“マンガとアニメとキリスト教” クリスチャンが選ぶサブカルチャー(2)『魔法少女まどか☆マギカ』

2014年3月30日18時12分 執筆者 : 高嶺はる 印刷
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少女たちの「契約」の相手は神? それとも・・・? ファン待望の映画版も公開された『魔法少女まどか☆マギカ』

「神エンド」(結末が神がかり的)な「神アニメ」として記憶に新しいのが『魔法少女まどか☆マギカ』だ。2011年の文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞をはじめ各賞をさらい、関連商品の売り上げが400億円を越えるという大ヒットアニメとなった。

通称『まどマギ』を見通したクリスチャンたちは、ほぼ一様に「うわあ、キリストになっちゃったよー」という類の感嘆を上げることになる。明らかに「救世主誕生」による「世界の転換」を描いているのだった。

テレビ放送終了後、サブカルの論者たちは「○○○はイエス・キリストだった!」と熱く語り、最終回を見てもピンとこなかった若い視聴者たちも、その解釈を好意的に受け入れてきたように見える。

ここでは敢えて、「クリスチャンから見れば、このへんが、なんかおかしいけどね」というところにも踏み込んでみる。

■ キリスト教と無縁ではない「魔法少女」

『まどマギ』を語ることはとても難しい。その結末に触れなければ最大の魅力は伝わらないし、ここでの論も体をなさないかもしれない。しかし、未見の人のため、ネタばらしは極力しない。奥歯にモノをはさんだ表現になることは許してもらい、挑んでみよう。

サブカルには「魔法少女もの」と呼ばれるジャンルが確立されている。元祖は『魔法使いサリー』(1966年)とされるが、さらに遡れば米映画『奥様は魔女』(1942年、原題:I Married a Witch)や、ドラマ『奥様は魔女』(1964年、原題:Bewitched)へと至る。

この流れにおける「魔女」と「魔法少女」の差異は、年齢だけと言える。主役を婦人から少女に変えてしまったところが、いかにも日本のサブカルらしい。

悪い魔女との対立は、『ナルニア国物語・ライオンと魔女』(1950年)などキリストのメタファーを用いた児童文学でも描かれてきた。また、その結末の形も『まどマギ』とイメージが重なる。

中世ヨーロッパには、主に女性たち、多くは見識ある自立的な女性を「魔女」として迫害したキリスト教の暗黒史がある。それを土台とし、コミカルやシニカルに転調されて物語上のウィッチ(Witch)が生まれたのであり、その意味において、サブカルの「魔法少女」たちは初めからキリスト教世界と無縁ではない。

■ 少女たちが「契約」するのは、神なのか?

近年主流の「魔法少女」は、サリーちゃんの頃のような単独ではなく、戦隊化して悪と戦う(セル・チャーチ的である)。『まどマギ』もその形をとっている。魔女と呼ばれる悪霊的な存在が世に隠れて多くの害をなしており、街を守って人知れず戦い続けるのが魔法少女たち、という設定だ。

一見よくあるマジカル美少女アニメで、絵柄も意図的にかわいらしく描かれているのだが、見かけを裏切るダークかつアメイジングな物語展開に、多くの視聴者が釘づけになった。そこにはやはり宗教的なベースがあり、キリスト教的なメッセージが使われている。

少女たちはマスコットのような白い「使者」から接触を受け、「ぼくと契約して魔法少女になってよ」と告げられる。おとめマリアのもとを訪れた天使の告知を想起させる。後から考えれば、「契約」という言葉もなにやら聖書を思わせる。『新約聖書』は「新訳」ではなく「新しい契約」だと、正しく理解している若者はどのくらいいるだろう。

魔法少女の一人は、「人を救う」情熱に燃える聖職者の娘だ。教義にないことを説いて異端視された父親のため、「みんなが耳を傾けてくれるように」という願いと引き換えに「契約」を結ぶ。教会は一時的に人であふれるが、それを魔法の効果と知った父は・・・。そのようにして少女の祈りと絶望が描かれる。

■ 自己犠牲を選び、「救済」を祈る

『まどマギ』の罪つくりな点は、「祈り」がほぼ例外なく絶望や災厄につながるというメッセージの色が濃いところだ。カタルシスに向けての苦悩設定なのはわかるが、子ども向きでないことは確か。ご注意いただきたい。最終的な一点の「救い」の瞬間まで、登場人物は深く追い詰められ、苦しみを味わう。

しかも、少女たちは、いったいどんな存在と「契約」しているのかわからない。「ぼくと契約して魔法少女に」とは言うものの、彼はあくまで使者に過ぎず、何者と契約するのかはっきりしない。「システム」「宇宙の摂理」といった言葉が使われるだけだ。

「キリストを描くなら、在天の神も語られていなければ」。クリスチャンとしては、無理を承知で、そう指摘したくなるだろう。さりながら、「宇宙の摂理とは、神のことか」と、いつの日か察知する視聴者がいたとしても、それはそれで神の摂理であり計画かもしれない、とクリスチャンたちは思うのだ。

物語の最終局面、絶望の淵に立たされた登場人物の一人は、自己犠牲を選び取って「世界の転換」と「救済」の祈りに進む。守られる側にいた人が、守る人へと生まれ変わる瞬間でもある。

その強く美しい決意が、愛であり、キリスト的であることは疑わない。深い絶望に陥ることが、目覚めと救いにつながることを、クリスチャンたちはよく知っている。(高嶺はる)

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