主の祭り(18)シムハット・トーラー(巻き物が巻かれる日) 山崎純二

2020年10月23日18時35分 コラムニスト : 山崎純二 印刷
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+主の祭り(13)ヨム・テルーア(ラッパ祭)山崎純二
(写真:Gilabrand)

「主の祭り」について皆様と共に御言葉を学んできましたが、今日がこのシリーズの最後となります。神様が「年に三度、わたしのために祭りを行わなければならない」(出エジプト記23:14)と3つの祭りを特別に定められたわけですが、この3つの祭りの関係について、このように理解することもできます。

第1の月(春)の過ぎ越しの祭り(種なしパンの祭り)は、キリストが十字架で犠牲となったことを象徴していて、このことは彼が一粒の麦として地にまかれたことを意味しています。イエス様は祭りの直前に、ご自身の時が近いのを知って「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネ12:24)と言われました。

そして、五旬節の七週の祭り(ペンテコステ)の時に、聖霊が使徒たちや執事たちに臨み、教会が大きく成長しました。これはキリストの犠牲によってまかれた福音の種が、豊かに成長する恵みの時です。使徒たちの時代には1日で数千人もの人々が信仰に入りました。そして今では世界中のあらゆる国で、数えられないほどの人々がキリスト者になっています。確かに今は恵みの時、今は救いの日なのです(2コリント6:2)。

しかし、それはいつまでも続くわけではありません。やがて終わりの時がきます。世の終わりのラッパが鳴り渡り(ヨム・テルーア、ラッパ祭)、贖(あがな)いが完成し(ヨム・キプル、大贖罪日)、成長した穀物が収穫される「大いなる日」が来て、私たちは神の安息に招き入れられます。これが第7の月(秋)の収穫祭である仮庵の祭り(スコット)が象徴していることです。

神によって創造された私たちは、キリストの十字架の贖いによって新生し、聖霊の満たしを体験して成長し、再び神の元へ迎え入れられるわけですが、これらのことは、種がまかれ、成長し、収穫されるという自然の摂理に通じています。

聖書の朗読

前回私たちは、イエス様が仮庵の祭りの最後の「大いなる日」に、大声で「誰でもかわいているなら…」と言われたことを確認しました。この時は、長い乾季の最後でしたので、人々は雨を求めていました。このような時期に、イエス様は霊的な渇きについて語られたのです。ところで、ユダヤ人たちにも霊的な渇きがなかったわけではありませんでした。彼らは神との交わりが回復することを願い、聖書をよく読み、そこに書かれている戒めを守ろうと努力しました。

彼らは毎年毎年、1年間をかけて律法の書(トーラー)を読みます。そしてこの律法の書(トーラー)を読み終えるのが、ちょうど仮庵の祭りの最後の日だったようであります。そして、彼らはこの日を祝い、シムハット・トーラーと名付けました。昔は1人につき1つの聖書を持つことはできませんでしたから、安息日ごとに聖書を朗読する人がいて、人々はシナゴーグに集まり、共に神の言葉を聞きました。使徒の働きにこう書かれています。

昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。(使徒の働き15:21)

そして仮庵の祭りの最後の日に、1年を通して読んできた律法の書の最後の箇所を読むのですが、この時、イスラエルの人々はあることをしなければなりませんでした。それは律法の書かれた巻物を最初に戻すという作業です。当時の聖書は羊皮紙の巻物に書かれていました。ですから彼らは申命記の最後の箇所を読み終えて後、その巻物を最初まで戻さなければならなかったのです。

今の私たちには紙の聖書があって、どこからでも読めますし、スマホでも読むことができますので、昔のイスラエルの人々のような苦労はありません。しかし考えてみますと、そのような不便があったにもかかわらず、彼らは律法の書を毎年毎年、皆で通読していたのです。

途切れることのないサイクル

この祭りの時、彼らは申命記の最後の部分を読んだ後、巻物を巻き戻して、創世記の最初の部分を読むらしいのですが、このことは途切れることのないサイクルを意味しているようであります。また、仮庵の祭りは、三大祭りの最後の祭りであり、宗教暦の第7の月に行われますが、イスラエルには宗教暦と政治暦の2つの暦(こよみ)があり、政治暦によると、この第7の月は、新年の始まる月でもあります。つまり彼らにとって、最後の祭りの始まりを告げるラッパの音は、新年を告げる音でもあるのです。さらに言いますと、仮庵の祭りは秋の収穫祭ですが、この時期は秋まきの麦の種をまく時期でもあります。これらのこともまた、途切れることのないサイクルを意味しているようであります。確かに主は、ノアに対してこのように約束されました。

地の続くかぎり、種蒔(ま)きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。(創世記8:22)

主はノアを祝福して、地の続くかぎり同じサイクルが繰り返されると約束されました。この言葉通り、確かに毎年毎年同じ季節が巡ってきます。しかし、これは当然のことではなく神様が地を祝福されている故に、与えられている恵みであることを忘れてはいけません。

スパイラル

巡る季節を見て、ある人たちは、時間は永遠にサイクルしており、始まりも終わりもないと言います。まさに地球が太陽の周りを回り続けているように、世界は永遠に流転し続けると言います。しかし、実は地球も同じところをグルグルと回っているのではありません。太陽がものすごい速度で動いているからです。ですから地球をはじめとする惑星は太陽の動きに合わせて、スパイラルしながら前進しているのです。同様に神様の計画も前に進んでいて、そしていつか終わりが来ます。例えば、イスラエルの人々と主との関係も常に円を描いて繰り返されていました。

主が人々を祝福される →高慢になり罪を犯し主を忘れる →苦難を体験する →主を叫び求める →主が霊的リーダーを送り人々は主の助けを経験する →人々が主に信頼する →主が祝福される

このように、サイクルを描いていますが、同時に民の信仰は段々とスパイラルしながら弱くなっていきました。モーセ→ヨシュア→士師たちの流れを思い浮かべてみてください。特に士師記は、まさに上述したようなパターンが繰り返されました。そして士師記の最後には、主の言葉に従うというよりは、各自が自分の信念に従って生きるようになっていました。このように書かれています。

そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。(士師記21:25)

時間が、サイクル運動をしていることは間違いありませんが、同時にスパイラルしながら前に進んでいます。ですから大切なことは、私たちが良いスパイラル運動をしながら前進しているのか、負のスパイラルに巻き込まれてしまっているのかということです。

神の言葉の喪失

ではなぜ、イスラエルの人々の信仰は、負のスパイラルに陥ってしまったのでしょうか? それは彼らが長い間、神の言葉を失っていたからです。第二歴代誌にこう書かれています。

彼らが、主の宮に携え入れられた金を取り出していたとき、祭司ヒルキヤは、モーセを通して示された主の律法の書を発見した。(第二歴代誌34:14)

発見したということは、それまでの間は喪失していたということです。継続して聖書を読み続けていれば、それがどこに保管されているのか、分からなくなるということはあり得ませんが、彼らは長らく聖書を読んでいなかったために、その存在そのものを忘れ去っていたのです。そして当然の成り行きとして、彼らの信仰は、負のスパイラルに陥っていったのです。

しかし、バビロン捕囚という苦難を通して、彼らの神の言葉に対する熱心は回復しました。そして、イエス様の時代には、毎週宮で律法の書が朗読されるほどになっていたのです。

律法と福音

ところが、イエス様は彼らの信仰を嘆かれました。なぜでしょうか。それは彼らに与えられていたのが律法だけでしたので致し方ないことでもあるのですが、彼らは神様のことを、計算の細かい、厳しい方だと誤解してしまっていたのです。ルカの福音書にこのような箇所があります。

あなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方ですから。(ルカ19:21)

ですからそのような人々に対して、イエス様は十字架の上で、福音すなわち無条件の罪のゆるしと一方的な神の愛を示されました。使徒ヨハネは、これらのことをこのように証言しています。

私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。(ヨハネ1:16、17)

巻き物が巻かれる日

最後になりますが、巻物が巻かれることと、終末について書かせていただき、終わりにしたいと思います。確かに、「地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない」と主は約束されました。しかし、やがて巻き物が巻かれるように、この天地には終わりが来ます。黙示録にこうあります。

天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。(ヨハネ黙示録6:14)

イスラエルの最後の祭りを告げるラッパの音が新年を告げる音でもあることや、聖書を最後まで読んで後、それを巻き戻して最初の箇所を読むシムハット・トーラーは、途切れることのないサイクルを想起させますが、先ほど言ったように時はスパイラルしながら進んでいます。そしてこれらのメタファーは、最終的には、地上での最後の時が、新しい天の御国での新しい年の始まりを意味しているというのが、最も大切なポイントです。

私たちはそれまでの間、しばらくの時を恵みによって与えられています。寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜が続きます。しかしそれは永遠には続きません。ですから私たちはかの日のために準備をするのです。そのために私たちも聖書をどこかにしまい込むのではなく、読み続けましょう。幸いなことに私たちには律法だけでなく、福音の言葉も与えられています。ですから、聖書の言葉を通して、父の心を知ることができます。主は決して、「計算の細かい、きびしい方」ではなく、愛と恵みに満ちたお方なのです。

主の祭りによって啓示された驚くべき神の摂理(ご計画)は、キリスト・イエスにおいて、ことごとくすべて成就します。そして最後には全世界のすべての民が、天において仮庵の祭りを祝うために上って来るようになります。ゼカリヤ書を引用して終わりにします。

エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。(ゼカリヤ書14:16)

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山崎純二

山崎純二(やまざき・じゅんじ)

1978年横浜生まれ。東洋大学経済学部卒業、成均館大学語学堂(ソウル)上級修了、JTJ宣教神学校卒業、Nyack collage-ATS M.div(NY)休学中。米国ではクイーンズ栄光教会に伝道師として従事。その他、自身のブログや書籍、各種メディアを通して不動産関連情報、韓国語関連情報、キリスト教関連情報を提供。著作『二十代、派遣社員、マイホーム4件買いました』(パル出版)、『ルツ記 聖書の中のシンデレラストーリー(Kindle版)』(トライリンガル出版)他。本名、山崎順。ツイッターでも情報を発信している。

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