孤児の父―ハインリッヒ・ペスタロッチの生涯(5)茨と雑草のはびこる道

2019年4月18日09時46分 コラムニスト : 栗栖ひろみ 印刷

こうしてアンナ・シュルテスとの愛を心の中ではぐくみつつも、ペスタロッチは亡き友メナルクと約束した貧民救済という理想の実現に向けて準備を始めた。彼はヘルヴェチア協会の「社会研究会」でボートマー教授が語った言葉を心に銘記していた。

「ルソーは訪れる人々に、農業こそ最も幸福な人生だと語っていた。奴隷の国では人は職人となり、自由の国では人は農夫となる」。この重農主義はすでにスイス国内において多くの信奉者を得ていた。

1761年チューリッヒの医者ハンス・ガスパール・ヒルツェルは、農業こそ最も賢明で注目に値する生活であると述べ、『哲学的農業家の農場管理』という著書の中で、「カッツェンリューティホフ」と呼ばれる農場を経営するヤーコブ・グイエの試みを紹介している。

また、ヨハン・ルドルフ・チッフェリはベルン教会裁判所の書記であったが、彼はエメンタールのキルヒベルク近郊に模範的農場を創立し、根から繊維産業用の赤い色素がとれる茜草(あかねぐさ)を栽培し、また果物や野菜の腐敗防止貯蔵法も開発していた。

(農業技術を向上させることこそ、貧困のどん底にいる農民を救う最上の方法ではないだろうか?)ペスタロッチは、自分の理想実現の第一歩が農場経営にあると信じた。そこで、早速チッフェリのもとを訪ね、自分の夢を語り、その知識を分けてもらえるように頼み込んだ。すると、チッフェリは若いペスタロッチの話を聞くと大変感動し、しばらく自分の所で見習い修業をしてもよいと許可したのだった。

「そういうわけで、アンナ、ぼくは農夫になるつもりだ。そして、農業技術を完全に修得して、貧しい人々の生活を向上させてあげたいのだよ」。彼は許婚者アンナ・シュルテスに初めてこう打ち明けた。アンナは大変喜び、それから2人で一緒に祈った。

ペスタロッチはこうしてチッフェリのもとで修業を始めると同時にアンナの両親を訪ね、2人の結婚を承諾していただきたいと願った。すると、シュルテス氏は不快そうに押し黙り、夫人は激怒した。

「何ですって!」。彼女は叫んだ。「そんなことが許されると思っているんですか? 娘はきちんとした職業に就いている方か、身分ある方の所に行かせようと思っているんですよ」

ペスタロッチは、傷つきながらも時が来るのをじっと待った。彼はチッフェリのもとで農業技術の手ほどきを受け、茜草とキャベツ、飼料草木の栽培の仕方、そして果物と野菜の保存と越冬のための知識を学ぶことができた。そして、修業期間が終了するよりもずっと早く、わずか9カ月後に契約を打ち切って戻ってきた。

「きちんと見習い期間も守り切れないようじゃ信用できんな。そんな腰の軽い男に娘をやれるか」。「そうですよ。そんな不誠実な人は、きっとすべてにおいていい加減なんですわ」。またしても、シュルテス夫妻はペスタロッチを非難し、結婚に反対した。彼はそのうち、シュルテス家への出入りを差し止められてしまった。しかし、アンナの決意は固かった。

彼女は、ペスタロッチの子どものように純真な心、自分のことよりもまず弱い者、不幸な者を思いやる太陽のように温かな性格を何よりも尊く思い、自分の生涯の伴侶は彼以外にないことを思い、たとえ両親の祝福を得られなくても彼についていくことを宣言した。

1769年2月。ペスタロッチはアンナの提案通り、ロイス河畔のブルックから近いミュリゲンという所に単身で赴いた。そこで1軒の農家を借り、自活しながら毎日目的にかなう土地を見つけるために歩き回った。そしてついに、アールガウ州ビル村近くに18ヘクタールの土地を購入したのだった。

彼の夢は広がった。彼は木綿の取り次ぎ業を始めることにした。これで辺境の人々の貧困を解決できるし、彼自身生活するのに十分な収入も得られるはずであった。

ここに至って、ようやくシュルテス夫妻の心も溶け、ペスタロッチとアンナはロイス河畔のケビストルフの教会で結婚式を挙げた。1769年9月30日のことであった。

ペスタロッチは結婚後も、雨が降ろうが、風が吹こうが農地を耕し続けた。そして、その自分の農地の中に新しい家を建て、これをノイホーフ(新しい庭園)と名づけた。しかし、この家は後に彼の志とまったく異なる目的のために使われることになった。そして、彼自身も考えてもみなかったある新しい使命へと導かれることになるのである。

<あとがき>

アンナと婚約したペスタロッチは、亡き友メナルクとの約束を果たすために、いよいよ貧民救済事業に取りかかりました。その頃スイスでは「重農主義」が流行しており、ペスタロッチも農業技術の向上こそ貧困にあえぐ人々を救う方法であると信じ、自ら専門家について農業を一から学ぶ決心をします。彼は園芸家チッフェリのもとに弟子入りし、農場経営のノウハウを身につけたのです。

一方、アンナの両親であるシュルテス夫妻は、この身分違いの結婚に反対で、あの手、この手を使って妨害します。ペスタロッチは、アンナの勧めでブルックの町から近いミュリゲンという所に単身で赴き、広い農地を買い取り、毎日汗水たらして耕し、作物を植え、また木綿の取り次ぎ業を始めたのです。

その誠実な人柄と真面目な働きぶりを見て、ようやくシュルテス夫妻は2人の結婚を許可してくれたので、晴れてペスタロッチとアンナは結ばれ、新しい生活のスタートを切ったのでした。

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。

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