苦しみの中の信仰 若井和生

2015年5月29日06時35分 コラムニスト : 若井和生 印刷

花巻のクリスチャン・斎藤宗次郎は、宮沢賢治と同じ時代をともに花巻で過ごした人物です。当時、キリスト教に対する理解の全くなかった花巻でキリスト者となったために、大変な迫害にあった人でした。

まず宗次郎はお寺の住職の息子でしたので、父親から勘当されてしまいました。小学校の教師をしていましたが教育界から追放され、町の人々からは石を投げつけられ、子どもたちからは「ヤソ、ハゲアタマ」とばかにされました。また身内からもだまされて、宗次郎が持っていた家督相続権を奪われそうになったこともありました。

このようにありとあらゆる迫害を経験した宗次郎でしたが、宗次郎にとっておそらく一番辛かったのは、まだ9歳だった長女・愛子ちゃんを迫害のために失ったことだと思います。愛子ちゃんは学校で「ヤソの娘」ということで男子生徒に腹部を蹴られ、そのために腹膜炎を発症し、それが原因で亡くなったのです。

その悲しい経験を、宗次郎はどのように信仰をもって受け止めていったのか、それが私の知りたいことでした。以下は1909(明治42)年4月15日、愛子ちゃんの人生の最後の瞬間について宗次郎が記した文章です。

彼女は目覚めても視力減じ、食欲起こらず、脈拍呼吸も退勢を示すのみであった。しかし意識は飽くまで狂わず、見舞いに来る人々に対する思い遣いと讃美歌を求める心とは変わることはなかった。彼女を見守る両親を始め、周囲の人々の心は暗くあっても彼女のみは心明るく天国を夢見つつあるかと思われる瞬間に、父なる神の貴き御召しは下って、彼女は終に最後の可憐なる呼吸を彼女の愛する人々と大自然の前に遣わして復活のイエスの御懐に移り行った!

宗次郎にとって何よりも幸いだったことは、愛子ちゃんが信仰をもって希望を抱きながら天に召されていったということです。父の信仰ゆえの迫害だったのに、父を恨むこともなく、最後まで「讃美歌を歌うのをやめないでください」と求め続ける人でした。

この経験は宗次郎にとってはもちろん大変な経験でしたが、実は花巻の人々にとっても大きな経験となりました。なぜならば、この愛子ちゃんの死をもって花巻の人々の宗次郎に対する迫害がピタリと止んでしまったからです。

それ以後の宗次郎は花巻の人々から尊敬される人になっていきますが、この愛子ちゃんの死が一つのきっかけだったようです。

(『みずさわ便り』第71号・2011年3月6日より転載・一部編集)

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若井和生

若井和生(わかい・かずお)

1968年、山形県生まれ。1992年より国立フィリピン大学アジアセンターに留学し、日比関係の歴史について調査する。現在、岩手県の水沢聖書バプテスト教会牧師。「3・11いわて教会ネットワーク」の一員として、被災地支援の働きを継続中。妻、8歳の息子と3人家族。

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