生命への畏敬―アルベルト・シュヴァイツァーの生涯(7)ジャングルの病院

2016年10月27日23時11分 コラムニスト : 栗栖ひろみ 印刷

シュヴァイツァーは、病院のために見つけた場所が不適切であることを知り、もっと良い場所を探すためにカヌーで50キロ上流の別の伝道所まで来た。そこで伝道をしている宣教師たちは、シュヴァイツァーが故郷を離れ、学問も名声も捨ててひたすらこの未開の土地に身をささげようとしてやって来たことを聞くと感動し、彼が望んだ場所に病院を建てる許可を与えてくれたばかりか、建築の費用として400フランの現金を献金してくれた。

帰り着くと、彼はすぐに5、6人の労働者を見つけて仕事を頼んだが、彼らは怠け者で昼間から酒を飲み、酔いつぶれて寝てしまった。ようやくランバレネ伝道所が2人の技術者を送ってくれたので、病院の建設が始まった。

11月の初めに建物が完成したときには、雨期が迫っていた。建物は診察室、手術室、消毒室、薬局に分かれていた。窓は広く、床はコンクリートだった。屋根は薄い樹木で支えられた棕櫚(しゅろ)の葉でできていた。

病院から川に通じる道にシュヴァイツァーは自分で「待合室」と「寝室」を作った。原住民の住居と同じように丸木と棕櫚の葉を使い、患者に付き添ってきた家族たちを説得してベッドを作らせた。彼らは乾いた藁(わら)を集めてきて上手にベッドをこしらえた。

病院からの景観は素晴らしかった。「ドクトルの家」が建つ丘の麓(ふもと)からは、青々とした川が見渡せた。広い砂州の後ろで川は西に曲がり、両側には深く木が茂っていた。

「寝室」の後ろの水辺には、見事なマンゴーの木が訪れる人を迎え入れるように影を作っていた。その近くにヨーゼフは、自分の小屋を建てた。ヨーゼフはすでにシュヴァイツァーの片腕として「ドクトルの第一助手」との肩書をもらっていた。彼は8つのアフリカ語とフランス語、英語を話し、記憶力は抜群だった。

文字は読めなくても、棚の上にあるどんな薬でもラベルを眺めただけで判別できた。また、ランバレネ伝道所にはオイエンボという黒人がいて、よく病院にやってきては手伝ってくれた。彼は伝道所が開いている小学校の教師で小さい子どもを教えていた。オイエンボとは「歌」という意味で、彼はいい声でいつも歌っていた。

昼も夜も、おびただしい患者がカヌーに乗り、妻や家族、友人たちと一緒にやって来た。シュヴァイツァーは、さまざまな内臓の病気の治療と、悪性の腫瘍、ヘルニアなどの手術にかかりっきりで食事も満足にできない状態だった。ヘレーネ夫人もヨーゼフも不眠不休で働き続けた。

そんなある日、瀕死の患者が友人たちに運ばれてきた。シュヴァイツァーはひと目見て、彼には死の苦しみを和らげてやること以外に何もできないことを知った。彼は患者にこう言った。

「大丈夫だよ。少し眠ろうね。目が覚めたら痛みはすっかりなくなっているからね」

そして手術はせずに、鎮痛剤の注射を打ち、そのまま手を握ってやった。この患者は安らかに永遠の眠りに入ったが、最後にシュヴァイツァーはかすかに自分の手が握り返されるのを感じた。

毎日毎日、いつ果てるともない患者の列が続いた。このような中で、ヘレーネ夫人は看護師、手術助手、押し寄せる患者の整理と世話、さらに家政を一手に行わなくてはならなかったので、極度の疲労にさいなまれていた。シュヴァイツァーも同じく過労から神経が乱れ、時としていら立ちを抑えられず、大声を上げるようなこともあった。

その間にも、病院の入り口には30人から40人の患者の列ができ、歯を抜いたり、傷の手当てをしてもらうのを待っていた。シュヴァイツァーは、診療の間に、水を消毒したり、薬品の調合をする時間も作らねばならなかった。

そんなある日のことであった。金属で縁取りされた箱が12人ほどの黒人によって「ドクトルの家」に運び込まれた。箱を開けたシュヴァイツァーは、思わず喜びの声を上げた。中には、熱帯の中でも狂うことのないように設計されたオルガン式ペダルのついたピアノが入っていたではないか。

「パリの『バッハ協会』がわれわれのために贈ってくれたのだよ」。シュヴァイツァーは、子どものように喜びの声を上げて夫人に言った。

その夜、全ての者たちが疲れ果てて眠りについているとき、ジャングルの夜のしじまをぬって、バッハの「オルガン・フーガ」が流れ出し、優しい調べを運んでいった。

「天国の音楽が聞こえる。耳を澄ましてごらん」。ヨーゼフは重傷の患者たちに付き添って、一緒にむしろに横たわりながら、うっとりとして言った。

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。

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