佐々木満男
弁護士。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL. M)。インターナショナルVIPクラブ東京大学顧問。
弁護士。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL. M)。インターナショナルVIPクラブ東京大学顧問。
「その節はいろいろお世話になりました。刑務所では、聖書と信仰書を読み、悔い改めては祈る毎日でした。ボクの心の深いところがいかに不純であったかがよく分かりました。一から出直して頑張ります」
「神の国と神の義」とは何でしょうか? 霊的には、イエス・キリスト(の臨在・内住)を意味しますが、この世においては、神の子たちが神の義によって神に統治されている状態(教会・領域・王国)を意味します。
中国の武漢から始まり世界中を震撼とさせている新型コロナウイルスの猛威は依然として続いている。そんな中で、多くの人たちは恐れと不安におののき、将来の生活に希望を失っている。
「何のために生きているのか分かりません。自分の人生はいったい何だったのか。もう自分に絶望しました。早く死んでしまいたいです。ホームで電車を待っていると、ふらっと飛び込みたくなる衝動にかられます」
ある裁判で、相手は初めからあらゆる偽証と罵倒で攻めてきた。しかし、こちらは真実の証拠をもって冷静に応戦し、あと1回の裁判で勝訴が確定するところまで追い込んだ。
ある大きな伝道集会の講師として招かれたときのことである。多忙のため全く準備ができなかった上に、集会の前の晩は仕事で徹夜になってしまった。ぼ~っとした頭で会場に出向く。私の話を聴くために、数百人の参加者がぞろぞろと入場している。
中国の武漢で突然に発生した新型コロナウイルスの猛威は、世界中を震撼させている。中国からアジアに広がった被害は、ヨーロッパへ、そしてアメリカにも及んでいる。今後どこまで広がっていくか分からない。
「お世話になっている教会の都合で『今週中に部屋を明け渡すように』と言われました。どうか助けてください」。東南アジアからクリスチャンの家族3人が来日して無料で教会に滞在させてもらっていた。しかし、教会の都合で部屋を明け渡す必要が生じた。
弁護士としてさまざまな問題に取り組んでいると、いつも心の平安を持つことの大切さを痛感する。適度な不安は、問題の存在を察知し力を尽くしてこれを解決するためには、必要なストレスかもしれない。その場合には、平安はすぐに回復する。
「Mr. ササキ、あなたの結論は間違っている。もう一度、法律をしっかり調べてみなさい!」弁護士なりたての頃、勤務していた国際法律事務所の外人の上司から日本の法律問題の調査を頼まれ、その結果を報告に行ったら、こう言われて非常に憤慨した。
私は長い間くすぶっていた。いや、冷え切っていた。表面的にはかなり燃えていた。でも、内心の深いところにはいつも底なしのむなしさがあり、芯は冷え切っていた。誰とも心底から共感したことはなかった。
天才棋士といわれた将棋士の先崎学九段(48歳)が突然うつ病になった。発症の過程から病状の進展と治癒に至る経緯を『うつ病九段』(文芸春秋刊)という一冊の本にした。その中で先崎さんはこう書いている。
家庭裁判所での離婚裁判の後、最寄り駅に向かって歩いていた。道路わきに駐車している乗用車の後部に、この言葉がペイントされている。思わず立ち止まり、しばらく眺めていた。
昨年の父の日に、息子から『道は開ける』という本をもらった。すでに300万部も売れているらしい。しかし、聖書を愛読している者にとっては、この種のハウツー本にはあまり興味がわかなかったので、読まずに本棚に置いたままであった。
「目が見えない、耳が聞こえない、口が話せない」。生涯にわたって三重苦を負いつつ生き抜いたヘレン・ケラー。「3日間だけでも目が見えたら」というエッセイには、要約すると、次のように彼女の心からの願いが書かれている。
弁護士としてさまざまな問題に取り組んでいると、いつも心の平安を持つことの大切さを痛感する。適度な不安は、問題の存在を察知し力を尽くしてこれを解決するためには、必要なストレスかもしれない。その場合には、平安はすぐに回復する。
父は祖父の代から米屋を営んでいました。長男である私は高校を出たら、当然、米屋を継ぐものと父から期待されていました。しかし、父は気性も激しく体力も強く非常に厳しい人だったので、何とかして父から逃げようとしていました。
1849年12月、ロシアの犯罪者収容所に、反体制思想犯として死刑判決を受けた28歳の青年が収容されていた。死刑執行の直前、処刑場に引き出された彼は死刑執行官からこう言い渡された。「お前の最後に、5分だけ時間を与える!」
子どもの頃、祖父と一緒によく将棋を指した。初めのうちはまったく歯が立たず、負けてばかりいて悔しい思いをした。そのうちに時々勝てるようになり、夢中になって将棋にのめり込んだ時期があった。祖父はわざと負けてくれたことに後で気が付いた。
神への祈りが健康を左右することは、各方面の実験から医学的にも証明されている。キリスト教の癒やしの集会においては、医学的に不可能とされている病が祈りによってたくさん癒やされている。