聖山アトス巡礼紀行―アトスの修道士と祈り―(4)ケリに生きるN修道士・その1~祈りと共に 中西裕人

2016年3月19日19時53分 コラムニスト : 中西裕人 印刷

バスを降りると、父と連絡を取り合っていたN修道士(以降Nと省略)が待っていた。英語を流ちょうに使いこなし、歓迎の「エブロギーテ」のあいさつ、どこかで見たことのあるような雰囲気を醸し出し、まるで家族とでも会うかのように抱き締めてくれた。

父とNの出会いは、グリゴリウ修道院で彼がまだ多くの修道士と共同生活をしていた頃のようだ。そこから、修道小屋(ケリ)に移り、しばらくは彼の先輩と2人で過ごしていたようだが、数年前にその先輩修道士が亡くなり、今は単身で生活をしている。父はそのケリにこれまでに何度も訪れ、彼との信頼関係も築き上げ、今回の撮影に関しても快く応じてくれ、大臣の許可書も準備していてくれたのだ。

聖山アトス巡礼紀行―アトスの修道士と祈り―(4)ケリに生きるN修道士・その1~祈りと共に 中西裕人
カリエの町で迎えに来てくれたN修道士

Nはまず、自分の家に案内してくれた。首都カリエから車で10分くらいのエーゲ海を見下ろす山間の集落、小さめの中期ビザンチン聖堂が中心にあり、細い一本路地を進み、数軒の家が立ち並ぶ奥から2軒目の家がNの家であった。

青空にビビットな赤い屋根が撮影意欲をかき立てる。太陽に照らされた手付かずの緑、オリーブの樹のその葉は、そよ風にさらされキラキラと反射し、ファインダーの中に差し込んでくる。都会で育った自分にとっては、到底見たことのない心地よい自然だった。

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N修道士の住むケリ

家の中に案内されて一番驚いたのが、とてもきれいに生活をしているということだ。整理整頓がきっちりとされている。土足も脱ぎ、室内用のサンダルに履き替える。一階にはリビングダイニンングとNの居室、キッチンに聖堂、トイレ、バルコニーがあった。ケリの造りは必ず小さな聖堂が備わっているのも特徴である。

バルコニーからは、広大な自然が広がる。目の前には大きな畑もあり、自給自足の生活がうかがえた。2階には、巡礼者用の居室が3室ほど、これもまたきれいに掃除が行き届いていることに驚いた。窓からは同じく雄大な自然が眺められ、はやりの田舎リゾートにでも来たかのような感覚だ。過酷な生活になるだろうと思っていたが、少し安心した自分がいたのも確かであった。

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ケリのバルコニー

ケリは、20ある大きな修道院のそれぞれの管轄下に置かれ、Nの住む集落はクトゥルムシウ修道院の管轄下にあり、「パンデレイモノス・スキテ(生命の泉のケリ)」と言われている場所である。

修道院はそこで生活をしている人員や情報については把握しているようである。大祭などの時は、管轄されている修道院に赴き祈りを行う。普段の祈りは基本的に司祭が存在しないと成立しないため、クトゥルムシウ修道院の司祭が巡回して祈りを行っている。

生活面では全てが個人に任されており、食事や畑仕事、生きていく全てを自分たちで行わなければならない。経済的な保証なども一切認められていないことから、このようなケリで暮らす修道士はある程度、社交性や営業力とでも言えばよいのか、そのような人間としてのバランス感覚が備わっていないと生活できないのではないかと感じた。

現に父はN修道士に会いにこのケリを訪れる際は、いつも食料や多少のユーロを用意しているようである。Nは人当たりや撮影の手配まで考えていてくれ、まさにそれだと思った。彼の家には多くの巡礼者が訪ねることもあるし、現にわれわれがNの家に着いたあと、1日1人の割合で修道士が袋に入った食料を携え訪ねてきた。

彼らもまたどこかの修道院の修道士。こうやって友人を迎え入れ、食事などを共にし、共に祈り、昼間はあのバルコニーでのんびりとグリークコーヒーを飲みながら情報交換などしているのだ。Nはその後2晩にわたり、彼らの食事を用意していた。

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N修道士のケリ 私が実際に泊まった部屋

2階の居室を用意してもらい、荷物の準備やカメラのチェックをしていると、昼食の準備をしてくれていた。夏の日差しがサンサンと緑を照らし、それを眺めながらバルコニーで頂いた。

ジャガイモに、にんにく、大量のオリーブオイルをかけてオーブンで焼き、仕上げにレモンを搾る。酸味の効いたホクホクととてもおいしい一品だった。さらにキュウリとトマトは、太陽をたくさん浴びて育った生き生きした素材に感じられた。オリーブオイルに塩だけで十分に楽しめた。

修道生活と聞き、苦行や大変厳しいものを想像していたが、なんか違う。彼らは、笑顔に満ち溢れ、楽しんでいるようにも思えた。

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バルコニーでの昼食 準備は訪ねてきたL修道士

食後にN修道士は立ち上がり、畑の向こうに緑の山を指差した。「あれは聖パイシオスの家だよ」。山の中腹に、大きな木々に囲まれ一つだけポツンと建つ白い家。その木々が天を指すように鋭角に伸びている。

彼は亡くなった後、聖人として認められた。聖パイシオスとなり、今も修道士の心の中で生きている。皆、彼のことを思い、自然と十字を切る。

聖山アトス巡礼紀行―アトスの修道士と祈り―(4)ケリに生きるN修道士・その1~祈りと共に 中西裕人
聖パイシオスの家

彼らの生活は、神の最も近くで祈りと共にある。それゆえ、神に一番近いとされるこの地にいる現実、その幸福感、この先の神の国を待ち望む確信に満ちた彼らの生活、その中での表情は明るく喜びに満ち溢れ、皆優しい目をしていることに気付く。

どこかで見たことあるようなN修道士の雰囲気、あの優しい眼差し。どことなく亡くなった母方の祖父の顔を思い出した。遠く神の国へ行った祖父。不思議な感覚に陥った。この地は神の国とつながっている。

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N修道士と父

その後、コーヒーを飲みながら、Nは「クトゥルムシウ修道院へ行こう」と案を出してくれた。撮影の交渉をしてみようと。

聖山アトス巡礼紀行―アトスの修道士と祈り―(4)ケリに生きるN修道士・その1~祈りと共に 中西裕人
作戦会議中のN修道士

次回予告(4月2日配信予定)

N修道士の生活については、続編でさらに紹介します。次回はクトゥルムシウ修道院にN修道士と訪ねます。こちらも全2回を予定しています。

 パイシオス修道士:1924年生まれ。1994年に亡くなり聖人として称賛されている修道士。親しみを込めて長老パイシオスと呼ばれることもある。20世紀を代表する偉大な修道士の一人。

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中西裕人

中西裕人(なかにし・ひろひと)

写真家。1979年生まれ。東京都杉並区出身。日本大学文理学部史学科卒。外苑スタジオ勤務後、雑誌「いきいき」(現「ハルメク」)専属フォトグラファーを経て独立、雑誌、広告、webを中心に活動中。2014年に洗礼を受ける。父は日本ハリストス正教会司祭であり、年に数回共にアトスを訪れ修道士の生活などに密着した取材を続けている。

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