だったのではないか」(10ページ)

本書は全16章(終章含む)にわたって、キリスト教が国教化された4世紀から現代までを「クリスマス」というキーワードで俯瞰(ふかん)している。16世紀のいわゆる「キリスト教伝来」から昨今の「ハロウィン狂騒」までを日本人文化論としてまとめていると言ってもいい。同時にそれは、「キリスト教」という西洋からの異宗教に対して、名もなき市井の日本人たちがどう向き合って(お付き合いして)きたかという貴重な記録でもある。

先ほどの引用にもあったが、それは「暴力」であった。こう喝破する一般書に私は出会ったことがなかった。専門書の中には、その類のものは多く存在する。しかし、ここまで徹底して「キリスト教」、さらに本来ならその代表格である「クリスマス」を突き放して、歯に衣着せぬ表現で提示した本は見たことがない。

そういった意味で、キリスト教界に長く居続けている方こそ本書を読むべきではないかと思う。かくいう私もまさにその1人だ。私は幼き頃より教会に通い、表面的に見るならその中で信仰を培い、そして牧師となり現在に至っている。

しかし、少し堀井氏の立場にも属していると思う。なぜなら、彼が詳らかにした「日本人とキリスト教の付き合い方」の歴史は、そのまま私の人生における「キリスト教」との付き合い方に他ならないからである。

私は否応なしに「教会の子」となった。自分の理解力や判断力が成人に達する前に「この世の中で絶対に変わらない真理」を押し付けられたし、「拒否してもまとわりついてくるうっとうしさ」をキリスト教に感じてきた。キリスト教は暴力的に迫ってきた、というのは私にとっても真理である。だから一定の距離をとって教会の人とは関わってきた。

当時、そう思っているクリスチャン・ジュニア(クリスチャン家庭に生まれた子)は多く私の周りに存在していた。特に牧師の息子、娘の中には、親の浮世離れした考え方(キリスト教的思考パターン)に反発し、非行に走った者も少なくなかった。

堀井氏も指摘しているように、日本のキリスト教会は「日本人は本当のクリスマスを体験していない」という前提に立ち、デパートやホテルのクリスマスパーティーを敵視したり異端視してきた。そして、クリスマスの諸集会などで「聖書を読みなさい」「教会に来なさい」というメッセージを伝えるべく、毎年「狂騒(競争)」してきた。これは確かにそうであった。

それは子どもながらに、いや、子どもだからこそつかむことができた「違和感」かもしれない。だから、私は牧師になると決心したとき、この「違和感」を少しでも緩和できる存在になりたいと思った。日本人であるとともにクリスチャンである、という生き方ができないものか。キリスト教と日本社会とはどこまでいっても「相容(い)れない」ものなのか。どこかで相互に影響を与え合える、いい意味での「交流」は生み出せないものか。

この観点に立つとき、大胆なことを申し上げるが、私たちの専売特許である「キリスト教」を相対化しなければならなくなる。従来の保守的なキリスト教は、まずこの時点でこういった考え方に背を向けてきた。

私が子どもの頃から現在まで、多くの福音系そしてペンテコステ系諸派では、「自分たちこそ真理の側に立つ」と考えている。そうなると、この真理を知らない人々、いわゆる「未信者」たちは「救ってあげなければならない存在」ということになる。

おそらく、堀井氏が指摘する「なぜ異教徒の祭典(クリスマス)をそんなにお祝いしなければならないのか」という主張は、クリスチャンの独善的な、そして「上から目線」的なやり方が生み出した弊害の1つだろう。そういった意味で、クリスチャンは本書を読んで大いに反省すべきである(私も反省したから、このような記事を書いている)。

一方、現在私もキリスト教界の端くれとして牧師をしている。正確には、牧師を生業として社会生活を営んでいる。その立場から、堀井氏のストレートな問い掛けに答える義務を感じている。本書は一般の日本人向けに書かれたものであろうが、クリスチャンこそこの問いにきちんと回答しなければならないことを痛感する。

「日本のクリスマス問題」から「日本とキリスト教」という壮大なテーマへと敷衍(ふえん)させていくなら、まず私たちクリスチャンは、自ら信じているもの(キリスト教)を相対化する必要があるだろう。そうでなければ、彼らと同じ土俵に立てないし、日本人特有の距離感をとられてしまうなら、結果「空を打つような拳闘」になってしまう危険性がある。そんな思いで次回、本論に入っていきたい。

堀井憲一郎著『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか
2017年10月18日初版
256ページ
講談社
840円(税別)

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青木保憲

青木保憲(あおき・やすのり)

1968年愛知県生まれ。愛知教育大学大学院を卒業後、小学校教員を経て牧師を志し、アンデレ宣教神学院へ進む。その後、京都大学教育学研究科卒(修士)、同志社大学大学院神学研究科卒(神学博士、2011年)。東日本大震災の復興を願って来日するナッシュビルのクライストチャーチ・クワイアと交流を深める。映画と教会での説教をこよなく愛する。聖書と「スターウォーズ」が座右の銘。一男二女の父。著書に『アメリカ福音派の歴史』(2012年、明石書店)。

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