【書評】ジョン・パイパー著『コロナウイルスとキリスト』

2020年5月27日09時37分 執筆者 : 山崎純二 印刷
+【書評】ジョン・パイパー著『コロナウイルスとキリスト』
ジョン・パイパー著『コロナウイルスとキリスト』(原題:Coronavirus and Christ)(画像:『コロナウイルスとキリスト』のオーディオブックより)

ベツレヘム・バプテスト教会(米ミネソタ州)の主任牧師を30年以上務められ、現在はウェブ宣教団体「デザイアリング・ゴッド」を主宰されているジョン・パイパー牧師が、『コロナウイルスとキリスト』(原題:Coronavirus and Christ)という小冊子を発行され、現在20カ国語以上に翻訳され、世界中のクリスチャンの間で読まれています。残念ながら日本語には翻訳されていませんが、デザイアリング・ゴッドのサイト(英語)に行くと、英語や各国語版が無料で配布されています。

今回は、この本の書評を書かせていただくことになりました。内容が非常に重厚であり、デリケートなテーマであることから、二の足を踏まざるを得ませんでしたが、今のところ日本語での翻訳がありませんので、少しでも内容をお伝えすることができればと思い、依頼を受けさせていただきました。

『コロナウイルスとキリスト』はオーディオブックも提供されており、上記のサイトからテキストだけでなく音声も無料でダウンロードすることができます。音声ですと、2時間程度のものですので、分厚い本というわけではありません。しかしその内容は、神様のメッセージが非常に凝縮されたものとなっています。そして本書の中には、多くの聖書の言葉が引用されています。

パイパー牧師はこの本を通して、大きく分けると2つのことを語っておられます。1つは、神様とはどのようなお方なのか。もう1つは、神様が新型コロナウイルスを通してなそうとなされる御業についてです。このような話を聞くと、何でもかんでも聖書や神様と結び付けて話すのはいかがなものか、という考えの人もいると思います。しかし本書はまさに、それに対する答えでもあるのです。これから書かせていただく内容は、本書の要約的な面と、私が咀嚼(そしゃく)して、自分の言葉で書かせていただいている面の両面が含まれています。

■ 神様とはどのようなお方なのか

パイパー牧師に倣って、御言葉を引用しながら、本書が語ろうとしていることを皆様にお伝えしようと思います。まずはこちらの御言葉をお読みください。

また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。(使徒17:25)

神様は、世界とその中にあるすべてのものを造られた方ですが、御自身には何の不足もなく、栄光に満ちたお方です。この方は、私たちにすべてのものをくださいますが、何かを私たちから奪おうとされるお方ではありません。むしろ神様は「すべての人に、いのちと息と万物とをお与え」くださるお方です。

この神様は知識や能力においては、全知全能のお方です。ですから神様がなさろうとしていることで、そのことが誰かに阻まれたり、できなかったりすることはありません。また神様の意図しないことが起こり、慌てたり当惑されたりすることもありません。サタンの働きというのもありますが、サタンは神様によって許された範囲でしか事を行うことができません。それはヨブ記の冒頭などを見れば明らかです。

主はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。(ヨブ1:12)

人は罪を犯し、神様はそのことを悲しまれますが、そのことの故に神様の計画が崩れたり、変わったりすることもありません。すべては神様の御手の中にあるのです。ヨセフの兄弟たちは、嫉妬からヨセフを奴隷としてエジプトに売り渡しましたが、神様は後にヨセフをエジプトの大臣とし、彼に知恵を与えて飢饉(ききん)から多くの人々を救われました。そして後に兄弟たちがヨセフに謝罪したとき、彼が語ったのがこの言葉です。

あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。(創世記50:20)

人の悪なる計らいさえも、神様は用いられ、ご自身の計画の中で用いられるのです。

しかし、このように全知全能の神様が私たちの主であるということは、信じる者たちの安寧や安楽が常に保障されるということではありません。神様によって守られることも多くありますが、それがすべてのケースではありません。2004年、インドネシアのスマトラ島で非常に多くの人が津波で亡くなったとき、そこにいた多くのクリスチャンも同様に亡くなりました。

誰かが苦難に遭うとき、その人が罪を犯したからだとか、信仰が足りないからだ、などと思うことがあるかもしれません。しかしヨブは、神様から「彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない」(ヨブ1:8)と言われた人でしたが、神様の許しによってサタンによる苦難の中を通らされました。

パイパー牧師自身も、生涯主に仕えましたが、がんを患い、苦難の中を通らされました。そのような中で、パイパー牧師は神様のなされることや神様の言葉に対して、以下の詩篇の言葉を引用し、何度も「それは蜜のように甘い」と強調されました。

主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。(詩篇19:7~10)

それは、私たちが守られたり、癒やされたり、勝利を与えられたりするときだけでなく、災害や苦難をも含め、神様のなさることはすべて時宜にかなって麗しく、蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘いということです。

今回の新型コロナウイルスは、神様がもたらしたものではなく、単なる天災だ、もしくは人災だと言う人たちがいます。このように言う人たちは、災害を神様の責任にしてはいけないという気持ちがあるのかもしれません。しかしパイパー牧師は、神様が全知全能であり、新型コロナウイルスを防ぐ能力があるにもかかわらず、それを許されたということは、今の事態も神様のご計画の中で起こったことだと言い切ります。

そしてそれは新型コロナウイルスに限らず、私たちの人生において起こる苦難や悲しみなど、すべてのことにおいても同様です。そしてパイパー牧師は、新型コロナウイルスについて神様の責任を免除しようとすることは、意図せずにして神様がすべてを統治されていることを否定することになると言います。ですから私たちは、髪の毛一本から人の死に至るまで、すべてのことに主の主権を認めるべきなのです。

言葉を選ばなくてはなりません。目の前で苦しみを体験している人たちに対して、すべては神様の主権であり、それは蜜のように甘いのだと言うと、反感を与えてしまうかもしれません。パイパー牧師自身もそのことを深く憂慮していました。しかし、自身が経験したがんなどの苦しみを通して、パイパー牧師はそのような境地に至ったのです。

そしてパイパー牧師はそのことを、岩の上に立つ信仰だと強調しました。私たちが生きるにしても死ぬにしても、癒やしや祝福を与えられるにしても、苦難や痛みを通るにしても、主の許される以外のことは起こらないこと、主は些細な日常のことから今回の新型コロナウイルスのような大きな事象のすべてに至るまで関与されていること、知恵と慈愛に満ちた主が、すべてを知っておられ、深い配慮の中ですべてをなされていることを知ることは、大きな慰めとなるのです。

■ 神様が新型コロナウイルスを通してなされる御業

「新型コロナウイルス=人類に対する神の審判」ということではありません。しかし、ある特定の人には、新型コロナウイルスが裁きとなる面があります。7章のタイトルは「Sending Specific Divine Judgments(特定の人に対する神の裁き)」となっています。その中で例に挙げられているのが、ヘロデ王です。彼は使徒たちを迫害し、人々の前で自分が神であるかのように振る舞いました。聖書を確認してみましょう。

定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。(使徒12:21~23)

結果的に彼は虫にかまれて息絶えたのですが、このことに関して聖書は「主の使いがヘロデを打った」と語っています。ですから主は場合に応じて、直接的な裁きを下すことがあるということです。「新型コロナウイルス=人類に対する神の審判」ということではないのですが、特定の人にとっては裁きとなる場合があり得るのです。

しかし私たちは、それらをいちいち判断する必要はありません。大切なのは、他人(ひと)ではなく、自分自身が神様の前に悔い改めることだからです。イエス様の時代に、シロアムの塔が倒れて、18人が亡くなるという事故がありました。それに対してイエス様はこのように教えています。

また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの18人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。(ルカ13:4~5)

当時の人々は、災難に遭った人々が特別に罪深かったのだと思っていました。しかしイエス様は「そうではない」と断言され、さらに「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます」と警告されました。私たちは皆罪人ですので、本来は皆が滅びる者たちなのです。

しかし、キリストが十字架の極度の苦しみと、命と血の犠牲を通して、私たちを贖(あがな)ってくださったので、私たちは救われました。ですから私たちは、この方の愛に応えて自分の罪を悔い改め、自分自身を清めていくのです。そして今回の新型コロナウイルスやその他の災害、苦難を通しても、神様は私たちが自分の罪を悔い改めることを願っておられるのです。

悔い改めとは、方向転換することを意味しています。また清さとは、何か犯してはいけない罪のチェックリストに縛られることではありません。主が願っていることは、主の素晴らしさを味わい、主の恵みの中に憩うことです。この世は一時的な快楽や楽しさを与えるかもしれませんが、それよりもはるかに優るのが主との交わりです。ですから神様は、私たちが悔い改めて方向転換することを願っておられます。三位一体なる神の豊かな交わりの中に私たちは招かれているのです。

8章のタイトルは「Awakening Us for the Second Coming(キリストの再臨に備えて私たちを起こされる)」です。新型コロナウイルスにより、今まで眠っていた多くのクリスチャンを主は起こしてくださいます。私たちは一方的な神の恵みによって罪赦(ゆる)され、神の子とされ、キリストの花嫁と定められた者たちですが、多くのクリスチャンが肉に属する「ただの人」のように歩んでいます。使徒パウロはこのように言っています。

あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。(1コリント3:3)

このような状態を、聖書は眠ったような信仰だと言い、主が再び来られるときに「目をさましているところを見られるしもべたちは幸いです」(ルカ12:37)とも語っています。私たちはあまりにも忙しく、この世のことにのみ心を使っています。しかし、今回の新型コロナウイルスをはじめ、災害や人生の苦難は、私たちが皆死ぬべきものであることを教え、本当に大切なことが何であるかを考えるための警鐘となります。

主は盗人のように、思いがけない時に突然来られます。ですからキリストの花嫁として、油を用意し、いつ花婿なるキリストが来られても迎えることができるように、目を覚ましている必要があります。ある人たちはこのように言うかもしれません。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか」。これに対して使徒ペテロはこのように答えました。

しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。(2ペテロ3:8~9)

10章のタイトルは「Creating Good Works in Danger(危険の中で善き働きをなす)」というもので、クリスチャンが地の塩、世の光として召されていることを強調しています。平素においても、このことは言えますが、暗い闇の中で光がより強くなるように、危機の中でこそ、クリスチャンの真価が問われてきます。

そしてまた私たちは、新型コロナウイルスの収束のために神様に祈ります。先ほど言った通り、新型コロナウイルスの感染拡大は神様の御手の中で起こっていることです。そして最悪な状況の中でも、神様は有益な働きをなされています。しかしそれにもかかわらず、私たちは弱い人間として神様に対して、これ以上の感染拡大が起こらないように祈るのです。

アブラハム・リンカーンは、南北戦争は神の裁きだと強調しましたが、同時にその戦争が終わるよう祈りました。神様の主権を認めることと、とりなしの祈りをすることは矛盾しないのです。日本は諸外国ほど感染が拡大せず、緊急事態宣言も解除され、すでに収束したような雰囲気が広がっています。しかし5月20日時点のニュースで、世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム事務局長は、パンデミック(世界的流行)は終息には程遠く、1日当たりの感染者数はこれまでで最多となっていると警告しました。私たちは引き続き、とりなしの祈りをしていく必要があります。

最後の章でパイパー牧師が強調されたことは、今回の新型コロナウイルスを通して、眠っている多くのクリスチャンが立ち上がり、人々に福音を語ることです。短期的には宣教師たちの移動が制限され、人々の交流が抑制され、宣教が滞るように見えますが、この逆境を通して主は、長期的には多くの人々に福音を聞く機会が与えられるようにしてくださいます。

初代教会の時代に、エルサレムで激しい迫害が起こりました。その時、執事のステパノは石で打ち殺され、エルサレムにいた人々は各地に散らされました。しかし結果として、これにより宣教が大きく前進していきました。このように書かれています。

サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。(中略)他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。(使徒8:1、4)

エルサレムにいた信者たちは、神様の多くの恵みを経験しながらも、出て行って外の世界の人々にそれを伝えようとはしませんでした。しかしそこに迫害という、苦難が訪れました。神様はそのことを通して、より多くの人に福音を伝えられました。そして、エルサレムから遠く離れた島国であるここ日本にまで福音は伝えられました。

今日においても、多くのクリスチャンは福音の言葉を周りの人にあまり語りません。しかし主は、新型コロナウイルスのような苦難を通してでも、眠っているクリスチャンたちが立ち上がり、宣教の働きが進むことを願っておられるのです。

最後にパイパー牧師は、神様に栄光を帰す祈りと、人々をとりなす祈りで本書を締めくくっています。私たちも神様のご計画と御心を知り、神に栄光を帰し、人々をとりなす者となりましょう。そして今、苦難の真っただ中にいる人たちには、それが誰も知らない意味のないことなどではなく、愛に満ちた主権者なる父なる神の、深い配慮の中で起こっていることを覚えていただければと思います。

■ ジョン・パイパー牧師略歴

1946年、巡回伝道者の父のもと米南部テネシー州で生まれる。学生時代、入院中にラジオで福音派指導者ハロルド・オッケンガの説教を聴いて献身を決意。米フラー神学校、独ミュンヘン大学で学ぶ。その後、米ベテル大学、同神学校で教鞭を執り、80年から33年間、ベツレヘム・バプテスト教会(ミネソタ州)を牧会した。「デザイアリング・ゴッド」(英語)は94年に始め、現在は月間ユーザー数が350万を超えるウェブ宣教団体に成長。50冊を超える著書があり、幾つかは邦訳書も出版されている。2014年には、キリスト聖書学園(CBI、名古屋市)主催のカンファレンスで来日講演している。

山崎純二

山崎純二(やまざき・じゅんじ)

1978年横浜生まれ。東洋大学経済学部卒業、成均館大学語学堂(ソウル)上級修了、JTJ宣教神学校卒業、Nyack collage-ATS M.div(NY)休学中。米国ではクイーンズ栄光教会に伝道師として従事。その他、自身のブログや書籍、各種メディアを通して不動産関連情報、韓国語関連情報、キリスト教関連情報を提供。著作『二十代、派遣社員、マイホーム4件買いました』(パル出版)、『ルツ記 聖書の中のシンデレラストーリー(Kindle版)』(トライリンガル出版)他。本名、山崎順。ツイッターでも情報を発信している。

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