キリスト様のたとえ話に読む福音の真理「赦されても、赦さない人がいます」(1)無限大を赦す 岸義紘

2014年9月15日07時57分 コラムニスト : 岸義紘 印刷
関連タグ:岸義紘

無限大を赦す

「赦されても、赦さない人、愛されても、愛さない人がいます」(マタイ18章21~35節)

主イエスは、天国(三位一体の神様の救いのお心/福音)を教えるため、たとえ話を多用された。福音書には約30のたとえ話がある。ていねいにこれら全体を学んでみると、主イエスの教え方に独特の手法があることがわかる。主のたとえ話のメッセ-ジを正しく捕らえるため必要な解釈の原則ともいえる2点である。

1つは、たとえ話の直前を見ること。直前を見ると、たとえ話をもって教えられた背景事情がわかる。そこにたとえ話のテーマがある。テーマをつかむと、メッセージを正確に聞き出すことができる。

2つは、あり得ないポイント、起こり得ないポイントを捜す。誰もが経験済みの日常的なたとえ話には、極端な強調が出てくる。それこそがイエス様の独特の手法である。なぜ、極端な強調なのか? 考えよう。そこにメッセ-ジがある。

まず、今日のたとえ話の直前を見よう。

そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか」―「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います」

御存じのように、聖書の7という数字は完全数である。

7×70=490=無限に。7[徹底的に]×7[徹底的に]×10[徹底的に]=永遠に、無限に。

ペテロの質問は、仮の話である。動詞は「罪を犯すであろう」「赦すであろう」、ともに未来形である。これに対して、イエス様は大原則、大枠を答えておられる。

簡単に赦してはならない問題もある。法的な正義に訴え出て、裁判を求めねばならないこともある。人を間に立てて、ことの真実をはっきりさせなければならないこともある。イエス様の大原則は「最終的な審判を神様にゆだねて、怒りや憎しみの奴隷になるな。ストレスに自分がさらされて地獄を味わってはならない。審判を神様に任せよ」である。

私たちを傷つける相手、私たちを中傷する相手、私たちを憎む相手に対して7回を70倍するまで赦し続けることができるかというと、それを実行できる人はいない。私たち罪人にはできない。私たち人間は、だれもが、そういう痛みや弱さを持っている。

どうしたら、私たちは審判を神様にゆだねて、赦せるのか? どうしたら、私たちは敵のため祈り、敵を愛することができるのか? これがたとえ話の主題(テ-マ)である。

「このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お支払いいたします。』と言った。しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。

ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ。』と言った。彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから。』と言って頼んだ。しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。

そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」

まず王様が出て来る。「天国は地上の王様にたとえることができる」。神様とは、この王様のようである。福音とは、この王様のようだ。

王様の前に[1万タラント/6000億円] の負債があるしもべが連れて来られた。しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は、自分も妻子も持ち物全部も売って、返済するように命じた。

罪の負債額は1万タラント(無限)

しょっぱなからあり得ないポイントだ。1万タラント/6000億円である。これは1日1万円で計算すると、17万年分の給料である。古代の国々の国家予算相当である。聴衆には天文学的な数字である。こんな借金ができる人はいない。こんなお金を貸す人もいない。これこそ、あり得ないポイントである。

イエス様は何を伝えたいのか? 私たちの罪の負債額は6000億円である。私の罪の負債は1万タラント、あなたの罪の借金は6000億円。永遠に返済不能。もちろん「自分も妻子も持ち物全部を売っても返済不能」。

私たちは神様の前に、どれくらい罪深いのか? 神様の正義の清さの前に、どれくらいの有罪なのか? 6000億円相当である。

「義人はいない。一人もいない。悟りのある者はいない。一人もいない。すべての者は迷い出てことごとく無益な者になった。善を行う者はいない。一人もいない」(ローマ3章10~12節)

「すべての者、罪を犯したれば、神の栄光を受けるにたらず」(ローマ3章23節)

検査の結果を聞きに出かけた患者は、異常に緊張した医者の表情を見て、自分の病気が簡単ではないことを知る。殺人犯の囚人は、同じ罪を犯した者が、処刑場に向かう後ろ姿を見て、自分の罪の恐ろしさを知る。放蕩息子は、数十年ぶりに見る母親の別人のようにやつれ老いた姿を見て、自分の犯してきた罪の重さを知る。

私たちが、神様の前に、自分の罪の深さや恐ろしさを知る場所は、ただ1点、イエス様の十字架である。清く、傷のない神様のご子息が、あの十字架の上で、あなたの罪を、私の罪を身代わりに背負われたその瞬間に、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか?」と絶叫された。そして、神様の正義の審判を受けて、心臓を破裂させて死んでいかれた。このできごとを見る時だけ、私たちは自分のほんとうの罪深さを知るのである。1万タラントの負債の大きさを知る。この罪の負債を返すことができる人はいない。一人もいない。

■ 「赦されても、赦さない人がいます」: (1)(2)(3)

岸義紘

岸義紘(きし・よしひろ)

1941年、東京生まれ。岡山は備前町伊部で育つ。16歳のとき献身し、21歳から礼拝説教を担当した。1978年、37歳から巡回伝道者(ミッション2001)として立つ。JTJ宣教神学校で創立以来、新約聖書と実践神学を担当してきた。サクソフォン奏者。ムラサキスポーツ競泳チーム監督兼選手として今も現役を続けている。日本マスターズ水泳日本記録保持者(合計年齢280歳クラス200メートル自由形リレー2分2秒59)。

関連タグ:岸義紘

関連記事

クリスチャントゥデイからのお願い

いつもご愛読いただき、ありがとうございます。皆様のおかげで、クリスチャントゥデイは月間40万ページビュー(閲覧数)と、日本で最も多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。記事の一つ一つは、記者や翻訳者、さらに編集者の手などを経て配信されているものです。また、多くのコラムニストや寄稿者から原稿をいただくことで、毎日欠かすことなくニュースやコラムを発信できています。

この日々の活動を支え、より充実した報道を実現するため、読者の皆様にはぜひ、祈りと共に、毎月定期的にサポートする「サポーター」として(1,000円/月〜)、また単発の「サポート」(3,000円〜)によって応援していただきたく、ご協力をお願い申し上げます。支払いはクレジット決済で可能です。申し込みいただいた方には、毎週のニュースやコラムをまとめた申込者限定の週刊メールマガジンを送らせていただきます。サポーターやサポートの詳細、またクレジットカードをお持ちでない方はこちらをご覧ください。

コラムの最新記事 コラムの記事一覧ページ

人気記事ランキング

おすすめのコンテンツ【PR】

コラム

主要ニュース